<イタリア旅行報告6>
2月28日から3月9日までのイタリア旅行も終わり,時差ボケと戦いながら自宅からこのブログをアップしています。
観光最終日に回ったベローナとミラノは対照的でした。ベローナはジュリエットのベランダで有名ですが,町の歴史は古く,ローマ時代の円形競技場,ロマネスク,ルネサンス,バロックの各様式の建築物などが状態よく保存されているのが特に印象的でした。写真上はベローナ市街のアディジェ川に掛かる橋から写したものです。
ミラノの大聖堂(ドュオモウ)の外壁の彫刻はこれでもか,これでもかというほどの圧倒的な数と精密さを後世の我々に訴えかけています。膨大な大理石と大理石彫刻家が何百年という歳月を費やして作成した勢いが当時のミラノにはあったということをしてみてくれます。そして,私の尊敬するレオナルドダビンチの大理石像がミラノの歴史を象徴するように建ててありました(写真下)。
ただ,今回余りにも弾丸ツアーだったので,旅行の整理はこれからです。整理ができたら,また特集したいと思います。
<羈旅シリーズ(6)>
さて,今回の羈旅シリーズは高市黒人(たけちのくろひと)をとりあげます。
万葉集で羈旅シリーズで黒人取り上げないわけには行かないくらい,黒人は羈旅の歌人として有名です。黒人は山部赤人より先輩の歌人のようです。赤人は黒人を意識していたようです。次は赤人が意識していたという黒人の短歌です。
桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟潮干にけらし鶴鳴き渡る(3-271)
<さくらだへたづなきわたる あゆちがたしほひにけらし たづなきわたる>
<<桜田のほうへ鶴が鳴き渡っていく。年魚市潟は潮がひいたようだなあ>>
この1首は,愛知県名古屋市付近の田で,鶴が田から離れて年魚市潟の方へ鳴きわたっていく姿を見て,年魚市潟の潮がひいて潟ができ,餌を啄ばめる状態になったのだろうと想像している短歌です。
赤人はこの短歌を知ったうえで,次の有名な短歌を作ったとされています。
若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る(6-919)
これは,桜田にいる黒人とは逆で,潟にいる赤人は潮が満ちてきたので鶴が潟から飛び去っていくことを表現しています。
次の黒人の1首は,同じく鶴の動きを近江の海(琵琶湖)の港の情景を通して,船上から詠んだ短歌です。
磯の崎漕ぎ廻み行けば近江の海八十の港に鶴さはに鳴く(3-273)
<いそのさきこぎたみゆけば あふみのうみやそのみなとに たづさはになく>
<<岬を漕ぎ廻ってゆくと,近江の湖の多数の港で鶴がたくさん群れて鳴いている>>
羈旅シリーズ(4)の女性作のときにも書きましたが,当時琵琶湖は物資を船で運ぶための重要な水路であり,多くの港が作られ,多くの船が航行していたと考えられます。港では物資仲買人,水夫,陸送人夫,船客向けの食堂や,宿泊設備が整備されます。人の食べ残しや,買い手の付かなかった魚などを捨てる場所に鳥が集まってきます。黒人は,船上から琵琶湖のあちこち(恐らく琵琶湖の西側)に作られた港と,そこに群れる鶴(その他の鳥も含む)から,その賑わいを表現していると私は思います。
黒人は旅の際,妻を同伴させることもあったようです。今回のイタリアツアーも熟年夫婦で参加されている方々も多くいらっしゃいました。
ご主人が現役をリタイアされてから,何回も海外旅行にご夫婦で参加され,さまざまな思い出作りをされているご夫婦が大半でした。私は,その面では完全にビギナーでした。
次は黒人が同行の妻に贈ったと想像できる短歌です。
我妹子に猪名野は見せつ名次山角の松原いつか示さむ(3-279)
<わぎもこにゐなのはみせつ なすきやまつののまつばら いつかしめさむ>
<<私の妻に猪名野は見せたよ,次は名次山角の松原をいつか見せようか>>
黒人は妻に播磨の国(今の兵庫県南部)にある猪名野という野は見せてあげたが,名次山という山や角の松原という海岸を今度一緒に旅に出た時,見せてあげようという夫黒人の優しい一面が見えます。
今回,長年の罪滅ぼしにイタリア旅行に妻と行きましたが,いつになるかわかりませんが,今度また妻とイタリアに行く機会があったら,ローマ,ベローナをゆっくり回りたいですね。そして,今回コースになかったトリノ,ボローニア,カゼルタ,シチリアの各地も訪問し,二人でイタリアの歴史をさらに感じられたと思います。
イタリア旅行は終わりましたが,まだまだ羈旅シリーズは続きます。
当ブログ5年目突入スペシャル「羈旅シリーズ(7):大伴旅人」
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