衣服の袖は,左右それぞれの腕を通す筒型または袋型の部分です。袖は洋服では腕にぴったりくっつくように細いですが,和服では振袖のように腕の太さとは無関係に大きな袋状になっています。
和服では,昔から袖は腕を隠したり,ポケットの変わりにモノを入れたり,暑さ寒さや紫外線から肌を守るだけでなく,ファッション性をアピールする道具としても使われます。
万葉集には「袖」がたくさん詠まれています。「袖付け衣(そでつけころも)」という言葉が万葉集に出てくるくらいですから,万葉時代には袖を衣服に取り付ける縫製技術が十分進化していたのだと私は思います。
次は「袖」を詠った有名な短歌(大海人皇子と志貴皇子の作)です。あまりに有名なのと本ブログの他の記事で紹介済みなので読みと訳は省略します。
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(1-20)
采女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く(1-51)
この袖が衣服の本体に綺麗に付くようにするには,縫製技術の高度化がないとうまくいきません。
袖を付ける製法技術がない時代は,2枚の布を頭が入る場所は縫わずに,両端を縫います。縫っていないところを頭を通し,縫ったところが両肩の上となるようします。布は身体の前(胸)と後ろ(背)に垂れます。紐で腰のあたりで結べば,もっとも原始的な衣服が出来上がります。もちろん袖はありません。
ただ,袖を付ける縫製技術が完成していても,万葉時代は今のスパンデックスのような伸び縮みする布はまだ無かったので,袖は腕の太さよりかなり大きく作らないと腕を通すことがままなりません。そのため袖は結果的に大きく作られるようになり,袖の大きさや色が着ている人の存在感を示すことになったのかもしれません。
万葉集では「袖」の前につく枕詞の多くが「白栲の」となっています。当時は袖は白が主流だったと想像できます。
また,袖は左右に別に分かれて存在しますから,万葉時代では次の1首のように「別離」を引き合いに出す言葉でもあったようです。
白栲の袖の別れは惜しけども思ひ乱れて許しつるかも(12-3182)
<しろたへのそでのわかれはをしけども おもひみだれてゆるしつるかも>
<<袖が分かれているようにあなたとの別れはつらいけど,私の心が乱れてしまい結局あなたと別れることにしたの>>
この詠み人知らずの短歌,女性が詠んだものとして訳してみました。女性の感性をうまく表現できているでしょうか。
さて,そんな悲恋に遭遇すると悲しみのあまり,涙がとめどなく出ます。
その流れる涙を拭うのも当時袖の重要な役目であることを,次の詠み人知らずの1首が教えてくれます。
ぬばたまのその夢にだに見え継ぐや袖干る日なく我れは恋ふるを(12-2849)
<ぬばたまのそのいめにだに みえつぐやそでふるひなく あれはこふるを>
<<夜君と逢う夢だけでも見続けたい。涙で袖が乾く日がないほど私は恋しているのだから>>
袖は保温効果,紫外線予防,ファッション性や恋する気持ちをアピールする道具としての効果がありますが,垂れ下がる袖は狩りのような激しい動きには逆に邪魔になることがあります。
最後の旋頭歌は,そんな場合にどうしていたかを私たちに教えてくれる1首です。
江林に臥せる獣やも求むるによき白栲の袖巻き上げて獣待つ我が背(7-1292)
<えはやしにふせるししやももとむるによき しろたへのそでまきあげてししまつわがせ>
<<河口近くの林に隠れている獣を捕獲するために袖をたくし上げて待つ私の大好きな人>>
狩猟をするときは,大きな袖はいろんなものに引っかかって動きが悪くなるので,袖をまくりあげたりして袖が邪魔にならないようにします。でも,ただまくりあげただけの場合,身体を動かすと袖はすぐ垂れてきます。そうならないように考えられたのが紐を使って,襷(たすき)を掛ける工夫です。
次回の本シリーズは,その「襷」を取り上げます。
今もあるシリーズ「襷(たすき)」に続く。
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