「浮く」の最終回は,「船」でもなく「天の川」でもない「浮く」について,万葉集を見ていきます。
最初は,杯(さかづき)に入れた酒に梅の花を浮かせて飲む行為が宴で行われていたことを示す短歌です。作者は,天平2(730)年1月13日,大宰府で大伴旅人が開催した梅見の宴の出席者が詠んだとされるものです。
春柳かづらに折りし梅の花誰れか浮かべし酒坏の上に(5-840)
<はるやなぎかづらにをりし うめのはなたれかうかべし さかづきのへに>
<<春柳を髪飾り用に折っているうちに,どなたかが私の盃に梅の花を浮かべたようですね>>
まあ,この梅見の宴はかなり盛り上がっていたのでしょう。作者は,頭に柳の枝を差して舞でも踊ろうとしたのでしょうか。
その間に,作者の盃になみなみとお酒が入れられ,たっぷり梅の花を浮かべて,「さあ梅の花の香りがする酒をどうぞ」と飲み干すように勧められたのかもしれません。
楽しそうな雰囲気が宴会好きな私には伝わってきますね。
さて,次は万葉時代の漁法がうかがえる詠み人知らずの短歌です。
住吉の津守網引のうけの緒の浮かれか行かむ恋ひつつあらずは(11-2646)
<すみのえのつもりあびきのうけのをの うかれかゆかむこひつつあらずは>
<<住吉港の津守が引く網の浮き紐のように,ただ浮くままにまかせよう,恋いしいと思い続けないで>>
前半はいわゆる序詞と呼ばれている部分です。
この短歌の作者が言いたいことは前半ではなく,後半にある苦しい恋を如何に自分自身でコントロールしようとしているのだが,なかなかうまく行かないという思いなのでしょうか。
万葉集の和歌を文学として見るようないわゆる有名な短歌評論家さんは,恐らくこの短歌は論評に値しない,その他雑多な短歌でしかないのかもしれません。
しかし,万葉集を当時の社会や経済の状況を表す貴重な歴史情報資産と見た場合,この短歌は非常に価値が高いと私は思います。
この短歌から,当時網を使った漁法がすでに確立されており,巻網漁(まきあみりょう),刺網漁(さしあみりょう)で使う「浮子(あば)」や「沈子(いわ)」のようなものが網に付けられていたことが想像できます。
今も巻網漁,刺網漁は実際に行われており,この短歌はこれらがまさに1300年以上の歴史を持つ漁法である裏付け資料の一つとなります。
私は何度もこのブログで書いていますが,序詞や枕詞を「単なるツカミ」と見るのではなく,当時の習慣や社会経済学的な背景をしっかり歴史的に分析し,万葉集の和歌を鑑賞すべきだというのが私の考えです。
最後に紹介するのは,観察眼が鋭い詠み人知らずの短歌です。
潮満てば水泡に浮かぶ真砂にも我はなりてしか恋ひは死なずて(11-2734)
<しほみてばみなわにうかぶまなごにも わはなりてしかこひはしなずて>
<<潮が満ちてくるとみなわ(水泡)に浮かぶ細かい砂のように私はなってしまったのか。恋いしさに死ぬような思いをすることだなあ>>
私が小学生のころ,両親が毎年夏になると1~2回は福井県の若狭湾などに海水浴に連れていってくれたことを以前このブログでも書きました。
そのとき,確かに潮が満ちて来るとき(波が穏やかな入り江の場合),今まで乾いた砂地に初めて海水が流れてくる先頭は少し泡が立って,乾いた海藻のかけらや小さな砂が浮いていたことを思い出しました。
この短歌は,そんな情景を詠んだと思われますが,海岸にあまり行ったことの無い京人に理解できたのか疑問に思います。
<万葉集の編者はこの短歌を万葉集に入れることで何を残したかったのか?>
少なくとも,この短歌を万葉集に残そうとした編者は,作者のこの観察眼(沈むはずの砂が死んだ人間のように浮いている状況をイメージした)を評価したのだと私は思います。
普通砂は水に沈むのに,海のある状態では砂が海水に浮くことがあると聞いた人たちは,それを見にその海岸に行ってみたいと思わないでしょうか。
今風でいえば「知的好奇心」を持った人たちの心をくすぐる効果があります。
そのような人たちにとっては,この短歌の前半に興味をもち,後半は実はどうでもいいのかもしれませんね。
万葉集の編者は誰で,その編集意図は何かをもっと広い経験者(行政長官,公務員,経営者,役職者,一般ビジネスマン,○○士と呼ばれるコンサルタント,技能者,私のような技術者,学生,専業主婦,フリーターなど),研究者(文学,哲学,心理学,宗教学,政治学,法学,歴史学,社会学,経済学,教育学,理学,工学,自然科学,医学,薬学,情報技術など)が集まり,多角的な視点で検討する機会があれば,是非参加したいと思います。
さて,次回からは動きの詞シリーズはお休みして,2015盛夏スペシャルをお送りいたします。
2015盛夏スペシャル(1)に続く。
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