<ほとんど日本人しかいない普通の職場>
日本人は初対面の相手や疎遠な外国人に,自分考えを相手に誤解されないよう伝えるのが得意でないという評価があると聞くことがあります。それがすべての場合当てはまるかどうかは別として,私がこれまでの職場などでの経験からはこの評価には否定できない部分が少なくないと思います。
私の職場は,これまでほとんど同じ日本人ばかりの職場だったのです。ですから,思想信条,文化,社会的な習慣が全く異なる多くの人々と一緒に仕事をしたことなかったといっても良いかと思います。職場の同僚・先輩・上司・後輩は,日本人ですから日本語が流暢に話せ,日本で育ち,日本の学校に通い,正月・バレンタイン・花見・衣替え・紅葉狩り・クリスマスなどの日本の習慣を十分知っています。日本のテレビ放送を観て,日本で売れ筋の製品を使い,日本の流行に対して共通の情報を持ち,日本人として共通の基盤を持った人たちと仕事をしてきたのです。
<日本人間の考え方の違いは大したことがない>
「いや,日本人だって,年齢,地域,学歴などでいろんな人がいるし,考え方に大きなギャップもあるよ。日本人と一括りにするのはいかがなものだろうか?」と,私のような見方に賛成しない人もいるかと思います。でも,私はその違いはせいぜい日本人としての共通の基盤上での反対/賛成,賛同/拒否,同調/排除の違いでしかないと思います。たとえていえば,日本料理の中で「牛肉の肉じゃがが好き」,「いや豚肉の肉じゃがのほうが好きで,牛肉のは嫌い」といった,好き嫌いの範囲内のようなものかもしれません。
<世界は多様>
「東欧ハンガリーの料理『パプリカーシュチルケ・ノケドリヴェル』(鶏肉とハンガリアンパスタ,パプリカ添え)と南米スリナムの料理『モクシメティ』(ライスを添えた肉料理)とどちらが好き?」と仮に私が仕事仲間に聞いたら,十中八九「そんなん知らんがな,あっち行って!」という反応になりますよね。びっくりされるだけでなく,「お前,頭がおかしくなったのか?」と思われるような環境が私の職場でした(それが一般的な日本の職場かも?)。しかし,もし職場に世界のさまざまな国の人が居て,その人たちと仲良く仕事をするには,これくらいの知識を持っている必要があるのかもしれません。
そんな必要性がなかった私は,初対面の人に気を悪させず,いろいろ質問する(問う)ことが苦手でした。初対面の人とも会話が続かず,気まずい雰囲気が長く続くというツライ経験を私はたくさんしてきました。職場の同僚や後輩に同様の悩みを持ち,考えや文化の違う人と積極的に係らない人と多く出会いました。
<「動きの詞シリーズ」再開>
さて,再開した「動きの詞シリーズ」の最初は,日本人があまり得意としない「問ふ」です。万葉集には「問ふ」が入っている和歌が50首ほどは出てきます。万葉時代の日本人はどんな「問ふ」をしてきたのか何回かに分けて見ていきましょう。それが,今の日本人の「問う」との違いがあるのでしょうか。
最初の短歌は,天平勝宝7年2月に集められまれたという有名な防人歌です。
防人に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨しさ物思ひもせず(20-4425)
<さきもりにゆくはたがせと とふひとをみるがともしさ ものもひもせず>
<<「防人として行くのはどちらのご主人かしら?」と周りの人たちどうしが質問しあっているのを聞くのも気がめいるのです。それが私の夫であるという私の気持ちを知りもしないで>>
防人歌といっても防人自身が詠んだもの以外に防人の妻が詠んだものも含まれています。
この短歌は防人に行く夫の妻が詠んだものですが,気持ちは<<>>内の私の現代語訳を見れば分かるかと思います。
さて,次は占いで当時許婚であった大伴大嬢(おほとものおほいらつめ)と逢う運勢を問うことを詠んだ大伴家持の短歌です。
月夜には門に出で立ち夕占問ひ足占をぞせし行かまくを欲り(4-736)
<つくよにはかどにいでたち ゆふけとひあしうらをぞせし ゆかまくをほり>
<<月夜には家の門の外まで出て立って夕占で問い,また足占もしましたよ。あなたの家へ行こうと>>
夕占とは広辞苑によると「夕方,辻に立って往来の人の話を聞き,それによって吉凶,禍福をうらなうこと」という意味です。家持は,逢いに行きたいという気持ちがいっぱいで,その準備をしていることを大嬢に伝えたかったのかもしれません。
これら2首の「問ふ」は,ある種の情報を得るためかもしれません。最初の防人歌では,作者ではなく近所のおばさんたちが井戸端会議的に防人に行く家はどこかの情報を収集しようとしていることは分かります。
また,後の家持の短歌は夕占という,(家の前の)通りに出て,行き交う人の質問をして,自分が大嬢に逢うのに良い運勢かを確認しています。
多分,大嬢の家に行く道すがらに何らかの障害になるものがあったり,何かの催し物で,人が多くいて,目立ち,噂が立ってしまうことも考えられます。運勢だけでなく,さまざまな情報から大嬢の家へ行く良いタイミングを夕占で見測ろうとして,足占で分析をしたのかもしれません。
今回紹介した「問ふ」は,相手のことを知ろうというよりも,情報収集の目的であったと私は感じます。
動きの詞(ことば)シリーズ…問ふ(2)に続く。
2014年4月2日水曜日
2013年4月6日土曜日
今もあるシリーズ「釣舟(つりふね)」
<釣りはほとんどやらずに来ました>
私には釣りの趣味はありませんが,知人には釣りを趣味としている人が何人もいます。
その知人達から「竿を譲るから釣りを始めないか?」と誘われることも何度かありました。
じっとしているが苦手な私は,釣りのイメージ(じっと釣れるまでひたすら待つ)から始めることを躊躇しているうちに,今になってしまいました。
ところが,山の中奥深くまで,登山さながらに入り込む渓流釣り,釣りのポイントを求めて海岸の岩場を移動する磯釣りなど結構ハードな釣りの種類もあります。また,釣舟に乗って,波に揺れながら釣り糸を垂れる沖釣りは船酔いになりやすい人にはつらいかもしれません。
<万葉時代のプロの釣り師>
趣味の釣りではなく,海や湖などで漁業(プロ)として釣りをする人がいます。
万葉集から,魚介類や海藻を捕って生計を立てている人を海人(あま)と呼んでいたことが分かります。
その中でも釣舟を使って漁業をする海人の集団がいたことは,次の柿本人麻呂の短歌から想像できます。
笥飯の海の庭よくあらし刈薦の乱れて出づ見ゆ海人の釣船(3-256)
<けひのうみのにはよくあらし かりこものみだれていづみゆ あまのつりぶね>
<<飼飯の海の漁場には良いらしい。入り乱れて海人の釣舟が出航するのが見える>>
笥飯の海は,淡路島近海らしく,瀬戸内海の美味しい魚がたくさん捕れたのでしょう。捕った魚は干物やくさやのような醤漬け(ひしおづけ)などに加工して,奈良の京の市場に出回ったのかもしれません。
今度は出航する風景ではなく,帰港する風景を詠んだ1首を紹介します。
風をいたみ沖つ白波高からし海人の釣舟浜に帰りぬ (3-294)
<かぜをいたみ おきつしらなみたかからし あまのつりぶねはまにかへりぬ>
<<風が荒れ,沖の波が高いようだ。海人の釣舟が浜に帰ってきた>>
この短歌は,角麻呂(つのまろ)という人物が,難波の海岸で詠んだ羈旅歌4首中の1首です。
