2017年1月11日水曜日

序詞再発見シリーズ(3) ‥ 東歌の序詞は東国の高価値植物案内?

今回も前回に引き続き,東歌で使われている序詞について万葉集を見ていくことにします。
前回は地名でしたが,今回は植物の名が出てくる東歌の序詞にポイントを絞ります。

我が背子をあどかも言はむ武蔵野のうけらが花の時なきものを(14-3379)
わがせこをあどかもいはむ むざしののうけらがはなの ときなきものを
<<あの子がいう武蔵野のうけらの花のように目立つようなそぶりを出さずにいられようか>>

ここに出てくる「うけら」は,後に「を(お)けら」と呼ばれ,大晦日から元旦にかけて京都の八坂神社に詣でる「おけら詣り」,また正月の屠蘇散(正月に飲む薬)の原料(漢方)の一つとして根が使われ,根を焼いた煙は蚊取り線香の煙のように夏の虫よけにもなっていたらしいというものです。
「うけら」は万葉集ではこの他に2首に出てきますが,どれも東歌です。
薬効のある「うけら」が関東の武蔵野という地に群生していた可能性が万葉集から想像できます。
仮に「うけら」が万葉時代では貴重な薬効植物で,常に不足している状態とすれば,東国は不足資源の供給地として注目されることになります。
次は,について詠んだ短歌です。

上つ毛野安蘇のま麻むらかき抱き寝れど飽かぬをあどか我がせむ(14-3404)
かみつけのあそのまそむら かきむだきぬれどあかぬを あどかあがせむ
<<上野(かみつけ)の安蘇の地で採れる麻の束を抱くようにお前を抱いて寝るのをずっと続けたい。俺はどうしたらよいのか>>

上野(今の群馬県か栃木県の一部)の安蘇の地は,栃木県に以前あった安蘇郡との関係もあるかもしれません。
その地では,麻の栽培が盛んだったことがこの短歌からうかがえます。
この地にヤマト民族は東国に先住していたアイヌ民族を追い払うという侵略を行い,入植し,開墾,広い土地に農作物の大量に栽培をしていたのでしょうか。
特に,麻は成長が早く,衣類,漁網,工作物,そして高い薬効など,その用途も広く,需要は絶えることは無かったと想像します。
最後は「大藺草」(「イグサ」の大きいものではなく「フトイ」という植物らしい)を詠んだ短歌です。

上つ毛野伊奈良の沼の大藺草外に見しよは今こそまされ(14-3417)
かみつけのいならのぬまのおほゐぐさ よそにみしよはいまこそまされ
<<上野の伊奈良の沼に生えている大藺草が遠くで見るより近くで見るほう美しいように,今近くで見ているお前がずうっと恋しく幸せだよ>>

この短歌の「伊奈良の沼」は,今の群馬県の南東部にあり,そして近くには大きな渡良瀬遊水地がある板倉町あたりに当時あった沼のことらしいです。
この短歌の主人公の男性は「大蘭草」を近くで見て形の良いものを選別して刈り取り,束ね揃えて出荷する仕事をしていたのかもしれません。
また,「大藺草」は遠くからは目立たない小さい花を咲かせるため,その花を見るには近くで見る必要があったようです。

天の川 「たびとはんな。わてにも顔の真ん中に可憐な小さなハナがあるで。近こう来て見て~な。」

天の川君の顔は,できるだけ遠くから眺めることにしましょう。
さて,「大蘭草」(フトイ)は乾燥させて,すだれ,行李(旅行鞄),部屋の仕切りや屋根葺きの材料,夏の敷物,着火性の良い燃料,かがり火,松明などに使われる好材料だったのだと私は思います。
これらの短歌を当時の中国大陸朝鮮半島の人たちが見ると,日本はヤマト朝廷の京(みやこ)がある近辺だけでなく,その東方に有用な植物資源が豊富にある土地が広くあり,日本はそれらの輸入先として貿易相手国になるえると考えたかもしれません。
その結果,万葉時代の東国からは,近畿へ多くの物資が陸路・海路で送られ,その中には朝鮮,中国に輸出されたものもたくさんあったと私は思いを巡らせるのです。
(序詞再発見シリーズ(4)に続く)

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