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2017年7月10日月曜日

序詞再発見シリーズ(21) …激しい恋愛感情は激しい水の流れやしぶきで表現?

今回は激しく流れる「水」を序詞に詠んだ万葉集の短歌を紹介します。
最初は,高い山の滝から落ちる水が岩に激しくぶつかる様子を序詞に詠んだ短歌です。

高山ゆ出で来る水の岩に触れ砕けてぞ思ふ妹に逢はぬ夜は(11-2716)
たかやまゆいでくるみづのいはにふれ くだけてぞおもふいもにあはぬよは
<<高い山の中を通って,勢いよく落ちてくる水が,岩に当たって砕け散るように,心が乱れて思うしかない君と逢えない夜は>>

この短歌,「滝」という言葉は使われていませんが,「滝」が出てくる万葉集の和歌はかなり偏っています。特に吉野の滝を詠んだ和歌が多く,単に「滝」といえば「吉野滝」というイメージが万葉時代は少なくなかったのかもしれません。
そうすると,今では「滝」と呼ばれるような高いところから川の水か落ちるような場所をこの短歌のような表現をしていた可能性が考えられます。
次は,渓谷の急流を序詞に詠んだ短歌です。

高山の岩もとたぎち行く水の音には立てじ恋ひて死ぬとも(11-2718)
たかやまのいはもとたぎち ゆくみづのおとにはたてじ こひてしぬとも
<<高山の岩の下をさかまくような激しい流れの音(噂)でも人にはけっして知らせない。この恋でたとえ死んでしまうことがあっても>>

作者は山奥の沢を見て,激流が岩の下のほうを削るように激しく流れている情景を見たのでしょう。また,その水音は地を揺るがすように大きかったと感じたのかもしれません。
その音を自分がひそかに恋している相手とのウルサイ噂話に例えていると私は解釈しました。
否定しても,否定しても湧き上がる噂話は,まるで今のゴシップ記事のようだったのかも。
ても,お互いのために,激しい恋の気持ちは消すことはできないが,外向きには否定し続けるしかない。こんな苦しい作者の気持ちが伝わってきます。
最後は,相手を思う気持ちの激しさを滝から落ちる水の激しさを序詞として表現している短歌です。

石走る垂水の水のはしきやし君に恋ふらく我が心から(12-3025)
いはばしるたるみのみづの はしきやしきみにこふらく わがこころから
<<岩から水が奔流となって流れ落ちるように,あなたのことを激しく恋うのだ,我が心から>>

実は「垂水」も「滝」と訳されることがあります。ただ,万葉集では「垂水」は3首しか使われた和歌が見えず,今でいう「滝」を一般的にあらわす言葉ではなかったのではないかと私は想像します。
いずれにしても,落ちる水の激しさを自分の恋しい気持ちの激しさに例えたということでしょう。

ただ,これらの短歌を見た,聞いた人は,どう感じるでしょう?
「この作者たちの恋しい気持ちはすごい」と感じるでしょうか?
私は違うと思います。
「どんなすごい急流なんだろう?」「どんなすごい滝なんだろう?」「どんなすごい水音なんだろう?」と思い,「一度行って見てみたい」と感じるのではないでしょうか。
そういった広い意味のモノ,場所,情景などの珍しさを紹介することが巻11と巻12の編纂目的として,もう一度見てみるのも面白いかもしれませんね。
次回は「水」に関連して,「波」を見ていくことにします。
(序詞再発見シリーズ(22)に続く)

2017年7月6日木曜日

序詞再発見シリーズ(20) …万葉時代では多様な水の有り様を意識?

今回は,「水」を序詞に詠んだ万葉集の短歌を紹介します。ところで,九州豪雨で被害にあわれた方々に,心よりお見舞い申し上げます。
日本は万葉時代においても四季がはっきりして,年間雨量が多く(時として豪雨),川,池,沼,湖,雨などで水に接する機会は日常的だったり,日常的でなくても少なくなかったと想像できます。
今年はもう少しすると梅雨が明けそうです。
豪雨の被害を受ける一方で,水不足が心配な地域も出るかもしれません。
万葉時代から,水と親しんできた万葉人。万葉集にも「水」が多くが詠まれています。
その中でも,序詞はそこに出てくる言葉の位置づけやイメージを特定するのにもってこいと私は考えます。
さて,「水」を序詞に詠んだ短歌で最初に紹介するのは,明日香川の水をテーマとしたものです。

明日香川水行きまさりいや日異に恋のまさらばありかつましじ(11-2702)
あすかがはみづゆきまさり いやひけにこひのまさらば ありかつましじ
<<明日香川が水の勢いが強くなるように日増しに恋心が強くなっていくとし分は生きていけるのか>>

当時の明日香川が今日の飛鳥川であれば,確かにさほど大きな川ではないので,大雨が降れば,あふれるほどの水量となってしまうのかもしれません。
万葉人は明日香川の水量の変化をこの短歌の序詞のように見ていたことがわかりそうです。
次は別の川を取り上げた1首です。

ま薦刈る大野川原の水隠りに恋ひ来し妹が紐解く我れは(11-2703)
まこもかるおほのがはらのみごもりに こひこしいもがひもとくわれは
<<マコモが刈れるような広い大野川の河原が増水して分からなくなるように,他人に分からないよう恋してきた彼女の下着の紐を解いている私なのだ>>

枕詞らしい部分も訳しました。なかなか,きわどい短歌ですね。
秘密の恋ほど燃えるものはないということですね。
さて,今回の最後は山間部の急流の水を序詞に詠んだ短歌です。

あしひきの山下響み行く水の時ともなくも恋ひわたるかも(11-2704)
あしひきのやましたとよみ ゆくみづのときともなくも こひわたるかも
<<大きな山の下の沢を音を轟かせて流れてゆく水のように,私の心は絶え間なく恋心を持ち続ける>>

この短歌も枕詞を訳してみました。
大きな山の沢には,水が絶え間なく流れる渓流が似合います。
この短歌の作者が,それを知っている人とすれば,仕事でいろいろな場所を旅する人なのかもしれません。
その人には都に残した妻が居て,旅先の渓流の水の流れの豊富さを見て詠んだのかも知れませんね。
この夏,どこかの渓流に行って,涼みたくなりました。
(序詞再発見シリーズ(21)に続く)