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2016年3月21日月曜日

改めて枕詞シリーズ…いさなとり(2:まとめ) 海は別れの場,死の危険も潜む場?

枕詞「いさなとり」の1回目(前半)は短歌,旋頭歌,長歌のそれぞれで使われている例を万葉集から紹介しました。後半はすべて長歌で使われている例を紹介しますが,長い長歌ばかりですので,それぞれ一部の紹介に留めます。
まず最初は,柿本人麻呂が石見(いはみ)の国で仲の良い妻の一人とされている依羅娘子(よさみのをとめ)との別れを詠んだ長歌です。

~鯨魚取り海辺を指して 和多津の荒礒の上に か青なる玉藻沖つ藻 朝羽振る風こそ寄せめ 夕羽振る波こそ来寄れ~(2-131)
<~いさなとりうみへをさして にきたづのありそのうへに かあをなるたまもおきつも あさはふるかぜこそよせめ ゆふはふるなみこそきよれ~>
<<~海の沖から海辺に向け和多津の荒磯の上に青々と生える美しい藻,そこでは朝は強い風が寄せ、夕方には強い波が寄せて来る~>>

この長歌は,美しく藻が強い風で寄ってくるように,いつも寄り添っていた妻と別れなければならない感情を詠っています。「いさなとり」を前に置くことによって,海辺の長さと海の大きさを表していると私は感じます。妻と愛し合った時間の長さと寄り添って生きた幸せの大きさを示すのに「いさなとり」は相応しい枕詞でしょう。
次も人麻呂の長歌です。人麻呂が讃岐(さぬき)の国の沙弥島(さみねのしま)に行ったとき,海岸で横たわる死人を見て詠んだ1首です。

~沖見ればとゐ波立ち 辺見れば白波騒く 鯨魚取り海を畏み 行く船の梶引き折りて をちこちの島は多けど 名ぐはし狭岑の島の~(2-220)
<~おきみればとゐなみたち へみればしらなみさわく いさなとりうみをかしこみ ゆくふねのかぢひきをりて をちこちのしまはおほけど なぐはしさみねのしまの~>
<<~沖を見るとうねりが立ち,岸辺を見ると白波がいっぱい立っている。大海を恐み,航行する船の梶を引込め,あちらこちらに島は多いが,名も麗しい狭岑の島の~>>

この島のごつごつした岩床に臥す死人の家を知っていれば家族に知らせることもできるが,何も答えてくれない。キミの奥さんはキミの帰りを心待ちにしているだろうにと悔やみの言葉を詠んでいるのです。
今も飛行機事故で犠牲になる人がいますが,万葉時代は海難で死ぬ人が多かったのでしょう。捜索もできず,流れ着いた死骸で事故の様子を想像するしかなかった時代です。でも,より豊かな暮らしをするために,ヒトやモノを輸送したり,漁業をする船(舟)と船乗り(海人)は,いつも危険と隣り合わせの職業として必要だったでしょう。そして,その人たちによる交易や生業によって,別に潤う人が多くいたに違いありません。
<経済学的に見て見れば>
経済が発展する過程で,事故などによる犠牲者をゼロにすることは不可能ではないですが,ゼロにすることイコール経済の成長を止めることにほかなりません。経済の成長が止まっても犠牲者をゼロにすべきと考える人がいるかもしれません。しかし,経済の成長を止めると,間違いなく経済学用語でいう縮小再生産(リセッション)に入ります。
その結果として,事業が破たんして多くの失業者を出し,その結果ローンが払えない,食べるものが買えない,医療費が払えないなどで自ら命を絶つ人が増える可能性が高くなります。リセッションも犠牲者を出すことになります。
亡くなられた方のご遺族の悲しみの深さを理解し,場合によっては寄り添って助けることも必要かもしれません。ただ,その犠牲が出たことだけをとりあげ,人類の未来をマクロに豊かにする研究や投資を否定したり,何でも反対するだけという行為に私は賛同できません。
<万葉集から見える万葉時代の社会>
万葉集に私が興味を持つことの一つとして,万葉時代には今の日本の礎となる大改革を当時の為政者が行い,その結果のメリット/デメリットがどんなものかを想像できる情報がちりばめられているからなのです。たいへんな痛みを伴ったけれども,結果として今の日本文化はその改革が無かったら,もっと違ったものになっていたかもしれないだけでなく,日本という国が今はないかもしれないと私は思うのです。
特に,律令制度や大陸の技術の導入,そして仏教の導入の影響は大きかったと私は思うのです。
今,起源がインド,中国,朝鮮半島という何らかのものでも,日本が導入し,独自の発展と高度化(改善)により,本家よりも魅力的になっているモノが多くあります。
さらに,戦後においてもアメリカの品質管理やコンビニのノウハウが日本に導入され,本家よりも優れた状態となり,逆にその成果が世界に広まっている状況です。
さて,最後は笠金村(かさのかねむら)が越前の敦賀湾の奥にある港から船に乗った時に詠んだ長歌です。