万葉時代の釣舟の大きさは精々1人か2人が乗るものだったのでしょう。動力は風を帆に受けて進むのと人力の櫂のみだったと思います。そのため,海が荒れると漁はできなくなります。
当時の釣舟には係留用のロープなどないですから,使わない時は,複数の丸木の上を転がし,浜に上げておきます。そんな多くの釣舟が浜に上げられた状態を見て,この短歌を詠んだのだろうと私は思います。そんな風景も,みやこ人とっては珍しいと感じたのかもしれません。
さて,最後は釣舟がいっぱい浜に上がっていて,自分たちの船を止めるところがないのでは?と大伴旅人が大宰府から京の帰任する船旅の途中で従者が心配して詠んだ1首です。
礒ごとに海人の釣舟泊てにけり我が船泊てむ礒の知らなく(17-3892)
<いそごとに あまのつりぶねはてにけり わがふねはてむいそのしらなく>
<<どこの磯にも漁師の船が泊まってる。吾らの船の泊る磯はどこの磯なのか>>
この短歌を旅の不安を詠ったものとして残すのか,それとも瀬戸内海漁業が大変盛んであることを伝えたいがために万葉集の選者が選んだのか興味が尽きません。
さて,次回は今でもありますが,特別な時しか演奏を聴くことがなくなった「琴(こと)」について,万葉集を見ていくことにします。
今もあるシリーズ「琴(こと)」に続く。
私には釣りの趣味はありませんが,知人には釣りを趣味としている人が何人もいます。
その知人達から「竿を譲るから釣りを始めないか?」と誘われることも何度かありました。
じっとしているが苦手な私は,釣りのイメージ(じっと釣れるまでひたすら待つ)から始めることを躊躇しているうちに,今になってしまいました。
ところが,山の中奥深くまで,登山さながらに入り込む渓流釣り,釣りのポイントを求めて海岸の岩場を移動する磯釣りなど結構ハードな釣りの種類もあります。また,釣舟に乗って,波に揺れながら釣り糸を垂れる沖釣りは船酔いになりやすい人にはつらいかもしれません。
<万葉時代のプロの釣り師>
趣味の釣りではなく,海や湖などで漁業(プロ)として釣りをする人がいます。
万葉集から,魚介類や海藻を捕って生計を立てている人を海人(あま)と呼んでいたことが分かります。
その中でも釣舟を使って漁業をする海人の集団がいたことは,次の柿本人麻呂の短歌から想像できます。
笥飯の海の庭よくあらし刈薦の乱れて出づ見ゆ海人の釣船(3-256)
<けひのうみのにはよくあらし かりこものみだれていづみゆ あまのつりぶね>
<<飼飯の海の漁場には良いらしい。入り乱れて海人の釣舟が出航するのが見える>>
笥飯の海は,淡路島近海らしく,瀬戸内海の美味しい魚がたくさん捕れたのでしょう。捕った魚は干物やくさやのような醤漬け(ひしおづけ)などに加工して,奈良の京の市場に出回ったのかもしれません。
今度は出航する風景ではなく,帰港する風景を詠んだ1首を紹介します。
風をいたみ沖つ白波高からし海人の釣舟浜に帰りぬ (3-294)
<かぜをいたみ おきつしらなみたかからし あまのつりぶねはまにかへりぬ>
<<風が荒れ,沖の波が高いようだ。海人の釣舟が浜に帰ってきた>>
この短歌は,角麻呂(つのまろ)という人物が,難波の海岸で詠んだ羈旅歌4首中の1首です。
万葉時代の釣舟の大きさは精々1人か2人が乗るものだったのでしょう。動力は風を帆に受けて進むのと人力の櫂のみだったと思います。そのため,海が荒れると漁はできなくなります。
当時の釣舟には係留用のロープなどないですから,使わない時は,複数の丸木の上を転がし,浜に上げておきます。そんな多くの釣舟が浜に上げられた状態を見て,この短歌を詠んだのだろうと私は思います。そんな風景も,みやこ人とっては珍しいと感じたのかもしれません。
さて,最後は釣舟がいっぱい浜に上がっていて,自分たちの船を止めるところがないのでは?と大伴旅人が大宰府から京の帰任する船旅の途中で従者が心配して詠んだ1首です。
礒ごとに海人の釣舟泊てにけり我が船泊てむ礒の知らなく(17-3892)
<いそごとに あまのつりぶねはてにけり わがふねはてむいそのしらなく>
<<どこの磯にも漁師の船が泊まってる。吾らの船の泊る磯はどこの磯なのか>>
この短歌を旅の不安を詠ったものとして残すのか,それとも瀬戸内海漁業が大変盛んであることを伝えたいがために万葉集の選者が選んだのか興味が尽きません。
さて,次回は今でもありますが,特別な時しか演奏を聴くことがなくなった「琴(こと)」について,万葉集を見ていくことにします。
今もあるシリーズ「琴(こと)」に続く。
2013年3月31日日曜日
今もあるシリーズ「鏡(かがみ)」
しばらくお休みにしていました「今もあるシリーズ」にまた戻ります。
さて,現代一般的に使われている鏡の多くがガラスに金属を吹き付けて,その面で光を反射させるものです。しかし,万葉時代の鏡は金属の板を磨いて姿が映るようにしたものでした。
鏡の大きさは,手のひらで持てるほどから,せいぜい両手で持てるほどの大きさの円形です。写真は,千葉県佐倉市にある国立民族博物館に展示されている古墳時代の鏡(裏側)です。

当時の鏡で見られるのは,その大きさから身体の顔や頭など一部のみでした。また,当時の鏡は神聖なものとして扱われ,三種の神器の一つにもなっています(残りは玉と剣)。
そのため,鏡は化粧用の小物として一般にも使われるだけでなく,祭事用として特別な存在だった様子は次の万葉集の東歌でもわかります。
山鳥のをろの初麻に鏡懸け唱ふべみこそ汝に寄そりけめ(14-3468)
<やまとりのをろのはつをに かがみかけとなふべみこそ なによそりけめ>
<<山鳥の尾のように長い初麻に鏡にかけて唱えて祈ったからこそあなたと寄り添えたのよ>>
当時の東国では,その年最初に収穫した麻の繊維に鏡を掛けて願いをかけると叶うという言い伝えがあったのでしょう。
また,次の詠み人知らずの短歌から,当時鏡は美しいものの象徴だったことが読み取れます。
住吉の小集楽に出でてうつつにもおの妻すらを鏡と見つも(16-3808)
<すみのえのをづめにいでて うつつにもおのづますらを かがみとみつも>
<<住吉で行われる野遊びに出かけてみると,本当に僕の妻が鏡のように美しく見えるよ>>
今では,美しい女性のことを,たとえば「花のように美しい」と言いますが,当時は「鏡のように美しい」と言っていたのかもしれませんね。
このように万葉集では鏡を題材にした歌も多くありますが,35首以上もの和歌に出てくる「まそ鏡」という言葉です。その中で「まそ鏡」の用法の多くは,非常に美しい鏡という意味から,清き、磨ぐ、照る、見る、面、床、掛くにかかる枕詞です。
次は枕詞「まそ鏡」が出てくる1首です。
まそ鏡磨ぎし心をゆるしてば後に言ふとも験あらめやも(4-673)
<まそかがみとぎしこころを ゆるしてばのちにいふとも しるしあらめやも>
<<(まそ鏡のように)研ぎ澄ました心を一度緩めてしまったなら、後で(真剣に恋していたと)言っても無意味ですわ>>
これは,坂上郎女が詠んだ短歌で,真剣な恋の気持ちをよくできた一点の曇りもない鏡に譬えているのでしょう。また,この短歌から当時の高級品の鏡は,鏡用の円形の金属の板を熟練した製造工が丹念に歪みなく研磨をしていた様子が伺えます。もしかしたら,「○○という製造工が磨いた鏡」というブランド品も出回っていたのかもしれません。
さて,次は「まそ鏡」が枕詞ではなく,本来の意味で使われている1首です。
まそ鏡持てれど我れは験なし君が徒歩よりなづみ行く見れば(13-3316)
