今回は,その他の雲を序詞に詠んだ万葉集の短歌を紹介します。
最初は,雲と月の関係を詠んだ短歌です。
雲間よりさ渡る月のおほほしく相見し子らを見むよしもがも(11-2450)
<くもまよりさわたるつきの おほほしくあひみしこらを みむよしもがも>
<<雲間を通る月が時より顔を少し見せるように,やっと互いに出会った乙女よ,もう見ることはできないのだろうか >>
美しい月を見たいと思って夜空を見上げても,雲が邪魔をして見られない。雲の切れ間からようやく少し見えることがあったとしても,すぐに次の雲に隠されてしまい,次にいつ見られるのか予想もつかない。
そんなイライラした状況を,好きな彼女の姿を見るチャンスがなかなか来ない苛立ちら例えているのでしょうか。逆に,なかなか見ることができないからこそ,名月も彼女の姿もより見たいという気持ちになるのだと私は思います。
次も雲と月(三日月)の関係を詠んだ短歌です。
三日月のさやにも見えず雲隠り見まくぞ欲しきうたてこのころ(11-2464)
<みかづきのさやにもみえず くもがくりみまくぞほしき うたてこのころ>
<<三日月のようにはっきりと見えないうえに雲にまで隠れてしまう。そのように,なかなか発見できないお姿を見たいという思いが いっそうつのるこの頃なのです>>
この短歌は,最初の短歌よりも,なかなか姿が見られず,見たい気持ちが募る思いをストレートに詠んでいます。満月だと薄い雲に覆われても何とか見ることはできますが,三日月だと薄い雲でも隠されてしまう確率が高くなってしまいます。
万葉時代,月の満ち欠けが恋の成就の確率に関する縁起モノ(満月に近づくと逢える可能性が高いなど)として見られていたのかも知れませんね。
最後は,雲が発生するはるか遠くをイメージした短歌です。
波の間ゆ雲居に見ゆる粟島の逢はぬものゆゑ我に寄そる子ら(12-3167)
<なみのまゆ くもゐにみゆるあはしまの あはぬものゆゑわによそるこら>
<<波の間から雲が出る場所のように遠い場所に見える粟島のように,彼女とは逢わずにいるのに,私には彼女と出来ているという根も葉もない噂が聞こえる>>
「雲居」という言葉は,この場合「遠く」という意味で使われていると解釈しました。
粟島は「淡路島」のことなのか,それとも別の島なのか気になりますが,島の名称がポイントのため。ここはスルーします。
いずれにしても「雲」というものは,万葉人にとってコントロールできないものの代名詞の一つだった可能性を私は感じますね。
(序詞再発見シリーズ(27)に続く)
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