<万葉時代には中間所得層が増加した?>
万葉時代は大陸の新しい文化が押し寄せ,京(みやこ)の道路や建物の整備,都市をつなぐ街道や駅(はゆま)の整備,国分寺の建立(こんりゅう),土地の開墾(かいこん),繊維,陶器,刃物,貨幣鋳造(かへいちゅうぞう),製紙,兵器の製造などの新しい産業のための工場設置といった公共投資が積極的に行われた時代で,公共投資の恩恵を受けた現代で言ういわゆる中間層にあたる人たちの数が急速に増えてきたのではないかと私は考えています。
その人たちは,みずからの所得や財産の増加にともない,その豊かさ実感するため,(衣食住で)より高額な消費対象物(ぜいたく品)を求めることが生きがいになってきたと私は想像します。
<自分の家を持ってこそ富裕者の仲間入り?>
その豊かさを本当の意味で実感できるのは,自分の家を持った時ではないでしょうか。
当時の中間層の人たちは,自分の家を持とうと,より多くの所得を得るために,出世を目指す,新しい商売を考える,副業をこなす,将来値が上がると予測されるものに投資するなどをしたかもしれません(現代と同じように)。
その願いが通じ,自分の家を何とか手に入れます。しかし,中間層が手にできる家は限られた広さの土地に建てられたもののはずです。当然,家を建てることに適し,住みやすい土地(高台,川のほとり,街道や市場の近く)は人気があり,小さい区画に建てた家でも買い手はいたのだろうと私は思います。やっと手に入れた小さな土地の我が家と隣の家を隔てるもの,領地を明示するもの,プライバシーを守るものとして,垣(かき)が積極的に作られたのでしょう。
万葉集では,垣が出てくる和歌が40首ほどあります。その中に出てくる垣の種類や熟語は次の通りです。
青垣(あをかき)‥垣のようにめぐっている緑の山を形容する語。
葦垣(あしかき)‥葦で作った垣。
荒垣(あらかき)‥網目の荒い垣。
斎垣(いかき)‥社(やしろ)など神聖な領域にめぐらせた垣。みだりに越えてはならないとれていた。
岩垣(いはかき)‥岩石が自然に垣のようにめぐり続いているもの。
岩垣沼(いはがきぬま)‥岩垣に囲まれた沼。
岩垣淵(いはがきふち)‥岩垣に囲まれた淵。
垣越し(かきごし)‥垣を隔てること。まち,垣を超えてくること。
垣内(かきつ)‥垣根の中。屋敷の中。
垣つ田(かきつた)‥垣根の中にある田。
垣つ柳(かきつやぎ)‥垣根の内にある柳。
垣根(かきね)‥垣の根もと。または垣そのもの。
垣穂なす(かきほなす)‥垣のように取り囲んで。垣のように邪魔をする。
垣間(かきま)‥垣のすき間。
竹垣(たけがき)‥竹で網状に作った垣根。
籬,間垣(まがき)‥竹・柴などを粗く編んで作った垣。
瑞垣(みづがき)‥神霊の宿る山・森などの周囲に木をめぐらした垣。神社の周囲の垣。玉垣。
ところで,垣によって区分けした場合,他人はその中に入ってみたいと思います。恋人がその家にいる場合はなおさらですね。また,プライバシーを守るために,中が見えないように作られた垣があると中をのぞきたくなります。美人の女性がその家にいたとするとなおさらですね。
そんな気持ちを詠んだ詠み人知らずの1首を紹介します。
花ぐはし葦垣越しにただ一目相見し子ゆゑ千たび嘆きつ(11/2565)
<はなぐは あしかきごしに ただひとめあひみしこゆゑ ちたびなげきつ>
<<花のように美人だったよ。葦の垣根越しにただ一目見つめ合ったあの子のことを千たびも思い返しては嘆くこの頃だ>>
プライバシーを守るために中を見えなくする垣(中を見るためには垣を越えて,見なければ見えない)があるいっぽう,中をわざと見せる垣があります。それが,荒垣,竹垣,籬のような垣です。網目を荒くして作り,中が見えるようになっています。中には入れないのですが,中が見えることで逆に中に入りたいという気持ちを強くさせる効果があります。
たとえば,自慢の庭があった場合,その一部または全部を外から覗けるようにしておくことで,自慢の庭のアピールができます。また,不審な人物が覗いていないか確認するためにも,逆に目の粗い。網状の垣にして,中から見えるほうが不審者排除という意味では良いということもあります。
次の1首は,そんな垣を詠んでいます。
我妹子がやどの籬を見に行かばけだし門より帰してむかも(4-777)
<わぎもこがやどのまがきをみにゆかば けだしかどよりかへしてむかも>
<<あなたの家の網の目になった垣を見に行っただけで,おそらく門から使いが出てきて「とっとと帰れと」追い返されるのでしょうね>>
この短歌は,大伴家持が若いころ,憧れの紀女郎(きのいらつめ)に贈った5首の中の1首です。若き家持は女郎に嫌われてしまっているのではないかと心配になり,こんな弱気な歌を贈ったのかもしれません。
どうも男女の仲を隔てるもの,障害なるもの,恋心を苦しめるもの,イライラさせるものの代名詞的として垣は万葉集で詠まれていることが多いようです。
わずかですが,男女の仲ではなく,ちょうど今頃の季節を詠んだ家持の垣が出てくる短歌を最後に紹介します。
鴬の鳴きし垣内ににほへりし梅この雪にうつろふらむか(19-4287)
<うぐひすのなきしかきつに にほへりしうめこのゆきに うつろふらむか>
<<ウグイスが鳴いている垣の中で見頃に咲いている梅だが,この雪で花が散ってしまわないだろうか>>
残念ながら今の都会では,庭に鶯が来て,鳴くことを経験できる場所は少ないのかもしれません。家持の家ではそれが可能だったのですね。羨ましい限りです。
<5年目の節目>
さて,このブログも開始して丸4年が経とうとしています。この間,250編以上をこのブログにアップしてきました。今まで,忙しくアップできなかったことはあっても,書く内容が見つからずアップできなかった記憶はありません。
それほど,万葉集は私に多くことを絶え間なく語り,多くの感慨を私に抱かせてくれました。その思いを次々と書き綴ってきたのがこのブログです。万葉集はこれからもまだまだ多くことを私に語ってくれることでしょう。
次回からしばらく,今もあるシリーズを中断し,旅先(海外)から当ブログ5年目突入スペシャル「羈旅シリーズ」をお届けします。
実は私は今月末から海外の観光ツアーに参加します(一応旅に出るのです)。その間,羈旅とリーズを何回かに分けてお送りします。
ツアーは日本よりも古い歴史が残されているヨーロッパのある国を周遊するものですが,行き先は到着してから最初の投稿でお知らせします。ツアーに同行するのは長年連れ添った妻,そして連れて行きたくはなかったのですが,どうしてもワインをたらふく飲むためについてくるという天の川君です。
我が家の3匹の猫たちはお留守番です。息子がほぼ毎日面倒を見てくれることになっています。
当ブログ5年目突入スペシャル「羈旅シリーズ(1):山部赤人」に続く。
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