<まそかがみもてれどわれは しるしなしきみがかちより なづみゆくみれば>
<<まそ鏡を持っていても私にとっては何の価値もないのよ。旅先で苦労しながら一歩ずつ歩いているあなたの姿を思い起こせば>>
この短歌は旅に出た恋人の帰りを待つ女性が詠んだもののようです。
現在にあてはめれば「あなたが無事に帰ってくれたなら,ダイヤもルビーもいらないわ」といった意味でしょうか。恋人と比較されるくらいですから「まそ鏡」は,万葉時代まさに女性にとってあこがれの品だった可能性を感じます。
天の川 「鏡よ鏡よ鏡さん。この世で一番美しい女性は誰?」
魔法の鏡 「それはたびとの奥さんじゃ」
天の川 「あのな~,たびとはん。 鏡の後ろに隠れて何を訳の分からんこと言うてんねん?」
今もあるシリーズ「釣舟(つりふね)」に続く。
さて,現代一般的に使われている鏡の多くがガラスに金属を吹き付けて,その面で光を反射させるものです。しかし,万葉時代の鏡は金属の板を磨いて姿が映るようにしたものでした。
鏡の大きさは,手のひらで持てるほどから,せいぜい両手で持てるほどの大きさの円形です。写真は,千葉県佐倉市にある国立民族博物館に展示されている古墳時代の鏡(裏側)です。
当時の鏡で見られるのは,その大きさから身体の顔や頭など一部のみでした。また,当時の鏡は神聖なものとして扱われ,三種の神器の一つにもなっています(残りは玉と剣)。
そのため,鏡は化粧用の小物として一般にも使われるだけでなく,祭事用として特別な存在だった様子は次の万葉集の東歌でもわかります。
山鳥のをろの初麻に鏡懸け唱ふべみこそ汝に寄そりけめ(14-3468)
<やまとりのをろのはつをに かがみかけとなふべみこそ なによそりけめ>
<<山鳥の尾のように長い初麻に鏡にかけて唱えて祈ったからこそあなたと寄り添えたのよ>>
当時の東国では,その年最初に収穫した麻の繊維に鏡を掛けて願いをかけると叶うという言い伝えがあったのでしょう。
また,次の詠み人知らずの短歌から,当時鏡は美しいものの象徴だったことが読み取れます。
住吉の小集楽に出でてうつつにもおの妻すらを鏡と見つも(16-3808)
<すみのえのをづめにいでて うつつにもおのづますらを かがみとみつも>
<<住吉で行われる野遊びに出かけてみると,本当に僕の妻が鏡のように美しく見えるよ>>
今では,美しい女性のことを,たとえば「花のように美しい」と言いますが,当時は「鏡のように美しい」と言っていたのかもしれませんね。
このように万葉集では鏡を題材にした歌も多くありますが,35首以上もの和歌に出てくる「まそ鏡」という言葉です。その中で「まそ鏡」の用法の多くは,非常に美しい鏡という意味から,清き、磨ぐ、照る、見る、面、床、掛くにかかる枕詞です。
次は枕詞「まそ鏡」が出てくる1首です。
まそ鏡磨ぎし心をゆるしてば後に言ふとも験あらめやも(4-673)
<まそかがみとぎしこころを ゆるしてばのちにいふとも しるしあらめやも>
<<(まそ鏡のように)研ぎ澄ました心を一度緩めてしまったなら、後で(真剣に恋していたと)言っても無意味ですわ>>
これは,坂上郎女が詠んだ短歌で,真剣な恋の気持ちをよくできた一点の曇りもない鏡に譬えているのでしょう。また,この短歌から当時の高級品の鏡は,鏡用の円形の金属の板を熟練した製造工が丹念に歪みなく研磨をしていた様子が伺えます。もしかしたら,「○○という製造工が磨いた鏡」というブランド品も出回っていたのかもしれません。
さて,次は「まそ鏡」が枕詞ではなく,本来の意味で使われている1首です。
まそ鏡持てれど我れは験なし君が徒歩よりなづみ行く見れば(13-3316)
<まそかがみもてれどわれは しるしなしきみがかちより なづみゆくみれば>
<<まそ鏡を持っていても私にとっては何の価値もないのよ。旅先で苦労しながら一歩ずつ歩いているあなたの姿を思い起こせば>>
この短歌は旅に出た恋人の帰りを待つ女性が詠んだもののようです。
現在にあてはめれば「あなたが無事に帰ってくれたなら,ダイヤもルビーもいらないわ」といった意味でしょうか。恋人と比較されるくらいですから「まそ鏡」は,万葉時代まさに女性にとってあこがれの品だった可能性を感じます。
天の川 「鏡よ鏡よ鏡さん。この世で一番美しい女性は誰?」
魔法の鏡 「それはたびとの奥さんじゃ」
天の川 「あのな~,たびとはん。 鏡の後ろに隠れて何を訳の分からんこと言うてんねん?」
今もあるシリーズ「釣舟(つりふね)」に続く。
2013年2月24日日曜日
今もあるシリーズ「垣(かき)」
<万葉時代には中間所得層が増加した?>
万葉時代は大陸の新しい文化が押し寄せ,京(みやこ)の道路や建物の整備,都市をつなぐ街道や駅(はゆま)の整備,国分寺の建立(こんりゅう),土地の開墾(かいこん),繊維,陶器,刃物,貨幣鋳造(かへいちゅうぞう),製紙,兵器の製造などの新しい産業のための工場設置といった公共投資が積極的に行われた時代で,公共投資の恩恵を受けた現代で言ういわゆる中間層にあたる人たちの数が急速に増えてきたのではないかと私は考えています。
その人たちは,みずからの所得や財産の増加にともない,その豊かさ実感するため,(衣食住で)より高額な消費対象物(ぜいたく品)を求めることが生きがいになってきたと私は想像します。
<自分の家を持ってこそ富裕者の仲間入り?>
その豊かさを本当の意味で実感できるのは,自分の家を持った時ではないでしょうか。
当時の中間層の人たちは,自分の家を持とうと,より多くの所得を得るために,出世を目指す,新しい商売を考える,副業をこなす,将来値が上がると予測されるものに投資するなどをしたかもしれません(現代と同じように)。
その願いが通じ,自分の家を何とか手に入れます。しかし,中間層が手にできる家は限られた広さの土地に建てられたもののはずです。当然,家を建てることに適し,住みやすい土地(高台,川のほとり,街道や市場の近く)は人気があり,小さい区画に建てた家でも買い手はいたのだろうと私は思います。やっと手に入れた小さな土地の我が家と隣の家を隔てるもの,領地を明示するもの,プライバシーを守るものとして,垣(かき)が積極的に作られたのでしょう。
万葉集では,垣が出てくる和歌が40首ほどあります。その中に出てくる垣の種類や熟語は次の通りです。
青垣(あをかき)‥垣のようにめぐっている緑の山を形容する語。
葦垣(あしかき)‥葦で作った垣。
荒垣(あらかき)‥網目の荒い垣。
斎垣(いかき)‥社(やしろ)など神聖な領域にめぐらせた垣。みだりに越えてはならないとれていた。
岩垣(いはかき)‥岩石が自然に垣のようにめぐり続いているもの。
岩垣沼(いはがきぬま)‥岩垣に囲まれた沼。
岩垣淵(いはがきふち)‥岩垣に囲まれた淵。
垣越し(かきごし)‥垣を隔てること。まち,垣を超えてくること。
垣内(かきつ)‥垣根の中。屋敷の中。
垣つ田(かきつた)‥垣根の中にある田。
垣つ柳(かきつやぎ)‥垣根の内にある柳。
垣根(かきね)‥垣の根もと。または垣そのもの。
垣穂なす(かきほなす)‥垣のように取り囲んで。垣のように邪魔をする。
垣間(かきま)‥垣のすき間。
竹垣(たけがき)‥竹で網状に作った垣根。
籬,間垣(まがき)‥竹・柴などを粗く編んで作った垣。
瑞垣(みづがき)‥神霊の宿る山・森などの周囲に木をめぐらした垣。神社の周囲の垣。玉垣。