越の海の角鹿の浜ゆ 大船に真楫貫き下ろし 鯨魚取り海道に出でて 喘きつつ我が漕ぎ行けば~(3-366)
<こしのうみのつのがのはまゆ おほぶねにまかぢぬきおろし いさなとりうみぢにいでて あへきつつわがこぎゆけば ~>
<<越前の敦賀の浜を通って,大船のメインオールを下して大きな海道に出て,オールを漕ぐ水夫の喘ぎ声を聞きながら進むと~>>

船旅は始まったばかりなのでしょう。行き先は越前の北の方か,能登半島を周って越中なのかは分かりませんが,この後に金村は南の方にある大和に連なる山を見て,望郷の思いを詠っています。
私は京都に住んでいた中学生・高校生の頃,何度も敦賀湾に海水浴に行きました。そのとき,苫小牧との間を結ぶ大型フェリーを見て,ここが海の交通の要所であることを感じていました。
そのため「いさなとり」が枕詞としてこの長歌で使われていても,特に違和感を感じることはありません。
改めて枕詞シリーズ…うつせみの(1)に続く。

2016年1月3日日曜日

400回記念スペシャル(3:まとめ)…2016年も「爆買い」期待?

正月休みもあっという間に終わり,明日からは私の専門職であるソフトウェア保守開発の職場に向かいます。正月は担当システムで正常でないことが起これば携帯電話に連絡が入り,自宅から関係者に連絡をする手配を用意していました。今年の3ヶ日は,システムすべて正常に動作したようで,気持ちよく出勤ができそうです。
400回記念スペシャルも今回が最後で,次からはまた「今もあるリーズ」に戻ります。
今回は,勝手ながらまず今年の予測をしてみたいと思います。
(1)企業の業績
今年の景気は良さそうだという予測がいくつかのメディアから出ています。
私もそう思いますが,来年4月の消費税率を8%から10%へアップする前の駆け込み需要を割り引いて考えないといけないのかなと思います。
来年は4月以降景気が凹む恐れを考える必要がありそうですね。
(2)街角景気
非正規社員が減り,正規社員が増えるようなことはそれほど期待できないと思います。理由は自動化やロボット化が進み,ヒトが今まで担当していた定型業務をロボットや機械が代替できる分野がひろがる,またITC(情報通信技術)によりネットショップがさらに拡大し,店舗従業員や営業担当者が不要となるビジネスが広がると予測できるからです。
一般論として,景気が良くなると企業は儲かったお金を従業員を増やすことよりも,従業員を増やさずに業績を伸ばすこと(機械設備)に投資する傾向があるためです。また,ITCが急速に進展する今の時代,全企業トータルの業績が伸びても,大きく伸ばす会社と競争に負けて業績を落とす会社の格差が大きくなることも考えられます。ある企業が一人勝ちのような産業の場合,その他の企業では従業員の削減を行う企業が出る場合も考えられます。
(3)明るい予測
暗いことばかりでなく,明るい話をすると外国人訪日旅行客(インバウンド)が今まで以上に増えそうだということです。まだ日本観光局(http://www.jnto.go.jp/jpn/)から発表はありませんが,昨年(2015年)は恐らく2,000万人に近い外国の人が日本を訪問したと思われます。2014年の同実績が1,200万人余りですから,その伸び方は半端ではありませんでした。
今年もさらに伸びると私は予測します。なぜなら,昨年訪日した外国の人たちがTwitterやFacebookなどのSNS,旅行情報サイトなどの口コミに概ねポジティブな評価を次々とアップしているからです。それを見た日本を訪問したことのない人は「次は日本に行こう」,既に日本を訪問した人は「日本の別の場所に行ってみよう」という気持ちになると考えられます。
それと2,000万人というのはすごく大きな数字のようですが,香港やマレーシアを訪れるその国以外の人数より,まだまだ少ない数なのです。日本は香港の350倍近い面積があります。そして,日本には香港に様な気候の場所もあれば,冬には香港ではまず見ることができない天然の雪に必ず接することができる場所があります。日本が今までいかに外国人観光客に対して閉鎖的だったか分かります。
ただ,これからはインバウンド数を増やしていくだけでなく,リピート訪問率を如何に増やすかがポイントとなるでしょう。「爆買い」を期待することは二の次にして,日本にしかないものと,日本に来て癒されると感じるものを増やしていく努力が必要だと私は思います。
そのためには,外国語の研究も必要でしょう。訪れた人たちの母国語で,上から目線ではなく,聞き心地の良い言葉でまず迎えることが必要だと私は思います。それがないと日本の本当の良さを相手に理解されず,単なる押し付けになってしまいます。私も海外に何度か旅行に行っていますが,現地観光ガイドが日本語は上手くても,「日本よりすごいだろ」みたいな上から目線のガイドをする人に何人も会い,楽しめなかったことがありました。
日本の良さを説得するのではなく,感じとってもらうこと,発見してもらうこと,そして訪日客の質問に丁寧かつ正確に答えることができれば確実に日本及び日本人を好きになってもらえると私は思います。
私は万葉集に長く接することで,日本人の感性のルーツが何であるかを感じることが少しずつできてきいるような気がします。外国から来た方に日本をイメージしてもらうために紹介する万葉集の短歌としては,私は次の3首のいずれかなど,どうかなと思います
まず,日本の山を見て季節感をイメージしてもらうための1首です(現代語は意訳)。

