今年のゴールデンウィークは,カレンダーとおりの仕事で,私にとって昨日から始まった感じです。
まったく,昨日は結局あまり計画したことができず,日ごろの疲れをいやす感じでした。
今日は,午前から夜にかけて,横浜,新宿,池袋など,久しぶりに繁華街を満喫する予定です。
さて,「序詞再発見シリーズ」は植物と万葉集の序詞を見始めていますが,2回目の今回は「松」を序詞に入れた巻11,12の短歌を紹介します。
最初は,荒波が打ち寄せる磯に生える松(荒磯松)を詠んだ短歌です。
あぢの住む渚沙の入江の荒礒松我を待つ子らはただ独りのみ(11-2751)
<あぢのすむすさのいりえのありそまつ あをまつこらはただひとりのみ>
<<アジガモが生息している渚沙の入江にある荒磯松(ありそまつ),(あをまつ)私を待っていてくれる妻はただひとりだけ>>
この短歌の序詞には,地名(渚沙の入江),動物(あぢ),植物(松)が詠み込まれています。
「渚沙の入江」は「スサノヲノミコト(須佐之男命)」の「須佐」との関係から,各地で「須佐」のつく地名や神社のある場所がありえるようです。いずれにしても,この入り江は海のない奈良地方の京からは離れた場所であることは間違いなさそうですね。
「あぢ」は「アジガモ」のことで,当時食用にしていたので「あぢ(味)」と呼ばれていたとの説もあります。
結局,アジガモがたくさん飛んでいて,荒波で洗われた絶壁に這いつくように生えている松が美しい風光明媚な「渚沙の入江」の情景が,私には絵のように見えてきます。万葉時代に「渚沙の入江」は,京人が行きたいあこがれの地だったのかもしれません。
次は,同じく磯の岩に小さく生えている「松」を取り上げた短歌です。
礒の上に生ふる小松の名を惜しみ人に知らえず恋ひわたるかも(12-2861)
<いそのうへにおふるこまつの なををしみ ひとにしらえずこひわたるかも>
<<人が容易に行けない磯の上に人知れず小さく生えている松、人知れずひそかに恋いしい思いが続いている>>
この短歌の作者は,人々がなかなか行けない秘境のおそらく非常に厳しい環境に耐えながら,必死に生きている小松を想像して,この短歌を詠んだと私は理解します。今でも根強くある秘境ブーム。万葉時代には,全国各地の秘境の珍しい風景の情報が風土記などの編纂で京人につぎつぎと入ってきて,秘境への誘い効果があったのかもしれません。
最後は,松の一部を序詞に詠んだ短歌です。
奈良山の小松が末のうれむぞは我が思ふ妹に逢はずやみなむ(11-2487)
<ならやまのこまつがうれの うれむぞはあがおもふいもに あはずやみなむ>
<<奈良山の小松が末(うれ)のように,うれむぞ(結局)は,私がぞっこんの彼女には逢わずに恋は終わることになるだろう>>
この短歌に出てくる「うれむぞ」は万葉集のみに見える言葉らしいです。万葉集でも「うれむぞ」の用例がこの短歌を含め2例しかないのです。元の万葉仮名もまったく違う漢字であり,どこまで当時使われていた言葉か微妙な感じがします。もしかしたら,ごく限られた人しか使わない当時のスラングだったのかもしれません。
松の葉先はとがって先が細くなっています。先細りしかない我が恋が切ないのはいつの時代も同じなのでしょうか。
(序詞再発見シリーズ(16)に続く)
2017年5月4日木曜日
2017年1月22日日曜日
序詞再発見シリーズ(5) ‥ 東歌の序詞には東国の大きな鳥類も紹介?
今年は酉年ですが,万葉集の東歌の短歌で使われている序詞には何種類かの鳥(雉,鷲,鴨,鶴,アジ)が出てきます。
今回は鳥を中心に紹介します。最初は「鷲」です。
筑波嶺にかか鳴く鷲の音のみをか泣きわたりなむ逢ふとはなしに(14-3390)
<つくはねにかかなくわしの ねのみをかなきわたりなむ あふとはなしに>
<<筑波嶺でけたたましく鳴きたてる鷲の鳴き声が山々に響き渡るように泣き続けよう,もう君と逢うことができないから>>
鷲は万葉集では3首でしか出てきません。筑波嶺が2首で,越中が1首です。
そのため,関西地方には当時鷲はあまり目立った存在ではなかったのではないかと想像で
きます。
まさに,東国の筑波山や越中に行けば,大きな声で鳴くワシを見ることができると,旅行に誘っているように私は感じます。
次は東歌で鴨が出てくる短歌を見てみましょう。
まを薦の節の間近くて逢はなへば沖つま鴨の嘆きぞ我がする(14-3524)
<まをごものふのまちかくて あはなへばおきつまかもの なげきぞあがする>
<<細か編んだムシロの節の間が短いようには逢えず,沖にいるマガモが嘆き鳴くように僕も泣く>>
もう1首はアジガモを詠んだ短歌です。
あぢの棲む須沙の入江の隠り沼のあな息づかし見ず久にして(14-3547)
<あぢのすむすさのいりえの こもりぬのあないきづかし みずひさにして>
<<須沙の入江にあるひっそりたたずむ沼に棲むアジガモのように,ああなんて大きなため息がでるのだろう。君に長らく逢えなくて>>
アジガモは食用にされた鴨で,人間に食べられる運命か,大きなため息をついているように聞こえたのかもしれません。
最後は東歌に出てくる鶴を見ます。
坂越えて安倍の田の面に居る鶴のともしき君は明日さへもがも(14-3523)
<さかこえて あへのたのもにゐるたづの ともしききみはあすさへもがも>
