イタリア旅行から帰り,3月11日からは通常の会社務めが再開しました。しかし,年齢のせいが,時差ボケがなかなか治らず,ようやく13日の水曜日あたりから少しずつ正常に戻ってきました。
週の始めは,周りから「休養十分なのでもっと頑張れるのでは?」みたいな目で見られていましたが,いかんともしがたい状況が続きました。時差ボケ恐るべしですね。
お土産も職場に配りおわり,仕事も通常の忙しさが戻ってきています。ブログも,週1回のペースに戻しますので,よろしくお願いします。
さて,今回は大伴旅人に関する万葉集に出てくる羈旅の和歌をご紹介します。
まず,旅人が九州大宰府の長官だったとき,大宰府から九州内を旅した際に詠んだとされる1首です。
いざ子ども香椎の潟に白栲の袖さへ濡れて朝菜摘みてむ(6-957)
<いざこどもかしひのかたに しろたへのそでさへぬれて あさなつみてむ>
<<さあ君たち。この香椎の潟で,波に白栲の衣の袖を濡しても構わないから、朝食のおかずにする海藻を摘もうではないか>>
この短歌は,今の福岡市東区にある新設された香椎宮(かしひのみや)に参拝した際,近くの(恐らく今の博多湾に面した)海岸で家臣に向けて詠んだものかと私は想像します。
楽しそうな旅人の気持ちが伝わってきます。
次は,旅人が大宰府長官の任を解かれて帰京する旅路で詠んだ1首です。
礒の上に根延ふむろの木見し人をいづらと問はば語り告げむか(3-448)
<いそのうへにねばふむろのき みしひとをいづらととはば かたりつげむか>
<<磯の上(の岩)に根を延ばしている杜松の木よ。かつて見た人(私の妻)は今どこにいるかと問えば,教えてくれるだろうか>>
この短歌は,大宰府で妻を亡くし,帰京の旅路の途中,鞆の浦(広島県福山市鞆町付近か?)で,亡き妻がいないことを悲しんで詠ったものです。旅人は,帰京後1年と経たない内に,あの世に旅立ちます。先に亡くなった妻とあの世で逢えたでしょうか。
年月は逆戻りしますが,旅人が大宰府赴任直前,吉野へ聖武天皇の行幸に同行したときに詠んだと思われる長短歌があります。次はその反歌を紹介します。
昔見し象の小川を今見ればいよよさやけくなりにけるかも(3-316)
<むかしみしきさのをがはを いまみればいよよさやけく なりにけるかも>
<<昔来て見た象の小川は,今見ればいよいよ美しくなったことよ>>
旅人は,以前も吉野の象の小川に来たことがあり,その時その小川の美しさに感動したが,今回天皇と同行して改めて見ると更に美しさが増していることを詠いあげているように感じます。当時,吉野は天皇家の別荘地のような場所だったのだろうと私は思います。
さて,最後は旅人自身が詠んだ和歌ではないようですが,題詞に旅人が東国常陸の国鹿島の郡へ行ったときの様子を詠んだ高橋虫麻呂歌集の1首(詠み人知らず)です。
海つ道のなぎなむ時も渡らなむかく立つ波に船出すべしや(9-1781)
<うみつぢのなぎなむときも わたらなむかくたつなみに ふなですべしや>
<<海路の凪ぐ時まで待って渡られればいいものを。このように立つ波の折りに船出すべきでしょうか>>
この短歌も,この前に詠まれた長歌の反歌です。旅人は,これから奈良の京に帰る時間になったのですが,見送る人が「波も立っているので,まだお帰りにならなくても。もう少しゆっくりしていかれたら?」といった別れを惜しむ気持ちを詠ったものだと私は思います。
さて,羈旅シリーズも後2回を残すのみとなりました。次回は東歌の中に出てくる羈旅の歌を見ていきましょう。
当ブログ5年目突入スペシャル「羈旅シリーズ(8):東歌」に続く。
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