春は萌え夏は緑に紅のまだらに見ゆる秋の山かも(10-2177)
<はるはもえなつはみどりに くれなゐのまだらにみゆる あきのやまかも>
<<日本には春は花がきれいに咲き,夏はみずみずしい緑一色になり,秋には紅葉のグラデーションが見事な山がいくつもありますよ>>

リアス式の海辺に小さな漁港が近くにある旅館や民宿(私は外国の人に是非泊まってほしいと思っています)。そこに泊まる人たちに勧めたいのが,次の遣新羅使が詠んだとされる1首です。

山の端に月傾けば漁りする海人の燈火沖になづさふ(15-3623)
<やまのはにつきかたぶけば いざりするあまのともしび おきになづさふ>
<<山の向こうに月が隠れると沖に漂う漁師の舟の明かりがよりはっきり見えますね>>

最後は,日本庭園を鑑賞する人たちに勧めたいのが,大伴家持が詠んだとされる1首です。

秋風の吹き扱き敷ける花の庭清き月夜に見れど飽かぬかも(20-4453)
<あきかぜのふきこきしける はなのにはきよきつくよに みれどあかぬかも>
<<秋風が吹いて散った花びらが敷き詰められた庭は,清らかな月の光を浴びて見飽きることがないのです>>

日本庭園を訪れる時が秋(新暦で夏も)でなくてもよいのです。昼間でも構いません。花は無くても,月が出ていない夜でもよいのです。今見ている日本庭園が夜,そして散った花が敷き詰められて,月が照らしている情景がどんなに美しいだろうとイメージしてもらうことが必要だと思います。
無いものを有るとしたときの変化,それを考えて(シミュレーションして)作られ日本庭園の奥深さを感じ取ってもらえれば,「また来たい」という気持ちになってもらえるかもしれません。
日本の四季は実は四つではありません。初春,早春,春真っ盛り,晩春,初夏,盛夏,真夏,挽夏,初秋,秋寒,晩秋,初冬,真冬,晩冬といった四季をさらに細かく分類するような言葉で季節の変化を日本人は感じ取っています。このほかにも立春,立夏,立秋,立冬などの24節季,さらに細かく分類した72候というの言葉があります。
24節季や72候は中国から伝来した分類方法が基になっているようですが,その後日本で作られた俳諧歳時記に載せられている季語は何と3,000位をあるとのことです。季節に関する言葉が昔からこれほど多い国は他国になく,それを日常としている日本人の細かい感性も比類がないと私は想像しますがいかがでしょうか。
今もあるシリーズ「鵜(う)」に続く。

2015年6月29日月曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…浮く(1) 万葉時代の船旅は今の豪華なクルージングとはいかず?

