いろいろ書き物があって少し間が開いてしまいました。
さて,今回は松以外の万葉集の序詞で出てくる高木樹について紹介します。
最初は,槻(今はケアキと呼ばれている)が序詞に出てくる短歌です。
天飛ぶや軽の社の斎ひ槻幾代まであらむ隠り妻ぞも(11-2656)
<あまとぶやかるのやしろのいはひつき いくよまであらむこもりづまぞも>
<<天を飛ぶようなすごい軽の社の神聖なケヤキの木のように、いついつまでもこのように隠し妻でいるのか>>
万葉時代,各地で神を祀(まつ)る社のまわりには,木が植えられていたのだろうとこの短歌から想像できます。
その木は神を守る役目があり,社のことを「もり」と発音することがあるのは,「守る」からきているためかも知れません(私の勝手な解釈です)。その木の中でも一番立派に育った木をご神木として崇めたり,しめ縄を張ったりした可能性がありそうです。
「槻」は後世に欅(けやき)という名前が付き,それからは欅の名前が広まったようです。
今も地名や苗字に,高槻,岩槻,大槻などがあるように,他の木に比べて,大きく,他の木を覆い隠すほど立派に育つことから,槻は神木として扱われることも多かったのかも知れません
では,次の短歌に移り...。
天の川 「ちょっと待ってんか,だびとはん! 隠し妻の話はせえへんのかいな?」
天の川君ね,私に隠し妻を持てるような甲斐性があるはずもなく,ここは序詞から当時の様子をイメージしている記事なんですよ。
天の川 「なんや。オモロないなあ~。『万葉時代の不倫の実態を暴く!』な~ちゅのはどや? 超ウケるんちゃうか?」
え~と。 次は桃が序詞に出てくる短歌です。
大和の室生の毛桃本繁く言ひてしものをならずはやまじ(11-2834)
<やまとのむろふのけもも もとしげくいひてしものを ならずはやまじ>
<<室生に咲く毛桃の花の元の枝に葉が繁るように、繁く声を掛けたのだからこの恋は実らないはずはないだろう>>
奈良盆地の桜井市が伊勢方面に初瀬街道が伸びていますが,長谷寺,宇陀を過ぎてさらに山間を進むと以前室生村と呼ばれた地域を通ります。この地は初瀬街道の宿場として栄え,伊勢と奈良とを行き来する行商人や旅人に寄ってもらうため,観光資源の一つとして毛桃の花が見事というPRをしていたのかもしれません。
そんな「毛桃の花」が綺麗という評判をもとにこの短歌の序詞は詠まれたのだと私は想像したいですね。
以前(2011.2.27)このブログで『「言繁く」の繁る対象が木の葉であることから「言葉」という用語ができた』と書きましたが,この短歌もそれを思い出させる1首です。
さて,今回の最後は橡(つるはみ)が序詞に出てくる短歌です。
橡の衣解き洗ひ真土山本つ人にはなほしかずけり(12-3009)
<つるはみのきぬときあらひまつちやま もとつひとにはなほしかずけり>
<<橡の衣を解き洗うから思い出される真土山とその麓にいる人,つまり元カノよりいいのはやはりいないよ>>
真土山がなぜ橡の枯葉で染めた衣の縫った糸を解き,洗うことと関係があるのか,その理由は想像するしかありません。
<私の序詞へのアプローチ方法>
私は序詞を見ていくとき,この関係は何か? 例えば音が似ているのか,形が似ているのか,動きが似ているのか,風習が似ているのかなどを想像するのが楽しいのです。
大万葉学者先生や超有名歌人の説はおいといて,私は感じたまま想像するのでよいと思っています。学者先生や歌人さんがやるような理詰めで論理を考えることは,私の専門分野ではありませんが,そのうちAI(人工知能)技術あたりがやってしまいますね。
私は万葉集の和歌を見て,詠まれた情景を想像するのは,これからきっと必要となる有効な直感や第六感(シックスセンス)を磨くのに良いツールだと考えています。
さて,その私の直感ですが,黄ばんだ,そして汚れた衣を綺麗に洗い,リフォームすることが,当時すでに職業としてあったのだろうと思います。
その職人が真土山の麓あたり(今の奈良県五條市付近)にたくさんいたと考えると状況のイメージができそうです。吉野川の綺麗で豊富な水も利用されていたのでしょうから。
真土山はその名が示すように,良い土が採取でき,手先の器用な陶器職人(陶人<すゑひと>)も多くいたかも知れませんね。
(序詞再発見シリーズ(17)に続く)
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