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2013年3月10日日曜日

当ブログ5年目突入スペシャル「羈旅シリーズ(6):高市黒人」

<イタリア旅行報告6>
2月28日から3月9日までのイタリア旅行も終わり,時差ボケと戦いながら自宅からこのブログをアップしています。
観光最終日に回ったベローナミラノは対照的でした。ベローナはジュリエットのベランダで有名ですが,町の歴史は古く,ローマ時代の円形競技場,ロマネスクルネサンスバロックの各様式の建築物などが状態よく保存されているのが特に印象的でした。写真上はベローナ市街のアディジェ川に掛かる橋から写したものです。
ミラノの大聖堂(ドュオモウ)の外壁の彫刻はこれでもか,これでもかというほどの圧倒的な数と精密さを後世の我々に訴えかけています。膨大な大理石と大理石彫刻家が何百年という歳月を費やして作成した勢いが当時のミラノにはあったということをしてみてくれます。そして,私の尊敬するレオナルドダビンチの大理石像がミラノの歴史を象徴するように建ててありました(写真下)。
ただ,今回余りにも弾丸ツアーだったので,旅行の整理はこれからです。整理ができたら,また特集したいと思います。
羈旅シリーズ(6)
さて,今回の羈旅シリーズは高市黒人(たけちのくろひと)をとりあげます。
万葉集で羈旅シリーズで黒人取り上げないわけには行かないくらい,黒人は羈旅の歌人として有名です。黒人は山部赤人より先輩の歌人のようです。赤人は黒人を意識していたようです。次は赤人が意識していたという黒人の短歌です。

桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟潮干にけらし鶴鳴き渡る(3-271)
さくらだへたづなきわたる あゆちがたしほひにけらし たづなきわたる
<<桜田のほうへ鶴が鳴き渡っていく。年魚市潟は潮がひいたようだなあ>>

この1首は,愛知県名古屋市付近の田で,鶴が田から離れて年魚市潟の方へ鳴きわたっていく姿を見て,年魚市潟の潮がひいて潟ができ,餌を啄ばめる状態になったのだろうと想像している短歌です。
赤人はこの短歌を知ったうえで,次の有名な短歌を作ったとされています。

若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る(6-919)

これは,桜田にいる黒人とは逆で,潟にいる赤人は潮が満ちてきたので鶴が潟から飛び去っていくことを表現しています。
次の黒人の1首は,同じく鶴の動きを近江の海(琵琶湖)の港の情景を通して,船上から詠んだ短歌です。

磯の崎漕ぎ廻み行けば近江の海八十の港に鶴さはに鳴く(3-273)
いそのさきこぎたみゆけば あふみのうみやそのみなとに たづさはになく
<<岬を漕ぎ廻ってゆくと,近江の湖の多数の港で鶴がたくさん群れて鳴いている>>

羈旅シリーズ(4)の女性作のときにも書きましたが,当時琵琶湖は物資を船で運ぶための重要な水路であり,多くの港が作られ,多くの船が航行していたと考えられます。港では物資仲買人,水夫,陸送人夫,船客向けの食堂や,宿泊設備が整備されます。人の食べ残しや,買い手の付かなかった魚などを捨てる場所に鳥が集まってきます。黒人は,船上から琵琶湖のあちこち(恐らく琵琶湖の西側)に作られた港と,そこに群れる鶴(その他の鳥も含む)から,その賑わいを表現していると私は思います。
黒人は旅の際,妻を同伴させることもあったようです。今回のイタリアツアーも熟年夫婦で参加されている方々も多くいらっしゃいました。
ご主人が現役をリタイアされてから,何回も海外旅行にご夫婦で参加され,さまざまな思い出作りをされているご夫婦が大半でした。私は,その面では完全にビギナーでした。
次は黒人が同行の妻に贈ったと想像できる短歌です。

我妹子に猪名野は見せつ名次山角の松原いつか示さむ(3-279)
わぎもこにゐなのはみせつ なすきやまつののまつばら いつかしめさむ
<<私の妻に猪名野は見せたよ,次は名次山角の松原をいつか見せようか>>

黒人は妻に播磨の国(今の兵庫県南部)にある猪名野という野は見せてあげたが,名次山という山や角の松原という海岸を今度一緒に旅に出た時,見せてあげようという夫黒人の優しい一面が見えます。
今回,長年の罪滅ぼしにイタリア旅行に妻と行きましたが,いつになるかわかりませんが,今度また妻とイタリアに行く機会があったら,ローマ,ベローナをゆっくり回りたいですね。そして,今回コースになかったトリノ,ボローニア,カゼルタ,シチリアの各地も訪問し,二人でイタリアの歴史をさらに感じられたと思います。
イタリア旅行は終わりましたが,まだまだ羈旅シリーズは続きます。
当ブログ5年目突入スペシャル「羈旅シリーズ(7):大伴旅人」

