2012年7月17日火曜日
対語シリーズ「海と山」‥さあ夏休み!海に行こうか?山に行こうか?
もうすぐ,日本の多くの学校が夏休みになりますね。
海に行ったり,山に行ったりする計画を立てている人も多いことでしょう。
もちろん,日本は海に囲まれた山(島)や山に囲まれた海(入江)もたくさんありますから,両方一度に行く計画の方もいらっしゃるかもしれません。
さて,万葉時代の日本も海と山に恵まれていたと思われますので,本当に多くの海や山を詠み込みだ和歌が万葉集にたくさん採録されています。
「海」または「山」の漢字が何らかの形で入る万葉集の採録和歌数は,それぞれ何と数百首ずつあります。
その中で,「海」と「山」の両方が詠み込まれている歌を紹介します。
海山も隔たらなくに何しかも目言をだにもここだ乏しき(4-689)
<うみやまもへだたらなくに なにしかもめごとをだにも ここだともしき>
<<あなた様と私は海と山ほども仕切るものはないのに,なぜこうもお目に掛かったり,言葉を交わすことが少ないのでしょうか>>
この短歌は,坂上郎女(さかのうへのいらつめ)が詠んだ恋の歌です。もっとお逢いしたいという強い気持ちを海と山ほどの違いがない(同じ人間)ことを強調して伝えようとしていると私は感じます。
次は,旅先で嵐の後に浜辺に打ち上げられた船旅の溺死者を見て詠んだ詠み人知らずの長歌の反歌です。
あしひきの山道は行かむ風吹けば波の塞ふる海道は行かじ(13-3338)
<あしひきのやまぢはゆかむ かぜふけばなみのささふる うみぢはゆかじ>
<<やはり山道を行こう。風が吹けば波が行くてを妨げる海路は行くまい>>
万葉時代,海路が新しい旅路の方法(楽で早く着く)として開拓され,人気が高かったのかもしれません。しかし,嵐に合うと沈没や座礁事故が発生し,多くの犠牲者を出した可能性は否定できません。
この歌の作者は,それを考えると厳しい山道を越え行く旅路を選択する方が良いと考えたのでしょう。今でも事故に遭うとほぼ命は助からない飛行機には絶対乗らないという人がいますからね。
さて,次は海と山を対比するのではなく,見上げる山と見下ろす海の常なる存在とそれに比べて人間のはかなさを詠った詠み人知らずの長歌です。
高山と海とこそば 山ながらかくもうつしく 海ながらしかまことならめ 人は花ものぞうつせみ世人(13-3332)
<たかやまとうみとこそば やまながらかくもうつしく うみながらしかまことならめ ひとははなものぞうつせみよひと>
<<高山と海こそは,山はこのように現実にあり,海もあるがまま真に存在する。しかし,人は花のようにはかない。それは世の人の常である>>
起伏に富んだ島国の日本にとって,海と山は切り離せないものです。日本に多くあるリアス式海岸線では海と山は接していますから。
しかし,当時の政治の中心であった奈良盆地は海に接していません。同じ作者が詠んだと思われる一つ前の歌を見るとやはり海より山に軍配が上がってしまうようですね。山が5回出てきます。
隠口の泊瀬の山 青旗の忍坂の山は 走出のよろしき山の 出立のくはしき山ぞ あたらしき山の 荒れまく惜しも(13-3331)
<こもりくのはつせのやま あをはたのおさかのやまは はしりでのよろしきやまの いでたちのくはしきやまぞ あたらしきやまの あれまくをしも>
<<泊瀬の山と忍坂の山は稜線がなだらかに続く形の良い山並みで,それぞれ美しい山です。ただ,放置されて荒れてしまっているのが残念ですね>>
対語シリーズ「夏と冬」に続く。
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