<<坂を越えて安倍の田にいる鶴たちのように恋しいあの方に明日も一緒にいたいなあ>>
安倍の田は,安倍川の周辺にある稲田のことでしょうか。万葉時代には,多くの鶴が高い山を越えて越冬に来ていたのかもしれませんね。
つがいの鶴がいっぱいいて,仲良さそうにしているのがうらやましく感じたのでしょうね。
<愛猫「あう」天寿全う>
さて,我が家のネコたちのなかで最年長だった「あう」が先週死にました。
「あう」は2010年8月に「ラン」が死んだあと,我が家で長老として君臨してきました。
写真はまだ元気だったころのものです。長生きネコちゃんとして,近所でも評判でした。
段ボールにあうの遺体と,近所の人が「入れてあげて」とくださった花,庭に一輪だけ咲いていた水仙と椿の花,樒(シキミ)の葉を入れ,近くのお寺に納め,荼毘に付してもらいました。
野良ネコとして我が家に十数年前に来て,享年はおそらく20歳ぐらいだったと思います。
3週間ほど前から食事をほとんど食べなくなり,衰弱が急速に進み始めました。
最期は,昼過ぎに妻が買い物から帰ってくるのを待っていたように,妻があうの顔をのぞき込んだとき,妻に顔を向け,少し大きな息をして,小さな鳴き声を発し,そのあと少しして息をしなくなったとのことです。
妻から勤務先に「あうが死んだ」とのメールがあり,夜帰宅してあうの顔を見て,安らかな最期だったことを確認できました。
他のネコたちも「あう」がいなくなって,落ち着かない様子がまだ続いています。
天の川 「あうちゃんにはいっぱい遊んであげたさかい,やっぱり寂しいな~。」
私のプロフィールのあうの写真は,もう少しそのままにしておきます。
(序詞再発見シリーズ(6)に続く)
今回は鳥を中心に紹介します。最初は「鷲」です。
筑波嶺にかか鳴く鷲の音のみをか泣きわたりなむ逢ふとはなしに(14-3390)
<つくはねにかかなくわしの ねのみをかなきわたりなむ あふとはなしに>
<<筑波嶺でけたたましく鳴きたてる鷲の鳴き声が山々に響き渡るように泣き続けよう,もう君と逢うことができないから>>
鷲は万葉集では3首でしか出てきません。筑波嶺が2首で,越中が1首です。
そのため,関西地方には当時鷲はあまり目立った存在ではなかったのではないかと想像で
きます。
まさに,東国の筑波山や越中に行けば,大きな声で鳴くワシを見ることができると,旅行に誘っているように私は感じます。
次は東歌で鴨が出てくる短歌を見てみましょう。
まを薦の節の間近くて逢はなへば沖つま鴨の嘆きぞ我がする(14-3524)
<まをごものふのまちかくて あはなへばおきつまかもの なげきぞあがする>
<<細か編んだムシロの節の間が短いようには逢えず,沖にいるマガモが嘆き鳴くように僕も泣く>>
もう1首はアジガモを詠んだ短歌です。
あぢの棲む須沙の入江の隠り沼のあな息づかし見ず久にして(14-3547)
<あぢのすむすさのいりえの こもりぬのあないきづかし みずひさにして>
<<須沙の入江にあるひっそりたたずむ沼に棲むアジガモのように,ああなんて大きなため息がでるのだろう。君に長らく逢えなくて>>
アジガモは食用にされた鴨で,人間に食べられる運命か,大きなため息をついているように聞こえたのかもしれません。
最後は東歌に出てくる鶴を見ます。
坂越えて安倍の田の面に居る鶴のともしき君は明日さへもがも(14-3523)
<さかこえて あへのたのもにゐるたづの ともしききみはあすさへもがも>
<<坂を越えて安倍の田にいる鶴たちのように恋しいあの方に明日も一緒にいたいなあ>>
安倍の田は,安倍川の周辺にある稲田のことでしょうか。万葉時代には,多くの鶴が高い山を越えて越冬に来ていたのかもしれませんね。
つがいの鶴がいっぱいいて,仲良さそうにしているのがうらやましく感じたのでしょうね。
<愛猫「あう」天寿全う>
さて,我が家のネコたちのなかで最年長だった「あう」が先週死にました。
「あう」は2010年8月に「ラン」が死んだあと,我が家で長老として君臨してきました。
写真はまだ元気だったころのものです。長生きネコちゃんとして,近所でも評判でした。
段ボールにあうの遺体と,近所の人が「入れてあげて」とくださった花,庭に一輪だけ咲いていた水仙と椿の花,樒(シキミ)の葉を入れ,近くのお寺に納め,荼毘に付してもらいました。
野良ネコとして我が家に十数年前に来て,享年はおそらく20歳ぐらいだったと思います。
3週間ほど前から食事をほとんど食べなくなり,衰弱が急速に進み始めました。
最期は,昼過ぎに妻が買い物から帰ってくるのを待っていたように,妻があうの顔をのぞき込んだとき,妻に顔を向け,少し大きな息をして,小さな鳴き声を発し,そのあと少しして息をしなくなったとのことです。
妻から勤務先に「あうが死んだ」とのメールがあり,夜帰宅してあうの顔を見て,安らかな最期だったことを確認できました。
他のネコたちも「あう」がいなくなって,落ち着かない様子がまだ続いています。
天の川 「あうちゃんにはいっぱい遊んであげたさかい,やっぱり寂しいな~。」
私のプロフィールのあうの写真は,もう少しそのままにしておきます。
(序詞再発見シリーズ(6)に続く)
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