「親と子」は単純な対語関係と割り切れないものがあります。
でも,自分の親,自分の子のように相互に親子関係ならば,やはり何らかの意識を双方がするのが普通かと思います。
「親のことは忘れた」「あいつとは一切親子の縁を切った」などと言ったところで,何らかの「親と子」という意識があるから出る言葉でしょう。
さて,さまざまな人間模様を詠った和歌がたくさん収録されている万葉集,当然「親」や「子」を詠んだ和歌が数多く出てきます。
まず,恋路の邪魔をする親(父母)を詠んだ子どもたち(詠み人知らず)作の短歌を3首紹介します。
みさご居る荒礒に生ふるなのりそのよし名は告らじ親は知るとも(12-3077)
<みさごゐるありそにおふる なのりそのよしなはのらじ おやはしるとも>
<<みさご(大型の海鳥)の住んでいる磯に生えるなのりそ(ホンダワラ)のように,名前は伝えません。親が知ると厄介だからね>>
父母に知らせぬ子ゆゑ三宅道の夏野の草をなづみ来るかも(13-3296)
<ちちははにしらせぬこゆゑ みやけぢのなつののくさを なづみけるかも>
<<父にも母にも知らせていないが,恋しい君だから三宅道の夏野の草をかき分け,分からないように静かに通うことになるなあ>>
上つ毛野佐野の舟橋取り離し親は放くれど我は離るがへ(14-3420)
<かみつけのさののふなはし とりはなしおやはさくれど わはさかるがへ>
<<上野の佐野の舟橋を取り外ししてしまうように,親達は(貴方と私を)離そうするけれど,私別れたりなんかしないのだから>>
いつの世でも親が認める子どもの結婚相手と子どもが好きになる相手が同じでないことが少なくないようですね。
しかし,親(父母)を愛し,恋しく想う和歌も万葉集にはもちろんたくさんあります。その代表的なものが防人に関連する歌です。
最初は駿河の国出身の防人川原虫麻呂が詠んだとされる1首です。
父母え斎ひて待たね筑紫なる水漬く白玉取りて来までに(20-4340)
<とちははえいはひてまたね つくしなるみづくしらたま とりてくまでに>
<<父さん母さん、身を清めお祈りしながらお待ちください。筑紫の海底にあるという真珠を採って帰ってくる日まで>>
次は,大伴家持が防人の気持ちになって詠んだ長歌の反歌です。
家人の斎へにかあらむ平けく船出はしぬと親に申さね(20-4409)
<いへびとのいはへにかあらむ たひらけくふなではしぬと おやにまをさね>
<<家族が身を浄め祈ってくれたので平安な船出だったと母父にお伝えください>>
両方とも,天平勝宝7(755)年2月に採録したとの記録が万葉集の題詞にあります。
親が防人として出兵した子どもの無事をひたすら祈っている。子どもはそのことを痛いほど分かっているわけです。
祈りを通して親子の気持ちが一つになっているのですが,今の平和な日本にそんな親子関係を大切にする気持ちが変わらずあることを祈りたいですね。
そして,子ともが帰らぬ人となったとき家族はどんなに悲しむことになるのか,次は路傍の生き倒れの死人を見ての鎮魂歌です。
母父も妻も子どもも高々に来むと待ちけむ人の悲しさ (13-3337,3340)
<おもちちもつまもこどもも たかたかにこむとまちけむ ひとのかなしさ>
<<父母も妻も子どもも今か今かと帰えりを待っているであろう家族にとって本当に悲しいことだ>>
親子がお互いに生きている間に相互に愛情を持った孝行ができるようにしたいものです。一方が死んでからではできないですからね。
対語シリーズ「海と山」に続く。
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