2011年11月にこのブログの『対語シリーズ「浮と沈」‥心の浮き沈みが起きたとき,あなたならどうする?』で取り上げた中で,「浮く」を改めて万葉集を詳しく見ていくことにします。
「浮く」の対象が何かや何の上に浮いているのかによって,イメージする情景は結構変わります。
今回は,池,海などに浮く鳥のイメージについて,万葉集に詠まれている和歌を見ていきましょう。
最初は,丹波大女娘子(たにはのおほめのをとめ)という女性が恋人と逢えないツライ気持ちを詠んだされる短歌です。

鴨鳥の遊ぶこの池に木の葉落ちて浮きたる心我が思はなくに(4-711)
<かもどりのあそぶこのいけに このはおちてうきたるこころ わがおもはなくに>
<<鴨が遊ぶこの池に木の葉は落ちて浮かんでふらふらしているような浮ついた心で恋しいと思ってはいないのに>>

池で鴨が水面を移動したり,羽ばたいたり,飛び立ったり,着水したりすることで,木から落ちて浮いている木の葉はその影響を受け,浮いたり,沈んだり,集まったり,離れたりするのでしょう。
万葉集で,彼女の詠んだ続く2首を見ると,そんな浮き沈みのあるような弱い気持ちで恋しているのではないのに,いろいろ邪魔が入り,相手は遭ってくれないと嘆いています。
さて,次も鴨を題材に詠んだ遣新羅使作の短歌ですが,場所は池ではなく海上です。

鴨じもの浮寝をすれば蜷の腸か黒き髪に露ぞ置きにける(15-3649)
<かもじものうきねをすれば みなのわたかぐろきかみに つゆぞおきにける>
<<鴨のように波の上に浮寝をしていると,黒い私の髪に露が付いてしまった>>

停泊して,宿に泊まるのではなく,船中で波に揺られながら一夜を明かすと,海の湿気や波しぶきで,黒い髪に(多分塩分を含んだ)水滴が付いて濡れてしまうという情景を詠っていますが,この表現で作者の航海における不安な気持ちが何故か良く伝わってくるように私は感じます。
次は,鴨ではなく,一般の海鳥を題材にした,詠み人知らずの羈旅の短歌です。

鳥じもの海に浮き居て沖つ波騒くを聞けばあまた悲しも(7-1184)
<とりじものうみにうきゐて おきつなみさわくをきけば あまたかなしも>
<<鳥のように海に浮かんでいて,沖の波が騒がしい(荒れている)ということを聞くと大変悲しい>>

荒れた海を避けて,入江に退避している船で何日も過ごさなければならない状況となり,非常に悲しい気持ちを作者は読んでいるのでしょうか。
次も類似の気持ちを詠んだ詠み人知らずの羈旅の短歌(万葉集では古歌としている)です。

波高しいかに楫取り水鳥の浮寝やすべきなほや漕ぐべき(7-1235)
<なみたかしいかにかぢとり みづとりのうきねやすべき なほやこぐべき>
<<波が高いな。どうだろう船頭さん,水鳥のように浮寝をしたほうがよいかい,それともやはり漕ぎ続けるかい>>

海が荒れてきたので心配になり,「入江に避難して一晩やり過ごす」か「このまま漕ぎ続けて進む」か,船頭に聞きたいという心の動きを詠んでいると私は思います。
当然,作者である旅人は航海について詳しくはなく,海がどの程度の荒れであるかに詳しいわけでもありません。
でも,船旅に慣れていない旅人は船の揺れを思いの外大きく感じたのかもしれず,プロである船頭に聞いてしまったという情景も想像できそうです。
この旅人の問いに対して,船頭はどう答えたかは残っていません。「この位の波や揺れは大したことはないし,進んで危険はないよ」「プロに任せろ」くらいは言ったかもしれませんね。
動きの詞(ことば)シリーズ…浮く(2)に続く

2014年7月6日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…引く(3) 海で引くといえば何?

「引く」の3回目は,何らかのモノを引くことを詠んだ万葉集の和歌をみていきましょう。
最初は「舟(船)を引く」からです。次は山上憶良が福岡にある志賀の島に住む若き漁師荒雄の遭難死の悲しさを,その妻の立場で詠んだかもしれないとされる1首です。

大船に小舟引き添へ潜くとも志賀の荒雄に潜き逢はめやも(16-3869)
<おほぶねにをぶねひきそへ かづくともしかのあらをに かづきあはめやも>
<<大船に小舟を引き添えて海に潜って捜そうとも志賀の荒雄に海中で逢うことができるだろうか>>

この短歌は10首詠まれた中の最後の1首です。10首が詠まれた背景として,荒雄が出港したいきさつなどが左注として詳しく書かれています。遭難し,行方不明になった荒雄を探すため,大きな船で遭難した可能性のある海域まで行き,一緒に引いて行った小舟に素潜りができる海人が乗り移り,小舟を浮きとして潜っては浮かびを繰り返して捜索をしようとした様子が伺えます。いくら多くの舟を出しても広い海の中から沈んでいる荒雄を見つけることは困難ですが,大船に小舟を引かせることが当時行われていたことを伺わせます。
次は「網を引く」を見ましょう。