2012年3月3日土曜日

当ブログ4年目突入スペシャル「万葉集編纂の目的は?」

万葉集をリバースエンジニアリングする」という変な(ケッタイな)名前のブログも,早4年目に入りました。
これまでアップした200件近い記事をほぼ満遍なく世界中の多くの方々に読んでいただいているようです。お陰さまでGoogleが記録している当ブログの閲覧数も年を追うごとに増えています。
さて,私が非常に強い興味を持つ万葉集のテーマのひとつに,このブログでも過去何度か取りあげてきた「万葉集は何の目的で編纂されたのか?」ということがあります。
万葉集を編纂した人(編者)が誰であるか,編纂の目的は何であるかの記録が無いため,万葉集愛好家の方々の多くはどうしても和歌の作者(詠み手)がその和歌をどういう心境で詠んだか?(文学としての捉え方の方向)に興味が向かってしまうのではないでしょうか。万葉集の研究書,解説書も編纂の意図や編者が誰かを断定的に書いたものは少ないように感じます。
<改めて私の仕事>
このブログで私のプロファイルにも書いていますが,私は仕事柄ソフトウェアのリバースエンジニアリング(そのソフトウェアの所有者からの委託であり合法)をたびたび仕事として行います。
既存のプログラムや設計書(多くは更新不十分)を見て,そのプログラム(またプログラムの集まりである機能やシステム)の初期開発やその後の改修の意図,目的を推測することが中心的な作業となります。
そういった仕事で今私がかなり忙しいのは,いろいろなところで稼働中のソフトウェアの多くが設計書に初期開発やその後の保守の目的や意図が十分書かれていないことが少なからずあるからなのです。
特に,10年以上長く稼働しているソフトウェアは,初期開発時の開発目的や意図はあっても,稼働後何度も手を加わえている(修正している)意図や目的が記録されていないことの方が問題になる場合が少なくありません。そんなソフトウェアの所有者は,私のような保守開発者にリバースエンジニアリングを依頼し,それらの意図や目的を正確に判断した上で,今後の最適な修正方法の提案を求めるのです。
<万葉集に仕事のノウハウを適用>
これまで私は万葉集の個々の和歌から編者の編纂意図や目的を推理しようと,既存のソフトウェアのリバースエンジニアリング手法を使ってきました。
このブログが4年目を迎えた節目として,これまで万葉集をリバースエンジニアリングし,それによる万葉集編纂目的の推測について書くことにします(来年になると違った考えを持つかもしれませんが)。
ただ残念なことに,私のソフトウェアに対するリバースエンジニアリングの(プロとしての)技量をもってしても,未だに万葉集の編纂意図を自信をもって「これだ!」といえる結論を持つに至っていません。
その原因は二つあります。ひとつは時間が足らないことです。私は万葉集を調べることはあくまで趣味の世界であり,これで一銭も稼いでいません。食べるためには今はITの仕事をたくさんするしかなく,それ以外の時間は限られます。
結論が出せないもう一つの理由は,万葉集の和歌の多様性にあります。編纂の意図に関する仮説をひとつ立てると,それでは説明できない和歌がすぐ見つかってしまいます。
<現在私が感じる万葉集編集の目的>
今の私は「万葉集の編者が当時の日本の政治制度,文化,暮らし,習慣,遊び,風土,土地柄,人柄,人の価値観,歴史,気候,自然,自然感,産業,職業,そして言葉の多様性(良いことも悪いことも)を和歌という形式を通して示したかった」のではないかという仮説を持つに至っています。
では,誰にその多様性を示したかった(万葉集を見て欲しかった)のでしょうか?
それは外国(人)かもしれないと私は考え始めています。光仁天皇の頃,大伴家持が中心として万葉集を今の姿に近く編纂したとすると(これも私の勝手な仮定です),実はその頃に遣唐使が1回,遣新羅使遣渤海使はそれぞれ数度派遣されています。結局,私の仮説は派遣先の国への献上物とする目的で万葉集が編纂されたかもしれないということです。
ただ,実際にその目的が達成したか(完成し,献上されたか)は実はどうでもよいと私は考えています。編纂の目的が最後まで果たされなかったからといって編集の目的が消えるわけではないですから。
この仮説から,外国人に日本文化の多様性,産業の成熟度,日本人の感性の豊かさ伝えることによって,外国に貿易相手として有望であり,珍しい産物や自然がたくさんあることを万葉集を献上することで伝えたかったと私は考えています。
<万葉集はCoolな日本を紹介?>
まさに,"Cool Japan"(洗練された日本)を外国に示そうとしたのではないか,そんな気がしてなりません。また,当時交易のあった外国からも,飾り立てた来客用の京の情景だけでなく,地方の庶民も含めた日本の生の暮らしが知りたいという要求が強くあった可能性があります。
日本という国を侵略・略奪の対象とするのではなく,対等なパートナーとして扱うこと,双方の国も独自性を尊重し合うこと,お互いが学び合うことのメリットを理解してもらうことなどが万葉集編纂の目的もあった可能性を感じます。
万葉集には,恋の歌,羈旅の歌,日本の風土を詠んだ歌,別離の歌,葬送の歌,家族の絆を詠んだ歌,自然(日・月・山・海・川・天候)の変化を詠んだ歌,動植物の歌,年中行事を詠んだ歌,人生を詠んだ歌,生活の貧しさ・豊かさを詠んだ歌,政治・社会を詠んだ歌,日本に根付いた思想(仏教・儒教・道教・神道等)を詠んだ歌,占いの歌,祈りの歌,諭しの歌,歓びの歌,宴会での歌,心情の歌などあらゆるシチュエーションの和歌がでてきます。
<日本はグローバル化すればそれでよいか?>
さて,現在日本にはグローバル化の進展を望む諸外国の声があるといいます。日本が真の意味でグローバル化しなければならないという課題は数十年前から叫ばれています。しかし,本当に日本はグローバル化を進展させることができたのでしょうか。もっともグローバル化が進んでいるといわれる日本の産業界でも,ようやく有名企業数社が社内公用語を英語にするという程度です。私の勤務先はIT系の会社ですが,ビジネスとして日常的に英語を話すことができない人(残念ながら私もその一人)が大多数です。
一般に日本語でしかコミュニケーションしない日本の人達は,万葉集が取りあげている上記のような多様な視点で今の日本についてよく知っている(詳しいの)でしょうか? 答えはNo.だと思います。
多くの日本人は自分のことや興味のあることしか考えずに,自分及び今自分が関係する世界に閉じこもり,自分の世界という島国から出ようとしていないように私は感じます。その結果,同じ日本人の間でさえ,共通に理解しあえるものが希薄になってしまっていると私は思います。

