「池」の2回目は,池の周りに植えられていた植物について,見てみましょう。
当時,庭に掘った池やため池の周りには,植物を植えていたことが,万葉集から分かります。
さっそくその例を紹介します。まず,天平宝字2(758)年2月中臣清麻呂(なかとみのきよまろ)邸の宴で甘南備伊香(かむなびのいかご)が詠んだとされる池の周りの馬酔木からです。
礒影の見ゆる池水照るまでに咲ける馬酔木の散らまく惜しも(20-4513)
<いそかげのみゆるいけみづ てるまでにさけるあしびの ちらまくをしも>
<<磯影の映っている池の水面を照らすように咲いている馬酔木の花が散ってしまうのは惜しいですね>>
清麻呂邸の庭園の池の傍に植えられた馬酔木の白い可憐な花が満開で見事だったのでしょうね。
この前の短歌でも大伴家持が同様にその馬酔木を賛美して詠っています。
さて,次は池の傍に柳を植えることを詠んだ東歌です。
小山田の池の堤にさす柳成りも成らずも汝と二人はも(14-3492)
<をやまだのいけのつつみに さすやなぎなりもならずも なとふたりはも>
<<小山田の池の堤に挿し木した柳の小枝が,根を張り成長するかどうかのように,この恋が成るか成らないかはあなたと私のふたりが決めることですね>>
当時,柳も挿し木で増やすことが可能であることを知っており,池の堤に植えられた柳は挿し木で植えられた可能性を示唆する短歌だと私は思います。
それから,この恋人同士が挿した柳が育っていって,二人が結婚し,子供ができ,その子共たちに「この木がお父さんとお母さんが出逢ったときに植えた柳の木なんだよ」なんて話をする光景があるといいですね。
今度は短歌の作者は分からないが,聖武(しあうむ)天皇が池の傍で冬に開いた宴席で阿倍虫麻呂(あへのむしまろ)が覚えていて,伝誦したという池の松を詠んだという1首です。
池の辺の松の末葉に降る雪は五百重降りしけ明日さへも見む(8-1650)
<いけのへのまつのうらばに ふるゆきはいほへふりしけ あすさへもみむ>
<<池のほとりの松の葉先に降る雪は幾重にも積ってほしいですね。明日も見られますから>>
あまり雪が降らない平城京で,珍しく雪が降ったのでしょうか。池の傍で雪見の宴を催したのでしょうね。
池の傍に植えられた松の葉に雪が積もって,普段とは違う美しさを感じたのでしょうか。
最後は,池の傍に生えているケヤキの古名の槻と笹が出くる柿本人麻呂歌集よりの旋頭歌です。
池の辺の小槻の下の小竹な刈りそねそれをだに君が形見に見つつ偲はむ(7-1276)
<いけのへのをつきのしたのしのなかりそね それをだにきみがかたみにみつつしのはむ>
<<池のそばの槻の下の小竹を刈らないでぐたさいな。それだけでもあなたと見て,逢ったときのことを思い出すでしょう>>
恋人と池のほとりのケヤキの木の下で逢ったのでしょうか。
下に生えていた小竹を採って,恋人は渡してくれた。そんな思い出があったのに,それを刈ってしまってはその時のことが偲ばれなくなってしまうという気持ちが私には伝わってきます。
今も公園の池のほとりのベンチは恋人どうしが逢って話をする場所です。また,木蔭を作るためにいろいろな木を植えている状況は,当時は今と同じような雰囲気だったかもしれませんね。
今もあるシリーズ「池(3)」に続く。
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