2014年7月6日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…引く(3) 海で引くといえば何?

「引く」の3回目は,何らかのモノを引くことを詠んだ万葉集の和歌をみていきましょう。
最初は「舟(船)を引く」からです。次は山上憶良福岡にある志賀の島に住む若き漁師荒雄の遭難死の悲しさを,その妻の立場で詠んだかもしれないとされる1首です。

大船に小舟引き添へ潜くとも志賀の荒雄に潜き逢はめやも(16-3869)
おほぶねにをぶねひきそへ かづくともしかのあらをに かづきあはめやも
<<大船に小舟を引き添えて海に潜って捜そうとも志賀の荒雄に海中で逢うことができるだろうか>>

この短歌は10首詠まれた中の最後の1首です。10首が詠まれた背景として,荒雄が出港したいきさつなどが左注として詳しく書かれています。遭難し,行方不明になった荒雄を探すため,大きな船で遭難した可能性のある海域まで行き,一緒に引いて行った小舟に素潜りができる海人が乗り移り,小舟を浮きとして潜っては浮かびを繰り返して捜索をしようとした様子が伺えます。いくら多くの舟を出しても広い海の中から沈んでいる荒雄を見つけることは困難ですが,大船に小舟を引かせることが当時行われていたことを伺わせます。
次は「網を引く」を見ましょう。

大宮の内まで聞こゆ網引すと網子ととのふる海人の呼び声(3-238)
おほみやのうちまできこゆ あびきすとあごととのふる あまのよびこゑ
<<宮殿の中まで聞こえてきます。「網を引くぞ!」と網子を指揮する漁師の呼び声が>>

この短歌は,長意吉麻呂(ながのおきまろ)が難波の宮に行幸していた天皇から和歌を詠むよう指示されて詠んだとされる1首です。難波の宮は海の近くにあり,地引網漁をしている声が宮中まで聞こえてきたのでしょう。恐らく地引網漁は行幸に来た天皇のために行ったイベントであり,網子を指揮する漁師の声が宮中まで届いたので,意吉麻呂は地引網漁が始まったことを知らせ,御簾越にご覧になることを天皇に勧めたのかもしれません。地引網漁は,奈良や飛鳥の盆地ではけっして体験できないイベントですから,さぞや盛り上がったのではないかと私は想像します。
次は「楫を引く」を見ましょう。

我が舟の楫はな引きそ大和より恋ひ来し心いまだ飽かなくに(7-1221)
わがふねのかぢはなひきそ やまとよりこひこしこころ いまだあかなくに
<<舟の梶を引かないで欲しい。大和よりもってきた恋しい心は,まだ萎えてしまっていないのに>>

この短歌は,左注に藤原卿作とあり,藤原房前(ふささき)か藤原麻呂(まろ)のどちらかが詠んだとの説があるそうです。旅先で,舟が先に進んで大和の京から離れていくにしたがって,都に残した恋人への思いが薄くなるどころか,さらに募り,舟を止めてほしいという思いを詠んだのでしょうか。楫は舟の方向を決めるもの(舵)とは異なり,櫓(ろ)や櫂(かい)をさします。したがって「楫を引く」ということは舟を漕ぐことと同じ意味になります。
さて,次回はその他の引くものを取り上げ「引く」のまとめとします。
動きの詞(ことば)シリーズ…引く(4:まとめ)に続く。

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