2011年11月にこのブログの『対語シリーズ「浮と沈」‥心の浮き沈みが起きたとき,あなたならどうする?』で取り上げた中で,「浮く」を改めて万葉集を詳しく見ていくことにします。
「浮く」の対象が何かや何の上に浮いているのかによって,イメージする情景は結構変わります。
今回は,池,海などに浮く鳥のイメージについて,万葉集に詠まれている和歌を見ていきましょう。
最初は,丹波大女娘子(たにはのおほめのをとめ)という女性が恋人と逢えないツライ気持ちを詠んだされる短歌です。
鴨鳥の遊ぶこの池に木の葉落ちて浮きたる心我が思はなくに(4-711)
<かもどりのあそぶこのいけに このはおちてうきたるこころ わがおもはなくに>
<<鴨が遊ぶこの池に木の葉は落ちて浮かんでふらふらしているような浮ついた心で恋しいと思ってはいないのに>>
池で鴨が水面を移動したり,羽ばたいたり,飛び立ったり,着水したりすることで,木から落ちて浮いている木の葉はその影響を受け,浮いたり,沈んだり,集まったり,離れたりするのでしょう。
万葉集で,彼女の詠んだ続く2首を見ると,そんな浮き沈みのあるような弱い気持ちで恋しているのではないのに,いろいろ邪魔が入り,相手は遭ってくれないと嘆いています。
さて,次も鴨を題材に詠んだ遣新羅使作の短歌ですが,場所は池ではなく海上です。
鴨じもの浮寝をすれば蜷の腸か黒き髪に露ぞ置きにける(15-3649)
<かもじものうきねをすれば みなのわたかぐろきかみに つゆぞおきにける>
<<鴨のように波の上に浮寝をしていると,黒い私の髪に露が付いてしまった>>
停泊して,宿に泊まるのではなく,船中で波に揺られながら一夜を明かすと,海の湿気や波しぶきで,黒い髪に(多分塩分を含んだ)水滴が付いて濡れてしまうという情景を詠っていますが,この表現で作者の航海における不安な気持ちが何故か良く伝わってくるように私は感じます。
次は,鴨ではなく,一般の海鳥を題材にした,詠み人知らずの羈旅の短歌です。
鳥じもの海に浮き居て沖つ波騒くを聞けばあまた悲しも(7-1184)
<とりじものうみにうきゐて おきつなみさわくをきけば あまたかなしも>
<<鳥のように海に浮かんでいて,沖の波が騒がしい(荒れている)ということを聞くと大変悲しい>>
荒れた海を避けて,入江に退避している船で何日も過ごさなければならない状況となり,非常に悲しい気持ちを作者は読んでいるのでしょうか。
次も類似の気持ちを詠んだ詠み人知らずの羈旅の短歌(万葉集では古歌としている)です。
波高しいかに楫取り水鳥の浮寝やすべきなほや漕ぐべき(7-1235)
<なみたかしいかにかぢとり みづとりのうきねやすべき なほやこぐべき>
<<波が高いな。どうだろう船頭さん,水鳥のように浮寝をしたほうがよいかい,それともやはり漕ぎ続けるかい>>
海が荒れてきたので心配になり,「入江に避難して一晩やり過ごす」か「このまま漕ぎ続けて進む」か,船頭に聞きたいという心の動きを詠んでいると私は思います。
当然,作者である旅人は航海について詳しくはなく,海がどの程度の荒れであるかに詳しいわけでもありません。
でも,船旅に慣れていない旅人は船の揺れを思いの外大きく感じたのかもしれず,プロである船頭に聞いてしまったという情景も想像できそうです。
この旅人の問いに対して,船頭はどう答えたかは残っていません。「この位の波や揺れは大したことはないし,進んで危険はないよ」「プロに任せろ」くらいは言ったかもしれませんね。
動きの詞(ことば)シリーズ…浮く(2)に続く
0 件のコメント:
コメントを投稿