今回は,「衣」それも当時粗末と扱われていた「衣」が序詞にどのように詠まれていたかを万葉集で見ていきます。
万葉時代では,すでに何らかの染色の技術,特に草木染の技法はかなり広まっていたことが万葉集からも想像ができます。ただ,染める目的は,染めていない布や衣よりもきれいに,かつ豪華に見せることがすぐに思い浮かびます。
ただ,日常使う衣で,汚れや黄ばみが目立たなくするために染めるという目的もあったかも知れません。
次は,そんな衣庶民的な衣を序詞に詠んだ短歌です。
橡の一重の衣うらもなくあるらむ子ゆゑ恋ひわたるかも(12-2968)
<つるはみのひとへのころも うらもなくあるらむこゆゑ こひわたるかも>
<<ツルバミに染めた一重の衣に裏地が無いように,あの娘の心は裏表がなく純真だからよけい恋しくなってしまう>>
橡はドングリの一種で,その葉や実を草木染の染色材として使ったとすれば,色は茶系だったろうと想像します。一重の衣ですから,その色に染めることで,白色に比べ衣の下が透けて見えるのを防止に役立ったのかも知れません。
この短歌の作者は,裏地のある高級な衣を着ているような金持ちは心に裏表があるかもしれないが,一重の廉価な衣を着ている娘は,世間ずれしないで純真で無垢な心をもっていると思ったのでしょう。
次は,製塩に携わる漁師が着る衣について,序詞に詠んだ短歌です。
志賀の海人の塩焼き衣なれぬれど恋といふものは忘れかねつも(11-2622)
<しかのあまのしほやきころもなれぬれど こひといふものはわすれかねつも>
<<志賀島の漁師がいつも着る塩焼き衣が定番のように私の恋というものも常時記憶からなくならない>>
万葉時代は,製塩を漁師やその家族が,漁の合間や夫や親が漁で留守の間にやっていたのだと私は想像します。
製塩技法は,海水を綺麗な砂を敷き詰めた塩田に撒き,天日で水分を飛ばし,砂と一緒に乾いた塩を採取。それを少量の真水に溶かし,砂が沈んだ上澄みの濃縮塩水を焚火で焼いた石の上に振りかけ,水分が飛んで石に残った塩を採取するような製法だったと私は想像します。
その作業をする人たちは,屋外での作業で長く使っていても丈夫な麻などの不厚い衣だったのかも知れません。今でいうデニムのような生地かもですね。当然,長く着ているうたに,塩を焼く焚火のススやに直射日光にあたり,古びた柔道着の色のように,独特の色に変化していたのでしょう。
それが,製塩作業をする人の定番作業着として,作業を見学する人たちには映っていたのだろうと私はこの短歌から想像します。
次は,製塩作業する人の作業着として,別の呼び方の衣があったことを物語る短歌です。
大君の塩焼く海人の藤衣なれはすれどもいやめづらしも(12-2971)
<おほきみのしほやくあまのふぢころも なれはすれどもいやめづらしも>
<<献上する塩を焼く漁師が着る藤衣は着慣れているところを見るときっと特別に仕立てたものなのだろう>>
この短歌に出てくる「藤衣」については,どんな衣か諸説があるようです。
2012年11月1日の投稿では「藤衣はとても織り目が粗く,肌が透けて見えるほど」と私は書いていますが,今は少し違ったものではないかと考えています。
それは,御門に献上するための特別な塩田などで製塩作業をしている人を区別するため,着ていた藤色に染めた作業着のことを指したのではないかと。
藤衣は塩焼き衣に比べたら,薄くて丈夫じゃなさそうに見えるけれど,作業している人たちがテキパキとやっているのを見ると,サマになっていると作者は感じたのかも知れません。
当然でしょうね。大君に献上するような塩を作っている製塩のプロですから,漁師の片手間とは違うスピード感で作業を進めているようにも感じます。
万葉時代は製塩は漁師が片手間にやる作業という常識から,高品質な献上塩を作る専門の製塩工プロという職業が生まれ始めた時期なのかもしれません。
(序詞再発見シリーズ(30:本シリーズおわり)に続く)
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