しばらくお休みにしていました「今もあるシリーズ」にまた戻ります。
さて,現代一般的に使われている鏡の多くがガラスに金属を吹き付けて,その面で光を反射させるものです。しかし,万葉時代の鏡は金属の板を磨いて姿が映るようにしたものでした。
鏡の大きさは,手のひらで持てるほどから,せいぜい両手で持てるほどの大きさの円形です。写真は,千葉県佐倉市にある国立民族博物館に展示されている古墳時代の鏡(裏側)です。
当時の鏡で見られるのは,その大きさから身体の顔や頭など一部のみでした。また,当時の鏡は神聖なものとして扱われ,三種の神器の一つにもなっています(残りは玉と剣)。
そのため,鏡は化粧用の小物として一般にも使われるだけでなく,祭事用として特別な存在だった様子は次の万葉集の東歌でもわかります。
山鳥のをろの初麻に鏡懸け唱ふべみこそ汝に寄そりけめ(14-3468)
<やまとりのをろのはつをに かがみかけとなふべみこそ なによそりけめ>
<<山鳥の尾のように長い初麻に鏡にかけて唱えて祈ったからこそあなたと寄り添えたのよ>>
当時の東国では,その年最初に収穫した麻の繊維に鏡を掛けて願いをかけると叶うという言い伝えがあったのでしょう。
また,次の詠み人知らずの短歌から,当時鏡は美しいものの象徴だったことが読み取れます。
住吉の小集楽に出でてうつつにもおの妻すらを鏡と見つも(16-3808)
<すみのえのをづめにいでて うつつにもおのづますらを かがみとみつも>
<<住吉で行われる野遊びに出かけてみると,本当に僕の妻が鏡のように美しく見えるよ>>
今では,美しい女性のことを,たとえば「花のように美しい」と言いますが,当時は「鏡のように美しい」と言っていたのかもしれませんね。
このように万葉集では鏡を題材にした歌も多くありますが,35首以上もの和歌に出てくる「まそ鏡」という言葉です。その中で「まそ鏡」の用法の多くは,非常に美しい鏡という意味から,清き、磨ぐ、照る、見る、面、床、掛くにかかる枕詞です。
次は枕詞「まそ鏡」が出てくる1首です。
まそ鏡磨ぎし心をゆるしてば後に言ふとも験あらめやも(4-673)
<まそかがみとぎしこころを ゆるしてばのちにいふとも しるしあらめやも>
<<(まそ鏡のように)研ぎ澄ました心を一度緩めてしまったなら、後で(真剣に恋していたと)言っても無意味ですわ>>
これは,坂上郎女が詠んだ短歌で,真剣な恋の気持ちをよくできた一点の曇りもない鏡に譬えているのでしょう。また,この短歌から当時の高級品の鏡は,鏡用の円形の金属の板を熟練した製造工が丹念に歪みなく研磨をしていた様子が伺えます。もしかしたら,「○○という製造工が磨いた鏡」というブランド品も出回っていたのかもしれません。
さて,次は「まそ鏡」が枕詞ではなく,本来の意味で使われている1首です。
まそ鏡持てれど我れは験なし君が徒歩よりなづみ行く見れば(13-3316)
<まそかがみもてれどわれは しるしなしきみがかちより なづみゆくみれば>
<<まそ鏡を持っていても私にとっては何の価値もないのよ。旅先で苦労しながら一歩ずつ歩いているあなたの姿を思い起こせば>>
この短歌は旅に出た恋人の帰りを待つ女性が詠んだもののようです。
現在にあてはめれば「あなたが無事に帰ってくれたなら,ダイヤもルビーもいらないわ」といった意味でしょうか。恋人と比較されるくらいですから「まそ鏡」は,万葉時代まさに女性にとってあこがれの品だった可能性を感じます。
天の川 「鏡よ鏡よ鏡さん。この世で一番美しい女性は誰?」
魔法の鏡 「それはたびとの奥さんじゃ」
天の川 「あのな~,たびとはん。 鏡の後ろに隠れて何を訳の分からんこと言うてんねん?」
今もあるシリーズ「釣舟(つりふね)」に続く。
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