<母が内職で作った和装の紐>
前回「襷(たすき)」は紐でできていると書きました。
そのことから,紐は襷より前からあったことになります。紐は一般的に細長い布を束ねただけのものもあったかもしれませんが,細長い布を縦に半分に折り,両長辺を縫いつけて作ったと考えます。
私が幼いころ,母が和服の仕立ての内職をしていたことを以前このブログでも書きましたが,母は帯紐など紐も縫っていました。
細長い布を折り,合わせた長辺の端を縫っていきます。そして,長辺すべてを縫い終えると,竹製の物差しを,縫ってできた長い筒状の布の中に入れ,ソーセージの皮がめくれるように,布を裏返していきます。
そうすることによって,縫い目が中に隠れ,綺麗な紐が出来上がります。ただ,紐の端はまだ縫っていませんから,特殊な縫い方で縫い目が表に出ないようにしていました。
母が何本も紐をきれいに縫うのを見ていたのが,私の幼いころの日課のようなものでした。
<万葉集に出てくる紐>
さて,万葉集では「紐」を読み込んだ和歌が90首ほどあります。
対語シリーズ「解くと結(ゆ)ふ」(今年6月23日投稿)で述べたように,やはり紐は「解くことが目的で,解くために結ぶ」というイメージをもつものと考えられます。
その中で,60首以上が「紐を解く」ことを詠っています。また,「紐を結ぶ(結ふ)」を詠んだ和歌が約30首出てきます。その内,紐を「結ぶ」と「解く」の両方を詠んだ和歌が20首ありますから,「紐を結ぶ」だけ詠んだ和歌は10首しかありません。残りが「結ぶ」も「解く」も含まない紐が詠まれた和歌です。
では,それぞれ1首ずつ紹介します。
まず,「結ぶ」「解く」の両方を詠んだ短歌です。
ふたりして結びし紐をひとりして我れは解きみじ直に逢ふまでは(12-2919)
<ふたりしてむすびしひもを ひとりしてあれはときみじ ただにあふまでは>
<<一夜を共にして二人で結んだ紐は一人の時に解きはしない。また直接逢えるまで>>
妻問で共寝をした後,お互いに着物の紐を結びあう習慣があったのでしょう。
この短歌は,万葉集が単なる歌集ではなく,若い人に風習やマナーを教えるテキストの役割をしていたと思わせる1首です。
次は,「紐を解く」だけが入っている短歌です。
霍公鳥懸けつつ君が松蔭に紐解き放くる月近づきぬ(20-4464)
<ほととぎすかけつつきみが まつかげにひもときさくる つきちかづきぬ>
<<ほととぎすが鳴くのを心にかけながら貴方が松(待つ)の木陰で衣の紐をほどく月が近づいた>>
これは天平勝宝8(756)年に大伴家持が詠んだ1首です。この頃には,夜外で逢引きする風習があったのだろうと私は思います。
政権では血なまぐさい権力闘争があったにせよ,平城京での暮らしは安全が保たれ,夜2人だけで逢うことも出るようになったのでしょう。
次は,「紐を結ぶ」だけが入っている柿本人麻呂が淡路島を詠んだ短歌です。
淡路の野島が崎の浜風に妹が結びし紐吹き返す(3-251)
<あはぢののしまがさきのはまかぜに いもがむすびしひもふきかへす>
<<妻が結んでくれた着物の紐を淡路の野島の岬の浜風が吹き返してゆく>>
人麻呂の奥さんが人麻呂が旅をする安全を祈って着物に結び付けた紐が淡路島の野島の岬の強い風が解けんばかりに吹き返している様子と船が無事通過できかという心の不安がうまく表現されている秀歌だと私は思います。
最後は「解く」も「結ぶ」も含まれない詠み人知らずの短歌を紹介します。
針はあれど妹しなければ付けめやと我れを悩まし絶ゆる紐の緒(12-2982)
<はりはあれどいもしなければ つけめやとわれをなやまし たゆるひものを>
<<針あるけれど妹がいないので私では付けることができず,悩ましい切れた紐の端>>
今では,「運命の赤い糸」で結ばれるといいますが,当時は紐(色はおそらく白)がその役目をしていたのかも知れませんね。
紐の緒(端)が切れる(解れる)ことは,当時恋人との関係が切れる不吉な前兆だと言われていたとすると,この短歌のように早く針と糸で修復したい気持ちになると私は想像します。
次回はその「針」についてです。
今もあるシリーズ「針」に続く
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