ところで,垣によって区分けした場合,他人はその中に入ってみたいと思います。恋人がその家にいる場合はなおさらですね。また,プライバシーを守るために,中が見えないように作られた垣があると中をのぞきたくなります。美人の女性がその家にいたとするとなおさらですね。
そんな気持ちを詠んだ詠み人知らずの1首を紹介します。
花ぐはし葦垣越しにただ一目相見し子ゆゑ千たび嘆きつ(11/2565)
<はなぐは あしかきごしに ただひとめあひみしこゆゑ ちたびなげきつ>
<<花のように美人だったよ。葦の垣根越しにただ一目見つめ合ったあの子のことを千たびも思い返しては嘆くこの頃だ>>
プライバシーを守るために中を見えなくする垣(中を見るためには垣を越えて,見なければ見えない)があるいっぽう,中をわざと見せる垣があります。それが,荒垣,竹垣,籬のような垣です。網目を荒くして作り,中が見えるようになっています。中には入れないのですが,中が見えることで逆に中に入りたいという気持ちを強くさせる効果があります。
たとえば,自慢の庭があった場合,その一部または全部を外から覗けるようにしておくことで,自慢の庭のアピールができます。また,不審な人物が覗いていないか確認するためにも,逆に目の粗い。網状の垣にして,中から見えるほうが不審者排除という意味では良いということもあります。
次の1首は,そんな垣を詠んでいます。
我妹子がやどの籬を見に行かばけだし門より帰してむかも(4-777)
<わぎもこがやどのまがきをみにゆかば けだしかどよりかへしてむかも>
<<あなたの家の網の目になった垣を見に行っただけで,おそらく門から使いが出てきて「とっとと帰れと」追い返されるのでしょうね>>
この短歌は,大伴家持が若いころ,憧れの紀女郎(きのいらつめ)に贈った5首の中の1首です。若き家持は女郎に嫌われてしまっているのではないかと心配になり,こんな弱気な歌を贈ったのかもしれません。
どうも男女の仲を隔てるもの,障害なるもの,恋心を苦しめるもの,イライラさせるものの代名詞的として垣は万葉集で詠まれていることが多いようです。
わずかですが,男女の仲ではなく,ちょうど今頃の季節を詠んだ家持の垣が出てくる短歌を最後に紹介します。
鴬の鳴きし垣内ににほへりし梅この雪にうつろふらむか(19-4287)
<うぐひすのなきしかきつに にほへりしうめこのゆきに うつろふらむか>
<<ウグイスが鳴いている垣の中で見頃に咲いている梅だが,この雪で花が散ってしまわないだろうか>>
残念ながら今の都会では,庭に鶯が来て,鳴くことを経験できる場所は少ないのかもしれません。家持の家ではそれが可能だったのですね。羨ましい限りです。
<5年目の節目>
さて,このブログも開始して丸4年が経とうとしています。この間,250編以上をこのブログにアップしてきました。今まで,忙しくアップできなかったことはあっても,書く内容が見つからずアップできなかった記憶はありません。
それほど,万葉集は私に多くことを絶え間なく語り,多くの感慨を私に抱かせてくれました。その思いを次々と書き綴ってきたのがこのブログです。万葉集はこれからもまだまだ多くことを私に語ってくれることでしょう。
次回からしばらく,今もあるシリーズを中断し,旅先(海外)から当ブログ5年目突入スペシャル「羈旅シリーズ」をお届けします。
実は私は今月末から海外の観光ツアーに参加します(一応旅に出るのです)。その間,羈旅とリーズを何回かに分けてお送りします。
ツアーは日本よりも古い歴史が残されているヨーロッパのある国を周遊するものですが,行き先は到着してから最初の投稿でお知らせします。ツアーに同行するのは長年連れ添った妻,そして連れて行きたくはなかったのですが,どうしてもワインをたらふく飲むためについてくるという天の川君です。
我が家の3匹の猫たちはお留守番です。息子がほぼ毎日面倒を見てくれることになっています。
当ブログ5年目突入スペシャル「羈旅シリーズ(1):山部赤人」に続く。
万葉時代は大陸の新しい文化が押し寄せ,京(みやこ)の道路や建物の整備,都市をつなぐ街道や駅(はゆま)の整備,国分寺の建立(こんりゅう),土地の開墾(かいこん),繊維,陶器,刃物,貨幣鋳造(かへいちゅうぞう),製紙,兵器の製造などの新しい産業のための工場設置といった公共投資が積極的に行われた時代で,公共投資の恩恵を受けた現代で言ういわゆる中間層にあたる人たちの数が急速に増えてきたのではないかと私は考えています。
その人たちは,みずからの所得や財産の増加にともない,その豊かさ実感するため,(衣食住で)より高額な消費対象物(ぜいたく品)を求めることが生きがいになってきたと私は想像します。
<自分の家を持ってこそ富裕者の仲間入り?>
その豊かさを本当の意味で実感できるのは,自分の家を持った時ではないでしょうか。
当時の中間層の人たちは,自分の家を持とうと,より多くの所得を得るために,出世を目指す,新しい商売を考える,副業をこなす,将来値が上がると予測されるものに投資するなどをしたかもしれません(現代と同じように)。
その願いが通じ,自分の家を何とか手に入れます。しかし,中間層が手にできる家は限られた広さの土地に建てられたもののはずです。当然,家を建てることに適し,住みやすい土地(高台,川のほとり,街道や市場の近く)は人気があり,小さい区画に建てた家でも買い手はいたのだろうと私は思います。やっと手に入れた小さな土地の我が家と隣の家を隔てるもの,領地を明示するもの,プライバシーを守るものとして,垣(かき)が積極的に作られたのでしょう。
万葉集では,垣が出てくる和歌が40首ほどあります。その中に出てくる垣の種類や熟語は次の通りです。
青垣(あをかき)‥垣のようにめぐっている緑の山を形容する語。
葦垣(あしかき)‥葦で作った垣。
荒垣(あらかき)‥網目の荒い垣。
斎垣(いかき)‥社(やしろ)など神聖な領域にめぐらせた垣。みだりに越えてはならないとれていた。
岩垣(いはかき)‥岩石が自然に垣のようにめぐり続いているもの。
岩垣沼(いはがきぬま)‥岩垣に囲まれた沼。
岩垣淵(いはがきふち)‥岩垣に囲まれた淵。
垣越し(かきごし)‥垣を隔てること。まち,垣を超えてくること。
垣内(かきつ)‥垣根の中。屋敷の中。
垣つ田(かきつた)‥垣根の中にある田。
垣つ柳(かきつやぎ)‥垣根の内にある柳。
垣根(かきね)‥垣の根もと。または垣そのもの。
垣穂なす(かきほなす)‥垣のように取り囲んで。垣のように邪魔をする。
垣間(かきま)‥垣のすき間。
竹垣(たけがき)‥竹で網状に作った垣根。
籬,間垣(まがき)‥竹・柴などを粗く編んで作った垣。
瑞垣(みづがき)‥神霊の宿る山・森などの周囲に木をめぐらした垣。神社の周囲の垣。玉垣。
ところで,垣によって区分けした場合,他人はその中に入ってみたいと思います。恋人がその家にいる場合はなおさらですね。また,プライバシーを守るために,中が見えないように作られた垣があると中をのぞきたくなります。美人の女性がその家にいたとするとなおさらですね。
そんな気持ちを詠んだ詠み人知らずの1首を紹介します。
花ぐはし葦垣越しにただ一目相見し子ゆゑ千たび嘆きつ(11/2565)
<はなぐは あしかきごしに ただひとめあひみしこゆゑ ちたびなげきつ>
<<花のように美人だったよ。葦の垣根越しにただ一目見つめ合ったあの子のことを千たびも思い返しては嘆くこの頃だ>>
