2013年6月9日日曜日

心が動いた詞(ことば)シリーズ「かしこし」

かしこし」の現代語で使われているのは「賢い」となりますが,万葉時代の「かしこし」は「賢い」よりももっと広い意味の言葉だったと万葉集の和歌からは推測できます。というのは「かしこし」を使った万葉集の和歌は,70首以上あり,「おそろしい」「恐れ多い」「もったいない」「ありがたい」などさまざまな意味に使われています。
この中で熟語を形成しているものは次の通りです。

あやにかしこし‥非常に恐れ多い
海をかしこし‥海を畏怖している
沖はかしこし‥沖は恐ろしい
かしこき国‥ありがたい国
かしこき坂‥恐ろしい坂
かしこき道‥恐ろしい道
かしこき山‥神聖な山
波をかしこし‥波を恐れる
命(みこと)かしこし‥お命が恐れ多い
山はかしこし‥山は恐れ多い
ゆゆしかしこし‥非常にありがたい

では,実際に万葉集を見ていきましょう。まずは大宰府から帰任する大伴旅人遊女(うかれめ)児島が別れを惜しんで詠んだ短歌からです。

おほならばかもかもせむを畏みと振りたき袖を忍びてあるかも(6-965)
おほならばかもかもせむを かしこみとふりたきそでを しのびてあるかも
<<普通のお方でしたらいろいろして差し上げようと考えたのですが,かしこき(高貴な)旅人様ですので袖を振ってお別れの挨拶をしたくても我慢しているのです>>

本当は別れのつらさの感情を露わにして,旅人様に飛びつきたいくらいなのだけれど,そんなことをしたら高貴な旅人様の立場に傷がつきかねないので堪えているという気持ちを詠っていると私は感じます。
<別れの言葉>
私のように人生を長くやっていると,さまざまな人との出会いと別れを数多く体験します。
出会いはこれからよろしくお願いしますという雰囲気で,割と決まりきった挨拶で済みますが,別れとなると出会ってから今までの付き合い方や思い出が人ごとに違うでしょう。そうすると,お別れの時の一言をどのように言うか今でも悩むことがあります。でも,この短歌のような別離の和歌が万葉集にはたくさんあり,適切な言葉を万葉集から学ぶことも少なからずあります。
さて,次も別離の短歌ですが,「かしこし」はまた別の意味で使われています。

海の底沖は畏し礒廻より漕ぎ廻みいませ月は経ぬとも(12-3199)
わたのそこおきはかしこし いそみよりこぎたみいませ つきはへぬとも
<<海底が深い沖は危険なので,磯伝いに漕ぎめぐってください。日数はかかっても>>

この詠み人知らずの短歌は,船旅にでる夫を送るとき,妻が詠んだ1首でしょうか。とにかく,無事で帰ってきてほしいという思いが伝わってきますね。あこがれの人を陰で慕っている短歌です。
最後は,畏怖するという意味で「かしこし」が使われている短歌です。

天雲に近く光りて鳴る神の見れば畏し見ねば悲しも(7-1369)
あまくもにちかくひかりて なるかみのみればかしこし みねばかなしも
<<空の雲の近くで光る雷を見れば恐ろしいような気がするけれど,見なければ悲しい気になる>>

昔から雷の光と音響は神が発し,鳴らすものとして畏怖されてきたのかもしれません。
ただし,空で見えている雲で稲光が発せられ,ゴロゴロと大きな音を出すときは,その後雨が降ることが多いのだろうと私は思います。そのため,そのような雷が鳴らない時は雨が降らず,作物には良くないことがわかっていたのかもしれません。
この短歌は,好きな人と出会うと相手の眩しさに胸が高鳴り,自分がどうなってしまうか分からない恐ろしさ(不安)があるが,逢えないと悲しさが募るという気持ちを比喩て詠んだという見方もできそうです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「めづらし」に続く。

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