最後に大伴家持が越中で詠んだ長歌を紹介して今回の長文記事を終りにします。この中に出てくる「八千種(やちくさ)」は「多様な」という意味です。家持は多様な日本の自然に心を動かされ,その多様さに興味は尽きないと詠っています。

時ごとにいやめづらしく 八千種に草木花咲き 鳴く鳥の声も変らふ 耳に聞き目に見るごとに うち嘆き萎えうらぶれ 偲ひつつ争ふはしに 木の暗の四月し立てば 夜隠りに鳴く霍公鳥 いにしへゆ語り継ぎつる 鴬の現し真子かも あやめぐさ花橘を 娘子らが玉貫くまでに あかねさす昼はしめらに あしひきの八つ峰飛び越え ぬばたまの夜はすがらに 暁の月に向ひて 行き帰り鳴き響むれどなにか飽き足らむ(19-4166)
ときごとにいやめづらしく やちくさにくさきはなさき なくとりのこゑもかはらふ みみにききめにみるごとに うちなげきしなえうらぶれ しのひつつあらそふはしに このくれのうづきしたてば よごもりになくほととぎす いにしへゆかたりつぎつる うぐひすのうつしまこかも あやめぐさはなたちばなを をとめらがたまぬくまでに あかねさすひるはしめらに あしひきのやつをとびこえ ぬばたまのよるはすがらに あかときのつきにむかひて ゆきがへりなきとよむれどなにかあきだらむ
<<季節こどに本当に面白く多様な草木の花が咲き,鳥の鳴き声も変わる。世間の評判や実際この目で花を見るたびに,私は非常に嘆き,嘆息をつく。元気がでず,しょんぼりしつつ,あまりにも多い花の種類を思いながら、どの花が好いか迷っているうちに、葉が茂り木陰ができる四月がくると,夜に鳴く霍公鳥。おまえは昔から語りつがれている鶯の可愛いいほんとうの子なのだろうか。菖蒲や橘の花を娘達がくす玉に挿す頃,霍公鳥よ昼は一日山の重った嶺を飛び越えて歩き,夜は夜通し、明け方の月の前を、往き来して、あたりにこだまするほどけたたましく鳴くのが本当に興味深い>>

対語シリーズ「男と女」(3)に続く。

2009年3月7日土曜日

秋は秋風

万葉集に出てくる単語の中で,「風」で終わるものを探してみました。
秋風,朝風,朝東風(あさごち),明日香風,東風(あゆ),伊香保風,家風,川風,神風(かむかぜ),佐保風,白山風,時つ風,初秋風,初瀬風,浜風,春風,松風,港風,邪風(よこしまかぜ)が出てきました。
そのなかで,季節に関係する「秋風」と「春風」に注目すると,面白い傾向が見えました。
まず,「夏風」,「冬風」は出てこないだけでなく,「春風」も2首しか出てきません。
「東風」や「朝東風」も辞書の意味を見ると春の風に属し,万葉集で6首の歌に出てきます。ただ,その6首は特に春の季節を強く感じさせるものとは思えません。
それに比べて「秋風」(「初秋風」含む)は54首の和歌で読まれています。その中では「寒し」や秋の風情(秋の花,秋の鳥,月等)が一緒に詠まれている和歌が多く見受けられます。
当時の人々が秋を感じる際,風(秋風)の役割は強かったようです。その他の季節で季節を感じる際,風の役割は大きくないことを表しているのでしょう。