プライバシーを守るために中を見えなくする垣(中を見るためには垣を越えて,見なければ見えない)があるいっぽう,中をわざと見せる垣があります。それが,荒垣,竹垣,籬のような垣です。網目を荒くして作り,中が見えるようになっています。中には入れないのですが,中が見えることで逆に中に入りたいという気持ちを強くさせる効果があります。
たとえば,自慢の庭があった場合,その一部または全部を外から覗けるようにしておくことで,自慢の庭のアピールができます。また,不審な人物が覗いていないか確認するためにも,逆に目の粗い。網状の垣にして,中から見えるほうが不審者排除という意味では良いということもあります。
次の1首は,そんな垣を詠んでいます。
我妹子がやどの籬を見に行かばけだし門より帰してむかも(4-777)
<わぎもこがやどのまがきをみにゆかば けだしかどよりかへしてむかも>
<<あなたの家の網の目になった垣を見に行っただけで,おそらく門から使いが出てきて「とっとと帰れと」追い返されるのでしょうね>>
この短歌は,大伴家持が若いころ,憧れの紀女郎(きのいらつめ)に贈った5首の中の1首です。若き家持は女郎に嫌われてしまっているのではないかと心配になり,こんな弱気な歌を贈ったのかもしれません。
どうも男女の仲を隔てるもの,障害なるもの,恋心を苦しめるもの,イライラさせるものの代名詞的として垣は万葉集で詠まれていることが多いようです。
わずかですが,男女の仲ではなく,ちょうど今頃の季節を詠んだ家持の垣が出てくる短歌を最後に紹介します。
鴬の鳴きし垣内ににほへりし梅この雪にうつろふらむか(19-4287)
<うぐひすのなきしかきつに にほへりしうめこのゆきに うつろふらむか>
<<ウグイスが鳴いている垣の中で見頃に咲いている梅だが,この雪で花が散ってしまわないだろうか>>
残念ながら今の都会では,庭に鶯が来て,鳴くことを経験できる場所は少ないのかもしれません。家持の家ではそれが可能だったのですね。羨ましい限りです。
<5年目の節目>
さて,このブログも開始して丸4年が経とうとしています。この間,250編以上をこのブログにアップしてきました。今まで,忙しくアップできなかったことはあっても,書く内容が見つからずアップできなかった記憶はありません。
それほど,万葉集は私に多くことを絶え間なく語り,多くの感慨を私に抱かせてくれました。その思いを次々と書き綴ってきたのがこのブログです。万葉集はこれからもまだまだ多くことを私に語ってくれることでしょう。
次回からしばらく,今もあるシリーズを中断し,旅先(海外)から当ブログ5年目突入スペシャル「羈旅シリーズ」をお届けします。
実は私は今月末から海外の観光ツアーに参加します(一応旅に出るのです)。その間,羈旅とリーズを何回かに分けてお送りします。
ツアーは日本よりも古い歴史が残されているヨーロッパのある国を周遊するものですが,行き先は到着してから最初の投稿でお知らせします。ツアーに同行するのは長年連れ添った妻,そして連れて行きたくはなかったのですが,どうしてもワインをたらふく飲むためについてくるという天の川君です。
我が家の3匹の猫たちはお留守番です。息子がほぼ毎日面倒を見てくれることになっています。
当ブログ5年目突入スペシャル「羈旅シリーズ(1):山部赤人」に続く。
2013年2月14日木曜日
今もあるシリーズ「板(いた)」
万葉時代建物,船,橋などに多くの木の板が使われていたことが万葉集の和歌からわかります。
特に建物の屋根や出入り口の戸は,当時木の板で作られていたことが想像できる(大伴家持が紀郎女に贈った)1首を紹介します。
板葺の黒木の屋根は山近し明日の日取りて持ちて参ゐ来む(4-779)
<いたぶきのくろきのやねは やまちかしあすのひとりて もちてまゐこむ>
<<屋根を葺く板の材料となる黒木(皮付きの板にする原木)は,私が住んでいるところが山に近いので明日にでも取りに行って持ち帰ってきましょう>>
この短歌は紀郎女に贈った5首の1首ですが,「貴女のためなら,木を切り倒す,薄い板に加工する,屋根を葺くまで,なんでやりまっせ」くらいの家持の勢いですね。家持がまだ若いときにかなり年上の紀郎女にお熱をあげた様子が分かります。
さて,次は板でできた戸を詠んだ詠み人知らずの東歌を紹介します。
奥山の真木の板戸をとどとして我が開かむに入り来て寝さね(14-3467)
<おくやまのまきのいたとをとどとして わがひらかむにいりきてなさね>
<<無垢の木で作った板戸をトントンと合図を送ってくだされば,私は戸を開きますから,入ってきて一緒に寝ましょう>>
夜妻問いのために男性は相手の女性の家に行きます。事前に妻問いすることを歌のやり取りで約束した二人,別の男が来たときは戸を開けないようにお互いの合図を取り決めているような1首ですね。妻問いの作法を教えている歌のようにも思えます。
さて,最後は神を近くに導く板の材料(杉)を題材に恋しく思う気持ちを詠んだ詠み人知らず短歌です。
神なびの神寄せ板にする杉の思ひも過ぎず恋の繁きに(9-1773)
<かむなびのかみよせいたにするすぎの おもひもすぎずこひのしげきに>
<<神を近くに呼び寄せる板に使われている杉のように,私の思いは「すぎ(杉)去っていないもの」と忘れられずにいます。あまりにも恋しい気持ちが強いため>>
当時,杉の板は神事に使われるほど,良い香りがして,高級な板だったのかもしれません。
さて,板はそのほかにも,さまざまな囲いや仕切りに使われた可能性があります。奈良時代のそういった囲いや仕切りをめぐらした垣(かき)について,万葉集をもとに見ていきましょう。
今もあるシリーズ「垣(かき)」に続く。
特に建物の屋根や出入り口の戸は,当時木の板で作られていたことが想像できる(大伴家持が紀郎女に贈った)1首を紹介します。
板葺の黒木の屋根は山近し明日の日取りて持ちて参ゐ来む(4-779)
<いたぶきのくろきのやねは やまちかしあすのひとりて もちてまゐこむ>
<<屋根を葺く板の材料となる黒木(皮付きの板にする原木)は,私が住んでいるところが山に近いので明日にでも取りに行って持ち帰ってきましょう>>
この短歌は紀郎女に贈った5首の1首ですが,「貴女のためなら,木を切り倒す,薄い板に加工する,屋根を葺くまで,なんでやりまっせ」くらいの家持の勢いですね。家持がまだ若いときにかなり年上の紀郎女にお熱をあげた様子が分かります。
さて,次は板でできた戸を詠んだ詠み人知らずの東歌を紹介します。
奥山の真木の板戸をとどとして我が開かむに入り来て寝さね(14-3467)
<おくやまのまきのいたとをとどとして わがひらかむにいりきてなさね>
<<無垢の木で作った板戸をトントンと合図を送ってくだされば,私は戸を開きますから,入ってきて一緒に寝ましょう>>
夜妻問いのために男性は相手の女性の家に行きます。事前に妻問いすることを歌のやり取りで約束した二人,別の男が来たときは戸を開けないようにお互いの合図を取り決めているような1首ですね。妻問いの作法を教えている歌のようにも思えます。
さて,最後は神を近くに導く板の材料(杉)を題材に恋しく思う気持ちを詠んだ詠み人知らず短歌です。
神なびの神寄せ板にする杉の思ひも過ぎず恋の繁きに(9-1773)
<かむなびのかみよせいたにするすぎの おもひもすぎずこひのしげきに>
<<神を近くに呼び寄せる板に使われている杉のように,私の思いは「すぎ(杉)去っていないもの」と忘れられずにいます。あまりにも恋しい気持ちが強いため>>