大宮の内まで聞こゆ網引すと網子ととのふる海人の呼び声(3-238)
<おほみやのうちまできこゆ あびきすとあごととのふる あまのよびこゑ>
<<宮殿の中まで聞こえてきます。「網を引くぞ!」と網子を指揮する漁師の呼び声が>>

この短歌は,長意吉麻呂(ながのおきまろ)が難波の宮に行幸していた天皇から和歌を詠むよう指示されて詠んだとされる1首です。難波の宮は海の近くにあり,地引網漁をしている声が宮中まで聞こえてきたのでしょう。恐らく地引網漁は行幸に来た天皇のために行ったイベントであり,網子を指揮する漁師の声が宮中まで届いたので,意吉麻呂は地引網漁が始まったことを知らせ,御簾越にご覧になることを天皇に勧めたのかもしれません。地引網漁は,奈良や飛鳥の盆地ではけっして体験できないイベントですから,さぞや盛り上がったのではないかと私は想像します。
次は「楫を引く」を見ましょう。

我が舟の楫はな引きそ大和より恋ひ来し心いまだ飽かなくに(7-1221)
<わがふねのかぢはなひきそ やまとよりこひこしこころ いまだあかなくに>
<<舟の梶を引かないで欲しい。大和よりもってきた恋しい心は,まだ萎えてしまっていないのに>>

この短歌は,左注に藤原卿作とあり,藤原房前(ふささき)か藤原麻呂(まろ)のどちらかが詠んだとの説があるそうです。旅先で,舟が先に進んで大和の京から離れていくにしたがって,都に残した恋人への思いが薄くなるどころか,さらに募り,舟を止めてほしいという思いを詠んだのでしょうか。楫は舟の方向を決めるもの(舵)とは異なり,櫓(ろ)や櫂(かい)をさします。したがって「楫を引く」ということは舟を漕ぐことと同じ意味になります。
さて,次回はその他の引くものを取り上げ「引く」のまとめとします。
動きの詞(ことば)シリーズ…引く(4:まとめ)に続く。

2013年6月9日日曜日

心が動いた詞(ことば)シリーズ「かしこし」

「かしこし」の現代語で使われているのは「賢い」となりますが,万葉時代の「かしこし」は「賢い」よりももっと広い意味の言葉だったと万葉集の和歌からは推測できます。というのは「かしこし」を使った万葉集の和歌は,70首以上あり,「おそろしい」「恐れ多い」「もったいない」「ありがたい」などさまざまな意味に使われています。
この中で熟語を形成しているものは次の通りです。

あやにかしこし‥非常に恐れ多い
海をかしこし‥海を畏怖している
沖はかしこし‥沖は恐ろしい
かしこき国‥ありがたい国
かしこき坂‥恐ろしい坂
かしこき道‥恐ろしい道
かしこき山‥神聖な山
波をかしこし‥波を恐れる
命(みこと)かしこし‥お命が恐れ多い
山はかしこし‥山は恐れ多い
ゆゆしかしこし‥非常にありがたい

では,実際に万葉集を見ていきましょう。まずは大宰府から帰任する大伴旅人へ遊女(うかれめ)児島が別れを惜しんで詠んだ短歌からです。

おほならばかもかもせむを畏みと振りたき袖を忍びてあるかも(6-965)
<おほならばかもかもせむを かしこみとふりたきそでを しのびてあるかも>
<<普通のお方でしたらいろいろして差し上げようと考えたのですが,かしこき(高貴な)旅人様ですので袖を振ってお別れの挨拶をしたくても我慢しているのです>>

本当は別れのつらさの感情を露わにして,旅人様に飛びつきたいくらいなのだけれど,そんなことをしたら高貴な旅人様の立場に傷がつきかねないので堪えているという気持ちを詠っていると私は感じます。
<別れの言葉>
私のように人生を長くやっていると,さまざまな人との出会いと別れを数多く体験します。
出会いはこれからよろしくお願いしますという雰囲気で,割と決まりきった挨拶で済みますが,別れとなると出会ってから今までの付き合い方や思い出が人ごとに違うでしょう。そうすると,お別れの時の一言をどのように言うか今でも悩むことがあります。でも,この短歌のような別離の和歌が万葉集にはたくさんあり,適切な言葉を万葉集から学ぶことも少なからずあります。
さて,次も別離の短歌ですが,「かしこし」はまた別の意味で使われています。

