2013年3月8日金曜日

当ブログ5年目突入スペシャル「羈旅シリーズ(5):防人作」

<イタリア旅行報告5>
今日,ミラノ空港から日本に戻ります。
あっという間のツアーでした。とにかく,イタリアの歴史,自然,食事を十分に満喫できた旅でした。
イタリアからの最後の投稿になります。天の川君もワインの飲み過ぎで暴れることもなく,帰国できそうです。ところで,今回のツアーの参加者は40名近い人数でした。たくさん日本からのツアーも来ていましたが,こんなに多くの参加者による別のツアーは見かけませんでした。ミラノレオナルドダビンチ作の「最後の晩餐」を確実にみられるツアーであったことも満席になった理由かもしれません。
私のツアーの参加者は日本各地からの(23歳から80歳の)老若男女でした。その方々との語らいも大変楽しかったです。
ピサ(男性)とベローナ(女性)の現地人ガイドは素晴らしかったです。お二人とも日本語の発音をわざとイタリア人風に訛らせて,全員を笑わせるうまいジョークを随所に交えながら解説してくれました。日本人ガイドも見習うべきだろうと感じました。
フィレンツェの展望(天の川君がフレームのつもりで手を出していますが,ご容赦を)と天使の足が倒れるのを防いでいるピサの斜塔の写真をアップします。
さて,羈旅シリーズは第5弾まできました。旅の情景を詠んだ防人歌を紹介します。
まず,旅の長さを詠んだ1首からです。

百隈の道は来にしをまたさらに八十島過ぎて別れか行かむ(20-4349)
ももくまのみちはきにしを またさらにやそしますぎて わかれかゆかむ
<<いくつも曲がった道を来て,またさらに多くの島を過ぎて,愛しい家族から遠くに別れ行くのだ>>

この短歌の作者は,安房の国出身の刑部三野(をさかべのみつの)というリーダ格の助丁(すけのよぼろ)です。本当は,悲しい,寂しい,不安だ,怖いなどと心情を詠みたいのでけれど,リーダらしく事実だけを詠んでいます。が,それがかえって旅路の厳しさを私には教えてくれます。
次は,防人歌では珍しい長歌です。

足柄の み坂給はり 返り見ず 我れは越え行く 荒し夫も 立しやはばかる 不破の関 越えて我は行く 馬の爪 筑紫の崎に 留まり居て 我れは斎はむ 諸々は 幸くと申す 帰り来までに(20-4372)
あしがらのみさかたまはり かへりみずあれはくえゆく あらしをもたしやはばかる ふはのせきくえてわはゆく むまのつめつくしのさきに ちまりゐてあれはいははむ もろもろはさけくとまをす かへりくまでに
<<足柄の神坂で振り返りもせず,私は越えて行く,荒くれ男も立ちはばかる不破の関も私は越えて行く,筑紫の崎では立ち止まって私は慎み祈る。私が帰って戻るまで,いろいろ幸運が残した家族に多くありますようにと>>

この長歌は,倭文部可良麻呂(しとりべのからまろ)という,常陸の国(今の茨城県)出身の防人が詠ったものとされています。この作者,特に何の役職も記されていませんが,なかなかの歌人だと私は思います。また,旅の途中の場所や云われをよく記録(記憶)している頭の良い防人だとも私は想像します。
私は,今ミラノ空港にいます。イタリアの各地や隣国を回ってきたいくつかツアーが同じ飛行機に乗ります。添乗員も顔見知りがいるらしく,情報交換をしています。
しかし,成田空港では10日間一緒にいたツアー参加者ともお別れです。国内線に乗り継ぐ人,スカイライナーや成田エクスプレスで帰る人,空港リムジンバスで帰る人など様々な方面に向かい,明日からの通常の人生の旅にわかれていきます。
最後は,そんな雰囲気を伝える下野の国(今の栃木県)出身の神麻續部嶋麻呂(かますべのしままろ)が詠んだとされる防人歌です。

国々の防人集ひ船乗りて別るを見ればいともすべなし(20-4381)
くにぐにのさきもりつどひ ふなのりてわかるをみれば いともすべなし
<<各地の防人が集い船に乗り別れて行くのを見るのはなんとも切ない>>

さあ,ミラノから成田への飛行機の搭乗時間が近づきました。次は日本に着いたらアップします。
当ブログ5年目突入スペシャル「羈旅シリーズ(6):高市黒人」に続く。

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