当時,杉の板は神事に使われるほど,良い香りがして,高級な板だったのかもしれません。
さて,板はそのほかにも,さまざまな囲いや仕切りに使われた可能性があります。奈良時代のそういった囲いや仕切りをめぐらした垣(かき)について,万葉集をもとに見ていきましょう。
今もあるシリーズ「垣(かき)」に続く。
2013年2月6日水曜日
今もあるシリーズ「宿(やど)」
現在では「宿」というと旅館,民宿,ホテルなどの宿泊施設を意味することが多いと思いますが,万葉時代では家の戸(屋戸),家の戸の前の庭先(屋外)または家そのものを指すことも多いといえそうです。
ただ,今回は旅の「宿」に関する万葉集の和歌を見ていきます。
君が行く海辺の宿に霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ(15-3580)
<きみがゆくうみへのやどに きりたたばあがたちなげく いきとしりませ>
<<あなたが異国に行かれる途中の海辺の宿で霧が立って見通しが悪くなったら,私があまりに寂しくて号泣する息と思ってください>>
遣新羅使の夫に対して妻が贈ったとされる短歌です。遣新羅使ともなれば,宿は野宿ではなく,順調な旅であれば港の近くに宿泊施設を用意したと考えられます。
また,さまざまな事情(天候待ち,修理資材の調達待ち,次の到着地の準備待ち,海賊情報など)で港からの出航が待たされることもたびたびあったかもしれません。その間,遣新羅使たちはあり余る時間を港の宿が手配する遊女と一緒に過ごすことも考えられます。京に残った妻も気が気ではありませんから,こんな短歌も贈りたくなるのかも。
次は,もう少し厳しい旅の状況です。詠み人知らずの1首です。
十月雨間も置かず降りにせばいづれの里の宿か借らまし(12-3214)
<かむなづき あままもおかずふりにせば いづれのさとのやどかからまし>
<< 十月の雨がひっきりなしに降ったとしたらどこの里の宿を借りればよいかな~(今まで考えていなかったよ)>>
旧暦の10月は新暦では11月の頃でしょうから氷雨のような冷たい雨でしょうか。それがひっきりなしに降った場合,旅人が野宿するのは危険です。でも,この作者は宿を借りていません。
この短歌は次の妻から贈られた短歌の返歌です。
十月しぐれの雨に濡れつつか君が行くらむ宿か借るらむ(12-3213)
<かむなづき しぐれのあめにぬれつつか きみがゆくらむやどかかるらむ>
<<十月のしぐれの雨に濡れながらあなたは旅路を急いでいるでしょうね。宿を借られているでしょうか>>
妻からの心配に対して,宿を借りるほど大した雨ではないので,心配しないでほしいと夫は返したのです。
最後は高市黒人(たけちのくろひと)が富山に旅をしたときに詠んだとされる1首です。
婦負の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日しかなしく思ほゆ(17-4016)
<めひのののすすきおしなべ ふるゆきにやどかるけふし かなしくおもほゆ>
<<婦負の野のすすきを押し倒すほど降る雪で,宿を借りることになり(先に進めない),今日という日は本当に悲しく思える>>
この短歌は,越中守であった大伴家持に三国真人五百国(みくにのまひといほくに)という人物が黒人が越中を訪れた時に詠んだ短歌として紹介したようです。家持は「羈旅の歌人黒人も越中に冬の季節に訪れたときは苦労したのかな」と想像したのかしれませんね。
いずれにしても,万葉時代は旅人が止まる宿は今のような畳敷きやベッドルームではなく,せいぜい板で囲われた板の間だったと私は想像します。
次回はその「板」について万葉集を見ていきます。
今もあるシリーズ「板(いた)」に続く。
ただ,今回は旅の「宿」に関する万葉集の和歌を見ていきます。
君が行く海辺の宿に霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ(15-3580)
<きみがゆくうみへのやどに きりたたばあがたちなげく いきとしりませ>
<<あなたが異国に行かれる途中の海辺の宿で霧が立って見通しが悪くなったら,私があまりに寂しくて号泣する息と思ってください>>
遣新羅使の夫に対して妻が贈ったとされる短歌です。遣新羅使ともなれば,宿は野宿ではなく,順調な旅であれば港の近くに宿泊施設を用意したと考えられます。
また,さまざまな事情(天候待ち,修理資材の調達待ち,次の到着地の準備待ち,海賊情報など)で港からの出航が待たされることもたびたびあったかもしれません。その間,遣新羅使たちはあり余る時間を港の宿が手配する遊女と一緒に過ごすことも考えられます。京に残った妻も気が気ではありませんから,こんな短歌も贈りたくなるのかも。
次は,もう少し厳しい旅の状況です。詠み人知らずの1首です。
十月雨間も置かず降りにせばいづれの里の宿か借らまし(12-3214)
<かむなづき あままもおかずふりにせば いづれのさとのやどかからまし>
<< 十月の雨がひっきりなしに降ったとしたらどこの里の宿を借りればよいかな~(今まで考えていなかったよ)>>
旧暦の10月は新暦では11月の頃でしょうから氷雨のような冷たい雨でしょうか。それがひっきりなしに降った場合,旅人が野宿するのは危険です。でも,この作者は宿を借りていません。
この短歌は次の妻から贈られた短歌の返歌です。
十月しぐれの雨に濡れつつか君が行くらむ宿か借るらむ(12-3213)
<かむなづき しぐれのあめにぬれつつか きみがゆくらむやどかかるらむ>
<<十月のしぐれの雨に濡れながらあなたは旅路を急いでいるでしょうね。宿を借られているでしょうか>>
妻からの心配に対して,宿を借りるほど大した雨ではないので,心配しないでほしいと夫は返したのです。
最後は高市黒人(たけちのくろひと)が富山に旅をしたときに詠んだとされる1首です。
婦負の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日しかなしく思ほゆ(17-4016)
<めひのののすすきおしなべ ふるゆきにやどかるけふし かなしくおもほゆ>
<<婦負の野のすすきを押し倒すほど降る雪で,宿を借りることになり(先に進めない),今日という日は本当に悲しく思える>>
この短歌は,越中守であった大伴家持に三国真人五百国(みくにのまひといほくに)という人物が黒人が越中を訪れた時に詠んだ短歌として紹介したようです。家持は「羈旅の歌人黒人も越中に冬の季節に訪れたときは苦労したのかな」と想像したのかしれませんね。
いずれにしても,万葉時代は旅人が止まる宿は今のような畳敷きやベッドルームではなく,せいぜい板で囲われた板の間だったと私は想像します。
次回はその「板」について万葉集を見ていきます。
今もあるシリーズ「板(いた)」に続く。
2012年9月23日日曜日
今もあるシリーズ「袖(そで)」
衣服の袖は,左右それぞれの腕を通す筒型または袋型の部分です。袖は洋服では腕にぴったりくっつくように細いですが,和服では振袖のように腕の太さとは無関係に大きな袋状になっています。
和服では,昔から袖は腕を隠したり,ポケットの変わりにモノを入れたり,暑さ寒さや紫外線から肌を守るだけでなく,ファッション性をアピールする道具としても使われます。