海の底沖は畏し礒廻より漕ぎ廻みいませ月は経ぬとも(12-3199)
<わたのそこおきはかしこし いそみよりこぎたみいませ つきはへぬとも>
<<海底が深い沖は危険なので,磯伝いに漕ぎめぐってください。日数はかかっても>>

この詠み人知らずの短歌は,船旅にでる夫を送るとき,妻が詠んだ1首でしょうか。とにかく,無事で帰ってきてほしいという思いが伝わってきますね。あこがれの人を陰で慕っている短歌です。
最後は,畏怖するという意味で「かしこし」が使われている短歌です。

天雲に近く光りて鳴る神の見れば畏し見ねば悲しも(7-1369)
<あまくもにちかくひかりて なるかみのみればかしこし みねばかなしも>
<<空の雲の近くで光る雷を見れば恐ろしいような気がするけれど,見なければ悲しい気になる>>

昔から雷の光と音響は神が発し,鳴らすものとして畏怖されてきたのかもしれません。
ただし,空で見えている雲で稲光が発せられ,ゴロゴロと大きな音を出すときは,その後雨が降ることが多いのだろうと私は思います。そのため,そのような雷が鳴らない時は雨が降らず,作物には良くないことがわかっていたのかもしれません。
この短歌は,好きな人と出会うと相手の眩しさに胸が高鳴り,自分がどうなってしまうか分からない恐ろしさ(不安)があるが,逢えないと悲しさが募るという気持ちを比喩て詠んだという見方もできそうです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「めづらし」に続く。

2013年4月6日土曜日

今もあるシリーズ「釣舟(つりふね)」

<釣りはほとんどやらずに来ました>
私には釣りの趣味はありませんが,知人には釣りを趣味としている人が何人もいます。
その知人達から「竿を譲るから釣りを始めないか?」と誘われることも何度かありました。
じっとしているが苦手な私は,釣りのイメージ(じっと釣れるまでひたすら待つ)から始めることを躊躇しているうちに,今になってしまいました。
ところが,山の中奥深くまで,登山さながらに入り込む渓流釣り,釣りのポイントを求めて海岸の岩場を移動する磯釣りなど結構ハードな釣りの種類もあります。また,釣舟に乗って,波に揺れながら釣り糸を垂れる沖釣りは船酔いになりやすい人にはつらいかもしれません。
<万葉時代のプロの釣り師>
趣味の釣りではなく,海や湖などで漁業(プロ)として釣りをする人がいます。
万葉集から,魚介類や海藻を捕って生計を立てている人を海人(あま)と呼んでいたことが分かります。
その中でも釣舟を使って漁業をする海人の集団がいたことは,次の柿本人麻呂の短歌から想像できます。

笥飯の海の庭よくあらし刈薦の乱れて出づ見ゆ海人の釣船(3-256)
<けひのうみのにはよくあらし かりこものみだれていづみゆ あまのつりぶね>
<<飼飯の海の漁場には良いらしい。入り乱れて海人の釣舟が出航するのが見える>>

笥飯の海は,淡路島近海らしく,瀬戸内海の美味しい魚がたくさん捕れたのでしょう。捕った魚は干物やくさやのような醤漬け(ひしおづけ)などに加工して,奈良の京の市場に出回ったのかもしれません。
今度は出航する風景ではなく,帰港する風景を詠んだ1首を紹介します。

風をいたみ沖つ白波高からし海人の釣舟浜に帰りぬ (3-294)
<かぜをいたみ おきつしらなみたかからし あまのつりぶねはまにかへりぬ>
<<風が荒れ,沖の波が高いようだ。海人の釣舟が浜に帰ってきた>>

この短歌は,角麻呂(つのまろ)という人物が,難波の海岸で詠んだ羈旅歌4首中の1首です。
万葉時代の釣舟の大きさは精々1人か2人が乗るものだったのでしょう。動力は風を帆に受けて進むのと人力の櫂のみだったと思います。そのため,海が荒れると漁はできなくなります。
当時の釣舟には係留用のロープなどないですから,使わない時は,複数の丸木の上を転がし,浜に上げておきます。そんな多くの釣舟が浜に上げられた状態を見て,この短歌を詠んだのだろうと私は思います。そんな風景も,みやこ人とっては珍しいと感じたのかもしれません。
さて,最後は釣舟がいっぱい浜に上がっていて,自分たちの船を止めるところがないのでは?と大伴旅人が大宰府から京の帰任する船旅の途中で従者が心配して詠んだ1首です。

