2015年6月7日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…参ゐる(1) スクープ:大伴氏の若きプリンス,門前払いの憂き目に!!

先週から立ち上げた,ブログ「万葉集に関するクイズです」は2回目のクイズ投稿と1回目の問題の解答の掲載を6月3日に済ませています。楽しく問題を解いてみてください。

http://quiz-mannyou.blogspot.jp/

さて,こちらのブログは,今回から動詞「参ゐる」について万葉集を見ていくことにします。「参ゐる」の初回は,大伴家持作の短歌3連発を見て行きたいと思います。
最初は,紀女郎(きのいらつめ)に贈った短歌からです。

板葺の黒木の屋根は山近し明日の日取りて持ちて参ゐ来む(4-779)
いたぶきのくろきのやねは やまちかしあすのひとりて もちてまゐこむ
<<あなたの家は黒木の板葺屋根ですよね。わが家の近くに良い黒木の山がありますので明日にでも取って持参しましょう>>

年上の紀女郎にぞっこんだった若い家持は,なかなか逢ってくれない女郎にこんな強引な短歌を贈っています。逢うためだったら,屋根を新しく葺きかえるための木材だって持って参上しますという勢いです。女郎側はたまったものではありませんね。
2番目は,家持が別の女性に逢いに行ったら門前払いをされたので,残念な思いを相手の女性に贈った短歌です。

かくしてやなほや罷らむ近からぬ道の間をなづみ参ゐ来て(4-700)
かくしてやなほやまからむ ちかからぬみちのあひだを なづみまゐきて
<<このように門前からやはり帰るのでしょうか。遠い道のりを難儀してやっと来たのに>>

この短歌,万葉集の秀歌を集めた本には絶対選ばれない類のものだと私は思います。いくら大納言大伴旅人の息子で大伴氏のプリンス,そして多くの女性と交際していた家持であってもです。
<家持は自分の恥ずかしい経験も万葉集に載せた>
家持は思い付きで,事前の連絡もなく逢いに行ったのかもしれません。もし,そうなら,この女性の親は意地でも気軽に逢わせるのを断ったのかもしれませんし,運悪く相手の女性が体調が良くない時だったのかもしれません。断られて当然の状況で,「遠くからわざわざ来たのに,家に入れてくれないのか?」とクレームめいた短歌を贈って何になるのでしょうか。
当時の家持の未熟さがモロに分かるような恥ずかしい短歌ではないでしょうか。
ただ,こんな短歌が入っているから万葉集は駄作も含めた「単に和歌を寄せ集めたものだ」とか,「家持が自己顕示のために集めたもの」とか,「万葉集の選者は大伴家持ではない」とか,と決めつける考え方には私は反対です。
また,そんな家持等の駄作は見ないで,歴史的に有名な万葉学者先生や歌人が選んだ優れた和歌を中心に見て万葉集を鑑賞すれば,万葉集の素晴らしさが分かるはずという考え方にも私は同感できません。
<家持自身の葛藤を平安時代の文人たちは評価した?>
文学的駄作として取り上げられることが少ないが,人間の心の中のありのままを素直に表した和歌の集まりであるからこそ,その後平安時代に花開いた日記文学(更級日記,土佐日記,紫式部日記,和泉式部日記など)や歌物語(伊勢物語,大和物語など。源氏物語も歌物語だと私は思う)に少なからず影響を与えたと見ています。
仮に万葉集が秀歌のみ厳選した歌集であったなら,1首1首が鑑賞の対象になり,長い期間ではなく,どうしてもある瞬間瞬間の思いや葛藤の個々の表現にとどまります。
それでは枕草子のような随筆文学に影響を与えることはあっても,日記文学や歌物語に影響することは少なかったと私は想像します。
さて,最後は家持が越中守として越中にいた時に,京から赴任した人物に対して贈ったと思われる短歌です。

朝参の君が姿を見ず久に鄙にし住めば我れ恋ひにけり(18-4121)
あさまゐのきみがすがたを みずひさにひなにしすめば あれこひにけり
<<朝出勤される貴殿の姿を久しく見ませんでした。ずっと越中の田舎にいたものですから,そのお姿を懐かしく思います>>

30歳を超え,越中守の重責を担う家持です。前の2首とは全然違う仕事の立場上,宴席でのあいさつ的な短歌のようです。
この短歌の冒頭の「朝参の」の部分は万葉仮名では「朝参乃」となっています。これを「てうさんの」と音読みにするのか「あさまゐの」と訓読みにするのか難しいところです。
私には後者の方がしっくりいきますので,読みを訓読みにしてみました。
動きの詞(ことば)シリーズ…参ゐる(2)に続く。 

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