万葉集には「袖」がたくさん詠まれています。「袖付け衣(そでつけころも)」という言葉が万葉集に出てくるくらいですから,万葉時代には袖を衣服に取り付ける縫製技術が十分進化していたのだと私は思います。
次は「袖」を詠った有名な短歌(大海人皇子と志貴皇子の作)です。あまりに有名なのと本ブログの他の記事で紹介済みなので読みと訳は省略します。
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(1-20)
采女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く(1-51)
この袖が衣服の本体に綺麗に付くようにするには,縫製技術の高度化がないとうまくいきません。
袖を付ける製法技術がない時代は,2枚の布を頭が入る場所は縫わずに,両端を縫います。縫っていないところを頭を通し,縫ったところが両肩の上となるようします。布は身体の前(胸)と後ろ(背)に垂れます。紐で腰のあたりで結べば,もっとも原始的な衣服が出来上がります。もちろん袖はありません。
ただ,袖を付ける縫製技術が完成していても,万葉時代は今のスパンデックスのような伸び縮みする布はまだ無かったので,袖は腕の太さよりかなり大きく作らないと腕を通すことがままなりません。そのため袖は結果的に大きく作られるようになり,袖の大きさや色が着ている人の存在感を示すことになったのかもしれません。
万葉集では「袖」の前につく枕詞の多くが「白栲の」となっています。当時は袖は白が主流だったと想像できます。
また,袖は左右に別に分かれて存在しますから,万葉時代では次の1首のように「別離」を引き合いに出す言葉でもあったようです。
白栲の袖の別れは惜しけども思ひ乱れて許しつるかも(12-3182)
<しろたへのそでのわかれはをしけども おもひみだれてゆるしつるかも>
<<袖が分かれているようにあなたとの別れはつらいけど,私の心が乱れてしまい結局あなたと別れることにしたの>>
この詠み人知らずの短歌,女性が詠んだものとして訳してみました。女性の感性をうまく表現できているでしょうか。
さて,そんな悲恋に遭遇すると悲しみのあまり,涙がとめどなく出ます。
その流れる涙を拭うのも当時袖の重要な役目であることを,次の詠み人知らずの1首が教えてくれます。
ぬばたまのその夢にだに見え継ぐや袖干る日なく我れは恋ふるを(12-2849)
<ぬばたまのそのいめにだに みえつぐやそでふるひなく あれはこふるを>
<<夜君と逢う夢だけでも見続けたい。涙で袖が乾く日がないほど私は恋しているのだから>>
袖は保温効果,紫外線予防,ファッション性や恋する気持ちをアピールする道具としての効果がありますが,垂れ下がる袖は狩りのような激しい動きには逆に邪魔になることがあります。
最後の旋頭歌は,そんな場合にどうしていたかを私たちに教えてくれる1首です。
江林に臥せる獣やも求むるによき白栲の袖巻き上げて獣待つ我が背(7-1292)
<えはやしにふせるししやももとむるによき しろたへのそでまきあげてししまつわがせ>
<<河口近くの林に隠れている獣を捕獲するために袖をたくし上げて待つ私の大好きな人>>
狩猟をするときは,大きな袖はいろんなものに引っかかって動きが悪くなるので,袖をまくりあげたりして袖が邪魔にならないようにします。でも,ただまくりあげただけの場合,身体を動かすと袖はすぐ垂れてきます。そうならないように考えられたのが紐を使って,襷(たすき)を掛ける工夫です。
次回の本シリーズは,その「襷」を取り上げます。
今もあるシリーズ「襷(たすき)」に続く。
和服では,昔から袖は腕を隠したり,ポケットの変わりにモノを入れたり,暑さ寒さや紫外線から肌を守るだけでなく,ファッション性をアピールする道具としても使われます。
万葉集には「袖」がたくさん詠まれています。「袖付け衣(そでつけころも)」という言葉が万葉集に出てくるくらいですから,万葉時代には袖を衣服に取り付ける縫製技術が十分進化していたのだと私は思います。
次は「袖」を詠った有名な短歌(大海人皇子と志貴皇子の作)です。あまりに有名なのと本ブログの他の記事で紹介済みなので読みと訳は省略します。
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(1-20)
采女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く(1-51)
この袖が衣服の本体に綺麗に付くようにするには,縫製技術の高度化がないとうまくいきません。
袖を付ける製法技術がない時代は,2枚の布を頭が入る場所は縫わずに,両端を縫います。縫っていないところを頭を通し,縫ったところが両肩の上となるようします。布は身体の前(胸)と後ろ(背)に垂れます。紐で腰のあたりで結べば,もっとも原始的な衣服が出来上がります。もちろん袖はありません。
ただ,袖を付ける縫製技術が完成していても,万葉時代は今のスパンデックスのような伸び縮みする布はまだ無かったので,袖は腕の太さよりかなり大きく作らないと腕を通すことがままなりません。そのため袖は結果的に大きく作られるようになり,袖の大きさや色が着ている人の存在感を示すことになったのかもしれません。
万葉集では「袖」の前につく枕詞の多くが「白栲の」となっています。当時は袖は白が主流だったと想像できます。
また,袖は左右に別に分かれて存在しますから,万葉時代では次の1首のように「別離」を引き合いに出す言葉でもあったようです。
白栲の袖の別れは惜しけども思ひ乱れて許しつるかも(12-3182)
<しろたへのそでのわかれはをしけども おもひみだれてゆるしつるかも>
<<袖が分かれているようにあなたとの別れはつらいけど,私の心が乱れてしまい結局あなたと別れることにしたの>>
この詠み人知らずの短歌,女性が詠んだものとして訳してみました。女性の感性をうまく表現できているでしょうか。
さて,そんな悲恋に遭遇すると悲しみのあまり,涙がとめどなく出ます。
その流れる涙を拭うのも当時袖の重要な役目であることを,次の詠み人知らずの1首が教えてくれます。
ぬばたまのその夢にだに見え継ぐや袖干る日なく我れは恋ふるを(12-2849)
<ぬばたまのそのいめにだに みえつぐやそでふるひなく あれはこふるを>
<<夜君と逢う夢だけでも見続けたい。涙で袖が乾く日がないほど私は恋しているのだから>>
袖は保温効果,紫外線予防,ファッション性や恋する気持ちをアピールする道具としての効果がありますが,垂れ下がる袖は狩りのような激しい動きには逆に邪魔になることがあります。
最後の旋頭歌は,そんな場合にどうしていたかを私たちに教えてくれる1首です。
江林に臥せる獣やも求むるによき白栲の袖巻き上げて獣待つ我が背(7-1292)
<えはやしにふせるししやももとむるによき しろたへのそでまきあげてししまつわがせ>
<<河口近くの林に隠れている獣を捕獲するために袖をたくし上げて待つ私の大好きな人>>
狩猟をするときは,大きな袖はいろんなものに引っかかって動きが悪くなるので,袖をまくりあげたりして袖が邪魔にならないようにします。でも,ただまくりあげただけの場合,身体を動かすと袖はすぐ垂れてきます。そうならないように考えられたのが紐を使って,襷(たすき)を掛ける工夫です。
次回の本シリーズは,その「襷」を取り上げます。
今もあるシリーズ「襷(たすき)」に続く。
2012年9月16日日曜日