礒ごとに海人の釣舟泊てにけり我が船泊てむ礒の知らなく(17-3892)
<いそごとに あまのつりぶねはてにけり わがふねはてむいそのしらなく>
<<どこの磯にも漁師の船が泊まってる。吾らの船の泊る磯はどこの磯なのか>>

この短歌を旅の不安を詠ったものとして残すのか,それとも瀬戸内海漁業が大変盛んであることを伝えたいがために万葉集の選者が選んだのか興味が尽きません。
さて,次回は今でもありますが,特別な時しか演奏を聴くことがなくなった「琴(こと)」について,万葉集を見ていくことにします。
今もあるシリーズ「琴(こと)」に続く。

2013年3月5日火曜日

当ブログ5年目突入スペシャル「羈旅シリーズ(3):遣新羅使」

<イタリア旅行報告3>
今回はナポリ発のユーロスターの車内からアップしています。
一昨日はカプリ島観光の後,マテーラの洞窟住所を見学しました。冷たい風と雨が時々降ってきて非常に寒かったのですが,実際に住んでいる洞窟住居はなかなか見ものでした。
昨日は朝から快晴で,アルベロベッロのホテルから徒歩でトゥルリ(トンガリ屋根の家)を散策しました(写真上)。
そして,ポンペイへ移動し,広い遺跡の中を丁寧に快適に歩いて見学できました。見学後地元産と思われるレモン風味のジェラートを美味しく食しました。また,アルベロベッロからポンペイまでのバス移動(約4時間)もアドリア海にそって北上する高速道路から地平線彼方に続く南イタリアの田園風景(一面のオリーブ畑,ブドウ畑)の広大さに感動の連続でした(写真下)。
高速道路のサービスエリアの売店でビールやワインを売っているのはさすがにお国柄だとも感じました。地元南イタリア産ワイン(もちろんコルク栓)3本セットがたった10ユーロ(約1,250円)で売っていました。イタリア人のツアーバスの運転手もその安さに驚いていました。酒好きの天の川君が時差ボケでバスの中で寝ていてくれて助かりました。ナポリに戻った夕食のレストランでは地元ワインをハーフボトルで頼みました。陶器でできたデキャンタで500ml以上は確実ありそうなほど並々と入れて持ってきてくれました。レストランのハウスワインなので7ユーロ(約900円)は超お得でした。ただ,半分以上は天の川に飲まれてしまいましたが。
今日も快晴で暖かく,アマルフィ海岸を快適にドライブし,アマルフィで散策しました。そのとき,日本人のカップルが結構式を挙げているところに遭遇し,びっくりしました。夕方にはナポリに戻り,ナポリ駅からユーロスターでフィレンツェに向かっています。
<羇旅シリーズ(3)>
さて,今回の羈旅シリーズは遣新羅使を扱います。遣新羅使は当然新羅の国へ行くわけですから,長い旅をするに決まっています。
万葉集で遣新羅使とその妻が詠んだの旅にまつわる和歌の数は約140首もあり,そのすべてが巻15に収められています。
その中から,まず残してきた彼女に純心を誓う1首からです。

はろはろに思ほゆるかもしかれども異しき心を我が思はなくに(15-3588)
<はろはろにおもほゆるかも しかれどもけしきこころを あがもはなくに>
<<何度も貴女は物思いをするかも知れませんが、旅先で浮気をする考えはまったく持っていません>>

これに対する妻の返歌はありません。こんな短歌を詠んで送ったら,相手は余計に心配するに決まっています。この短歌の作者は,優秀だが女性の気持ちを理解できていない人生経験が不足した新羅使だったのかもしれませんね。
さて,次は潮待ちの後,ようやく夜中出航となった情景を詠んだ1首です。

我れのみや夜船は漕ぐと思へれば沖辺の方に楫の音すなり(15-3624)
<われのみやよふねはこぐと おもへれば おきへのかたにかぢのおとすなり>
<<私たちのみが夜中に出航するのだと思っていたが,すでに沖の方で櫂の音がしているなあ>>

今回のイタリアツアーの行く先々で日本人観光客ツアーにホテル・観光地でけっこう遭遇します。
みんな同じ行動スケジュールの場合も多く,添乗員やガイド同士もよく知った間柄で,微妙に混まないように行動スケジュールを調整している様子が感じられます。そんな状況を知らないのは,初めて参加するツアー客のみという状況ですが,この短歌もそんな情景を感じさせますね。
旅では,帰ったとき,家族や知人へのお土産のことが課題のひとつです。遣新羅使の旅の歌にもそんな1首があります。

