今回は激しく流れる「水」を序詞に詠んだ万葉集の短歌を紹介します。
最初は,高い山の滝から落ちる水が岩に激しくぶつかる様子を序詞に詠んだ短歌です。
高山ゆ出で来る水の岩に触れ砕けてぞ思ふ妹に逢はぬ夜は(11-2716)
<たかやまゆいでくるみづのいはにふれ くだけてぞおもふいもにあはぬよは>
<<高い山の中を通って,勢いよく落ちてくる水が,岩に当たって砕け散るように,心が乱れて思うしかない君と逢えない夜は>>
この短歌,「滝」という言葉は使われていませんが,「滝」が出てくる万葉集の和歌はかなり偏っています。特に吉野の滝を詠んだ和歌が多く,単に「滝」といえば「吉野滝」というイメージが万葉時代は少なくなかったのかもしれません。
そうすると,今では「滝」と呼ばれるような高いところから川の水か落ちるような場所をこの短歌のような表現をしていた可能性が考えられます。
次は,渓谷の急流を序詞に詠んだ短歌です。
高山の岩もとたぎち行く水の音には立てじ恋ひて死ぬとも(11-2718)
<たかやまのいはもとたぎち ゆくみづのおとにはたてじ こひてしぬとも>
<<高山の岩の下をさかまくような激しい流れの音(噂)でも人にはけっして知らせない。この恋でたとえ死んでしまうことがあっても>>
作者は山奥の沢を見て,激流が岩の下のほうを削るように激しく流れている情景を見たのでしょう。また,その水音は地を揺るがすように大きかったと感じたのかもしれません。
その音を自分がひそかに恋している相手とのウルサイ噂話に例えていると私は解釈しました。
否定しても,否定しても湧き上がる噂話は,まるで今のゴシップ記事のようだったのかも。
ても,お互いのために,激しい恋の気持ちは消すことはできないが,外向きには否定し続けるしかない。こんな苦しい作者の気持ちが伝わってきます。
最後は,相手を思う気持ちの激しさを滝から落ちる水の激しさを序詞として表現している短歌です。
石走る垂水の水のはしきやし君に恋ふらく我が心から(12-3025)
<いはばしるたるみのみづの はしきやしきみにこふらく わがこころから>
<<岩から水が奔流となって流れ落ちるように,あなたのことを激しく恋うのだ,我が心から>>
実は「垂水」も「滝」と訳されることがあります。ただ,万葉集では「垂水」は3首しか使われた和歌が見えず,今でいう「滝」を一般的にあらわす言葉ではなかったのではないかと私は想像します。
いずれにしても,落ちる水の激しさを自分の恋しい気持ちの激しさに例えたということでしょう。
ただ,これらの短歌を見た,聞いた人は,どう感じるでしょう?
「この作者たちの恋しい気持ちはすごい」と感じるでしょうか?
私は違うと思います。
「どんなすごい急流なんだろう?」「どんなすごい滝なんだろう?」「どんなすごい水音なんだろう?」と思い,「一度行って見てみたい」と感じるのではないでしょうか。
そういった広い意味のモノ,場所,情景などの珍しさを紹介することが巻11と巻12の編纂目的として,もう一度見てみるのも面白いかもしれませんね。
次回は「水」に関連して,「波」を見ていくことにします。
(序詞再発見シリーズ(22)に続く)
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