今もあるシリーズ「櫛(くし)」
頭髪を整えるとき,ブラシを使うことが多くなりましたが,今もまだ多くの人が「櫛」を携帯しているようです。私もその一人で,中国で滞在したホテルのアメニティの竹製櫛を携帯しています。
もちろん,床屋さんが頭髪,ひげ,眉毛をカットする際に,必須品だと思います。ホテルのアメニティ以外に,スポーツ施設の浴場などの洗面台に置いてあるのを多く見かけます。
万葉集で櫛に関する和歌(枕詞の「玉櫛笥」も含む)は約30首あります。
その内、櫛自体を詠んだ和歌は8首と少なく,後は「櫛笥」(櫛を入れる化粧箱)または「奥」「ふ」「み」「覆ふ」「ふた」「開く」にかかる枕詞「玉櫛笥」に関するものです。
玉櫛笥覆ふを安み明けていなば君が名はあれど吾が名し惜しも(2-93)
<たまくしげおほふをやすみ あけていなばきみがなはあれど わがなしをしも>
<<二人の仲を隠す(覆う)のはたやすいと夜が明け,明るくなりきってからお帰りになるなんて、あなたの評判が立つのはともかく、私の浮名の立つのが惜しいですわ>>
この短歌は,鏡王女が藤原鎌足(614~669)に贈った1首です。それに対して,鎌足は同じく玉櫛笥を枕詞に次の短歌を返しています。
玉櫛笥みむろの山のさな葛さ寝ずはつひに有りかつましじ(2-94)
<たまくしげみむろのやまの さなかづらさねずはつひに ありかつましじ>
<<三室山のさな葛ではないが、さ寝ず(共寝せず)に最後まで(夜が明けるまで)待たせるなんてありえないでしょう>>
さて,どちらの言い分が正しいのか? それとも,余りに楽しい妻問の時間であっという間に朝になり,お互い相手のせいにしてさらに楽しんでいるのかもしれませんね。
いずれにしても,枕詞に「玉櫛笥」が7世紀に使われているということは,その中に入れる「櫛」も貴族の中では日常品として使われていたのだと私は思います。
では,櫛そのものを詠んだ短歌を紹介します。
からたちと茨刈り除け倉建てむ屎遠くまれ櫛造る刀自(16-3832)
<からたちとうばらかりそけ くらたてむくそとほくまれ くしつくるとじ>
<<カラタチとイバラを刈って倉庫を建てるから,この近くでトイレをしないでほしいなあ,櫛を作るお姉さんたちよ>>
なんと,品のない短歌でしょうか。また,宴席でさまざまなものの名前を入れて即興で詠うことが流行っていたのでしょうか。
カラタチもイバラもトゲがあります。櫛やその他の工芸品などを作っている工場では,工員の女性用トイレを人が入りにくい,トゲのある植物で囲まれた場所に作っていたのかもしれません。
そうして,そのような背景を踏まえて,倉,屎,櫛とすべて「く」で始まる言葉を入れ,酒に任せて忌部首(いみべのおびと)という人物が詠んだとされています。
万葉時代には,櫛を大量に生産する手工業の工場がすでにできていたのかもしれないと私は想像します。
最後に,もう1首大伴家持が櫛を詠んだ興味深い短歌を紹介します(この短歌は昨年3月12日の投稿でも紹介しています。)。
娘子らが後の標と黄楊小櫛生ひ変り生ひて靡きけらしも(19-4212)
<をとめらが のちのしるしと つげをぐし おひかはりおひて なびきけらしも>
<<兎原娘子(うなひをとめ)の言い伝えのしるしとして黄楊の小櫛が木に生え変わって伸び栄え風に靡いているのだ>>
この短歌から,万葉時代,櫛の材料としてツゲがあったことがわかります。ツゲは非常に成長が遅い代わりに木が固く変形しにくいため,櫛にはもってこいの木材なのです。
しかし,固い材質ほど加工が難しいですが,高度な加工技術がすでに確立し,多くの専門の刀自たちによってけっこう大量に製作されていたのでしょう。
現在も「つげ櫛」は高級な櫛の代名詞となっているようです。
今もあるシリーズ「衾(ふすま)」に続く。
もちろん,床屋さんが頭髪,ひげ,眉毛をカットする際に,必須品だと思います。ホテルのアメニティ以外に,スポーツ施設の浴場などの洗面台に置いてあるのを多く見かけます。
万葉集で櫛に関する和歌(枕詞の「玉櫛笥」も含む)は約30首あります。
その内、櫛自体を詠んだ和歌は8首と少なく,後は「櫛笥」(櫛を入れる化粧箱)または「奥」「ふ」「み」「覆ふ」「ふた」「開く」にかかる枕詞「玉櫛笥」に関するものです。
玉櫛笥覆ふを安み明けていなば君が名はあれど吾が名し惜しも(2-93)
<たまくしげおほふをやすみ あけていなばきみがなはあれど わがなしをしも>
<<二人の仲を隠す(覆う)のはたやすいと夜が明け,明るくなりきってからお帰りになるなんて、あなたの評判が立つのはともかく、私の浮名の立つのが惜しいですわ>>
この短歌は,鏡王女が藤原鎌足(614~669)に贈った1首です。それに対して,鎌足は同じく玉櫛笥を枕詞に次の短歌を返しています。
玉櫛笥みむろの山のさな葛さ寝ずはつひに有りかつましじ(2-94)
<たまくしげみむろのやまの さなかづらさねずはつひに ありかつましじ>
<<三室山のさな葛ではないが、さ寝ず(共寝せず)に最後まで(夜が明けるまで)待たせるなんてありえないでしょう>>
さて,どちらの言い分が正しいのか? それとも,余りに楽しい妻問の時間であっという間に朝になり,お互い相手のせいにしてさらに楽しんでいるのかもしれませんね。
いずれにしても,枕詞に「玉櫛笥」が7世紀に使われているということは,その中に入れる「櫛」も貴族の中では日常品として使われていたのだと私は思います。
では,櫛そのものを詠んだ短歌を紹介します。
からたちと茨刈り除け倉建てむ屎遠くまれ櫛造る刀自(16-3832)
<からたちとうばらかりそけ くらたてむくそとほくまれ くしつくるとじ>
<<カラタチとイバラを刈って倉庫を建てるから,この近くでトイレをしないでほしいなあ,櫛を作るお姉さんたちよ>>
なんと,品のない短歌でしょうか。また,宴席でさまざまなものの名前を入れて即興で詠うことが流行っていたのでしょうか。
カラタチもイバラもトゲがあります。櫛やその他の工芸品などを作っている工場では,工員の女性用トイレを人が入りにくい,トゲのある植物で囲まれた場所に作っていたのかもしれません。
そうして,そのような背景を踏まえて,倉,屎,櫛とすべて「く」で始まる言葉を入れ,酒に任せて忌部首(いみべのおびと)という人物が詠んだとされています。
万葉時代には,櫛を大量に生産する手工業の工場がすでにできていたのかもしれないと私は想像します。
最後に,もう1首大伴家持が櫛を詠んだ興味深い短歌を紹介します(この短歌は昨年3月12日の投稿でも紹介しています。)。
娘子らが後の標と黄楊小櫛生ひ変り生ひて靡きけらしも(19-4212)
<をとめらが のちのしるしと つげをぐし おひかはりおひて なびきけらしも>
<<兎原娘子(うなひをとめ)の言い伝えのしるしとして黄楊の小櫛が木に生え変わって伸び栄え風に靡いているのだ>>
この短歌から,万葉時代,櫛の材料としてツゲがあったことがわかります。ツゲは非常に成長が遅い代わりに木が固く変形しにくいため,櫛にはもってこいの木材なのです。
しかし,固い材質ほど加工が難しいですが,高度な加工技術がすでに確立し,多くの専門の刀自たちによってけっこう大量に製作されていたのでしょう。
現在も「つげ櫛」は高級な櫛の代名詞となっているようです。
今もあるシリーズ「衾(ふすま)」に続く。
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