家づとに貝を拾ふと沖辺より寄せ来る波に衣手濡れぬ(15-3709)
<いへづとにかひをひりふと おきへよりよせくるなみに ころもでぬれぬ>
<<帰りのお土産にと貝を拾おうとしていたら,沖の方から寄せてきた波に衣と手が濡れてしまった>>

今でも旅先でお土産によさそうだと思い,自分だけの考えで急いで買うと結局高いものを買ってしまうことがよくあります。この遣新羅使は,お土産にできそうなきれいな貝がありそうだから,自分で取りに行ったら波をかぶり大切な衣を濡らしてしまったのです。この場合は,やはり採り慣れた人が採ったものをお金を出して買った方がよかったのかもしれません。旅先でのお土産は難しいですね。
次回は,万葉時代の女性が旅をして詠んだ和歌を紹介します。
当ブログ5年目突入スペシャル「羈旅シリーズ(4):女性作」

2012年7月17日火曜日

対語シリーズ「海と山」‥さあ夏休み!海に行こうか?山に行こうか?


もうすぐ,日本の多くの学校が夏休みになりますね。
海に行ったり,山に行ったりする計画を立てている人も多いことでしょう。
もちろん,日本は海に囲まれた山(島)や山に囲まれた海(入江)もたくさんありますから,両方一度に行く計画の方もいらっしゃるかもしれません。
さて,万葉時代の日本も海と山に恵まれていたと思われますので,本当に多くの海や山を詠み込みだ和歌が万葉集にたくさん採録されています。
「海」または「山」の漢字が何らかの形で入る万葉集の採録和歌数は,それぞれ何と数百首ずつあります。
その中で,「海」と「山」の両方が詠み込まれている歌を紹介します。

海山も隔たらなくに何しかも目言をだにもここだ乏しき(4-689)
<うみやまもへだたらなくに なにしかもめごとをだにも ここだともしき>
<<あなた様と私は海と山ほども仕切るものはないのに,なぜこうもお目に掛かったり,言葉を交わすことが少ないのでしょうか>>

この短歌は,坂上郎女(さかのうへのいらつめ)が詠んだ恋の歌です。もっとお逢いしたいという強い気持ちを海と山ほどの違いがない(同じ人間)ことを強調して伝えようとしていると私は感じます。
次は,旅先で嵐の後に浜辺に打ち上げられた船旅の溺死者を見て詠んだ詠み人知らずの長歌の反歌です。

あしひきの山道は行かむ風吹けば波の塞ふる海道は行かじ(13-3338)
<あしひきのやまぢはゆかむ かぜふけばなみのささふる うみぢはゆかじ>
<<やはり山道を行こう。風が吹けば波が行くてを妨げる海路は行くまい>>

万葉時代,海路が新しい旅路の方法(楽で早く着く)として開拓され,人気が高かったのかもしれません。しかし,嵐に合うと沈没や座礁事故が発生し,多くの犠牲者を出した可能性は否定できません。
この歌の作者は,それを考えると厳しい山道を越え行く旅路を選択する方が良いと考えたのでしょう。今でも事故に遭うとほぼ命は助からない飛行機には絶対乗らないという人がいますからね。
さて,次は海と山を対比するのではなく,見上げる山と見下ろす海の常なる存在とそれに比べて人間のはかなさを詠った詠み人知らずの長歌です。

高山と海とこそば 山ながらかくもうつしく 海ながらしかまことならめ 人は花ものぞうつせみ世人(13-3332)
<たかやまとうみとこそば やまながらかくもうつしく うみながらしかまことならめ ひとははなものぞうつせみよひと>
<<高山と海こそは,山はこのように現実にあり,海もあるがまま真に存在する。しかし,人は花のようにはかない。それは世の人の常である>>

起伏に富んだ島国の日本にとって,海と山は切り離せないものです。日本に多くあるリアス式海岸線では海と山は接していますから。
しかし,当時の政治の中心であった奈良盆地は海に接していません。同じ作者が詠んだと思われる一つ前の歌を見るとやはり海より山に軍配が上がってしまうようですね。山が5回出てきます。

隠口の泊瀬の山 青旗の忍坂の山は 走出のよろしき山の 出立のくはしき山ぞ あたらしき山の 荒れまく惜しも(13-3331)
<こもりくのはつせのやま あをはたのおさかのやまは はしりでのよろしきやまの いでたちのくはしきやまぞ あたらしきやまの あれまくをしも>
<<泊瀬の山と忍坂の山は稜線がなだらかに続く形の良い山並みで,それぞれ美しい山です。ただ,放置されて荒れてしまっているのが残念ですね>>

対語シリーズ「夏と冬」に続く。