2017年1月6日金曜日

序詞再発見シリーズ(2) ‥ 東歌の序詞は立派な観光案内?

正月休みはあっという間に終わり,私「たびと」は本業のソフトウェア保守開発の職場に出勤しています。今日は通院のため午前休暇で,ついでにこのブログをアップしています。
相変わらず,私の本業の仕事は無くなりません。ただ,つき合っている人たちのモチベーションがソフトの保守というだけで,下がってしまうのは何とかしてほしいですね。
本業のブログ( http://ameblo.jp/tabito-2016/  )も年明け快調にアップしていますよ。
さて,序詞再発見の2回目からしばらくは,巻14の東歌を見ていくことにします。
東歌で序詞に出てくるものはいろいろありますが,地名がたくさん使われていることが特徴の一つだと私は思います。
たとえば,次の短歌です。

鎌倉の見越しの崎の岩崩えの君が悔ゆべき心は持たじ(14-3365)
かまくらのみごしのさきの いはくえのきみがくゆべき こころはもたじ
<<鎌倉の見越しの崎の岩が崩れるような,この恋が崩れてあなたが悔やむような気持は一切ないよ>>

ここから東国には鎌倉(可麻久良)と呼ばれる地がある。その近くに海岸があり,見越しの崎( 美胡之能佐吉)と呼ばれる場所がある。
見越しの崎は長年の浸食によって,今にも崩れそうな奇岩があることが見えます。
少なくとも,奈良にいる京人は「今にも崩れそうな奇岩とはどんなものだろう」と興味を持つのではないかと私は想像します。
その結果,鎌倉と見越しの埼という地名は京人にインプットされ,東国へ出張する役人に「見てきてほしい」と頼む人が出てくるかもしれません。
東歌にはそのような事例が他にも多くあります。

相模道の余綾の浜の真砂なす子らは愛しく思はるるかも(14-3372)
さがむぢのよろぎのはまの まなごなすこらはかなしく おもはるるかも
<<相模街道に面した余綾の浜のきれいな砂が無数にあるのように,あの娘のことが限りなくい恋しく思われるなあ>>

相模道という街道があって,その街道は海岸沿いに通っている。
海岸には余綾の浜(余呂伎能波麻)という砂浜が延々と続いている場所(現在の大磯近辺?)がある。
その砂浜はきれいな砂でずっと被われている。
こんか風光明媚な場所であることが想像できます。

筑波嶺の岩もとどろに落つる水よにもたゆらに我が思はなくに(14-3392)
つくはねのいはもとどろに おつるみづよにもたゆらに わがおもはなくに
<<筑波嶺で岩をも響かせる滝の水の跳ねる方向が定まらないような私の気持ちではないのに>>

筑波嶺という大きな山があり,そこには硬い岩をも響かせるような大きな滝がある。
滝の水は勢いがよく四方八方に飛び散っている。
ところが,現在の筑波山には残念ながら大きな滝がないのです。万葉時代は今とは違っていたかもしれませんが,地形が大きく変わっていないとすれば大きな滝があった可能性は低そうです。
もしかして,この短歌は誇大広告だったのかも?

天の川 「そんなことは,ようあることやんか。ベルギーの『小便小僧』,デンマークの『人魚姫』,シンガポールの『マーライオン』おまけに大阪の『通天閣』なんか,初めて見た人は『がっかり』するそうやで。」

天の川君は意外と物知りだね。感心したよ。

天の川 「ちょっと前にパソコンをええやつに変えてな,ネットに「ねっとり」はまってんねん。まあ,その受け売りやねっと。」

天の川君のくだらないダジャレはスルーしましょう。
東歌にはそのほかにもたくさん地名が出てくる序詞があります。東歌は京人に東国へいざなう観光ガイドブックではないかと私が感じるゆえんです。
多くの人が東国と行き来すれば,東国の発展が促されるだけでなく,途中の街道の宿場町なども活気づくわけですからね。
(序詞再発見シリーズ(3)に続く)

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