2017年1月22日日曜日

序詞再発見シリーズ(5) ‥ 東歌の序詞には東国の大きな鳥類も紹介?

今年は酉年ですが,万葉集東歌の短歌で使われている序詞には何種類かの(雉,鷲,鴨,鶴,アジ)が出てきます。
今回は鳥を中心に紹介します。最初は「」です。

筑波嶺にかか鳴く鷲の音のみをか泣きわたりなむ逢ふとはなしに(14-3390)
つくはねにかかなくわしの ねのみをかなきわたりなむ あふとはなしに
<<筑波嶺でけたたましく鳴きたてる鷲の鳴き声が山々に響き渡るように泣き続けよう,もう君と逢うことができないから>>

鷲は万葉集では3首でしか出てきません。筑波嶺が2首で,越中が1首です。
そのため,関西地方には当時鷲はあまり目立った存在ではなかったのではないかと想像で
きます。
まさに,東国の筑波山や越中に行けば,大きな声で鳴くワシを見ることができると,旅行に誘っているように私は感じます。

次は東歌でが出てくる短歌を見てみましょう。
まを薦の節の間近くて逢はなへば沖つま鴨の嘆きぞ我がする(14-3524)
まをごものふのまちかくて あはなへばおきつまかもの なげきぞあがする
<<細か編んだムシロの節の間が短いようには逢えず,沖にいるマガモが嘆き鳴くように僕も泣く>>

もう1首はアジガモを詠んだ短歌です。

あぢの棲む須沙の入江の隠り沼のあな息づかし見ず久にして(14-3547)
あぢのすむすさのいりえの こもりぬのあないきづかし みずひさにして
<<須沙の入江にあるひっそりたたずむ沼に棲むアジガモのように,ああなんて大きなため息がでるのだろう。君に長らく逢えなくて>>

アジガモは食用にされた鴨で,人間に食べられる運命か,大きなため息をついているように聞こえたのかもしれません。
最後は東歌に出てくるを見ます。

坂越えて安倍の田の面に居る鶴のともしき君は明日さへもがも(14-3523)
さかこえて あへのたのもにゐるたづの ともしききみはあすさへもがも
<<坂を越えて安倍の田にいる鶴たちのように恋しいあの方に明日も一緒にいたいなあ>>

安倍の田は,安倍川の周辺にある稲田のことでしょうか。万葉時代には,多くの鶴が高い山を越えて越冬に来ていたのかもしれませんね。
つがいの鶴がいっぱいいて,仲良さそうにしているのがうらやましく感じたのでしょうね。
<愛猫「あう」天寿全う>
さて,我が家のネコたちのなかで最年長だった「あう」が先週死にました。
あう」は2010年8月に「ラン」が死んだあと,我が家で長老として君臨してきました。

写真はまだ元気だったころのものです。長生きネコちゃんとして,近所でも評判でした。
段ボールにあうの遺体と,近所の人が「入れてあげて」とくださった花,庭に一輪だけ咲いていた水仙と椿の花,樒(シキミ)の葉を入れ,近くのお寺に納め,荼毘に付してもらいました。
野良ネコとして我が家に十数年前に来て,享年はおそらく20歳ぐらいだったと思います。
3週間ほど前から食事をほとんど食べなくなり,衰弱が急速に進み始めました。
最期は,昼過ぎに妻が買い物から帰ってくるのを待っていたように,妻があうの顔をのぞき込んだとき,妻に顔を向け,少し大きな息をして,小さな鳴き声を発し,そのあと少しして息をしなくなったとのことです。
妻から勤務先に「あうが死んだ」とのメールがあり,夜帰宅してあうの顔を見て,安らかな最期だったことを確認できました。
他のネコたちも「あう」がいなくなって,落ち着かない様子がまだ続いています。

天の川 「あうちゃんにはいっぱい遊んであげたさかい,やっぱり寂しいな~。」

私のプロフィールのあうの写真は,もう少しそのままにしておきます。
(序詞再発見シリーズ(6)に続く)

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