「浮く」の2回目は,今の時期に合せて,万葉集には七夕の天の川に舟を浮かべて逢いに行こうとする和歌がでてきますので,それをとりあげてみます。
まず,1首目は山上憶良が神亀元(724)年7月7日に七夕について詠んだされる12首の中の1首(彦星を待つ織姫の立場で)です。
久方の天の川瀬に舟浮けて今夜か君が我がり来まさむ(8-1519)
<ひさかたのあまのかはせに ふねうけてこよひかきみが わがりきまさむ>
<<天の川の瀬に舟を浮かべて今夜こそあなたは私のところに来てくださるのね>>
2011年7月2日のこのブログでも取り上げていますが,憶良は七夕の謂れに対する造詣が深かかったようです。
<憶良は七夕の行事を日本に広めたかった?>
万葉時代,七夕の日に若い女性が居る家庭では,夫または恋人が妻問に来るのを今か今かと待ち望んでいるのです。
たとえしばらく妻問に来なかったとしても,七夕の謂れから年に1度は来てくれるはずだと信じたい。そんな待つ側の女性の気持ちを憶良は代弁して詠っています。
実は憶良が七夕の物語を一般市民に流行らせようとしていたのではないかと私は想像します。
七夕行事が流行れば,7月7日は確実に妻問が増え,その妻問に行くためや待つ女性が着る衣装や準備グッズが売れるはずです。
そのあたりは,2011年7月7日のこのブログでも少し取り上げています。
さて,次の1首も憶良作とされる七夕歌12首の中の1首です。同様に彦星を待つ織姫の気持ちを詠んでいます。
天の川浮津の波音騒くなり我が待つ君し舟出すらしも(8-1529)
<あまのがはうきつのなみおと さわくなりわがまつきみし ふなですらしも>
<<天の川に浮かんでいる船着き場の波音が騒がしくなってきました。私が待っている、あなたが舟を漕ぎ出しになったようです>>
妻問を待っている女性は家の外での物音に敏感になります。もちろん,妻問で家に近づく足音はしますし,夫または恋人が家に着くと,まず親が妻問に来る予定の人物か確認をします(妻問の前には和歌をやり取りして,妻問の事前合意)。
妻問に来た男性は,最初に親とも小声であいさつはするでしょうし,親は娘のいる場所へはどうやって行けば良いかを教えたりするでしょう。そんな情景を天の川の船が着き,船の波が岸に打ち寄せる音が騒がしくなったことに重ねて表現しているのだろうと私は解釈します。
最後は,飛鳥時代から奈良事態初期にかけて活躍した藤原房前(ふぢはらのふささき)が自宅での宴席で詠んだと伝わる七夕の長歌です。
久方の天の川に 上つ瀬に玉橋渡し 下つ瀬に舟浮け据ゑ 雨降りて風吹かずとも 風吹きて雨降らずとも 裳濡らさずやまず来ませと 玉橋渡す(9-1764)
<ひさかたのあまのかはに かみつせにたまはしわたし しもつせにふねうけすゑ あめふりてかぜふかずとも かぜふきてあめふらずとも もぬらさずやまずきませと たまはしわたす>
<<天の川の上流にある瀬に玉のような美しい橋を渡し,下流にある瀬に舟を浮べて舟橋を備えつけ,雨が降って風は吹かないときでも,風が吹いて雨は降らないときでも,裳を濡らさず,間を置かずお出で下さいとの気持ちを込めて玉の橋を天の川に渡す私です>>
さすがに,スケールが違いますね。房前だったらこの程度の公共工事は何でもなかったのでしょうから。
この長歌は,房前自身が作歌したのではなく,お付の人(秘書のような人)が作って,房前が宴の席で詠んだのかもしれません。
宴の出席者は,各地域や各組織の実力者ばかりで,この後玉の橋と浮橋をどの川に作るかで盛り上がったのかもしれませんね。
そして,「その川はいっそのこと『天の川』に変えちゃえば?」といった話まで飛び出したりしたかもです。
結局,あまりに盛り上がり過ぎて,「浮かれた話」ばかりになったのではと私は想像しますが,いかがですか?
それでは皆さん,幸せな七夕をお過ごしください。なお,最近顔を出さない天の川君はおとなしくずっと寝ています。
動きの詞(ことば)シリーズ…浮く(3:まとめ)に続く。
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