いよいよ,このブログも満7年を過ぎ,8年目に入ろうとしています。
ここまで来ると,何か無理してブログを書くというより,私にとって生活の習慣になってきているのかもしれません。ただ,いいかげんに書いているかというとそうでもありません。もう一人の自分がいて,他人の目としておかしいところがないかをチェックしてからアップしているつもりです。
それでも,後から表現に誤解を与えそうだと感じて直す,間違いだと気付いて直している個所もあります。そのあたりの努力を感じて頂けると嬉しいですね。
さて,前年の7年目突入スペシャルでは万葉時代に生まれたであろう新語について述べました。
<万葉集と宗教>
その時に候補としてあげておきながら触れていなかった宗教用語について,今回は少し触れることにします。
「今,何で宗教用語?」「宗教なんて自分の生活にとっていちばん遠い世界の話さ」「初詣や旅行などで有名な寺社を訪れた時,御利益があるというので(みんながそう言っているので)お参り,おみくじを引いたり,御朱印を押してもらうことはあるけど,教義や宗派の違いに興味なんかはない」などのコメントをするくらいが,宗教を職業にしていない現代の日本人(※)の多くの感想なのかもしれません。
※ あえて日本人と書いたのは,日本以外の国やで暮らす人々の中には宗教が日常生活の中に強く入り込んでいるところもたくさんあるからです。
<万葉時代は外来の宗教が怒涛のように入ってきた>
1,300年前の万葉時代には宗教に関するエポックが発生し,人々の精神的支柱となる根本の考え方に大きな変化が起こった時代だったと私は考えます。
万葉時代より前の時代では,大陸からの文化の流入がまだ少なく,せいぜい一部の農業,土木,輸送などに関する技術が民間や地方レベルで流入していた程度だったのではないかと私は想像します。
しかし,万葉時代に入り,遣隋使,遣唐使,遣新羅使などを派遣し,大陸や朝鮮半島にある技術的な要素だけではなく,広い意味の文化や思想を国をあげて流入させ,日本にも根付かせようとした時代だったと私は思います。
その中で,宗教的な教えの流入は,それまで信じていた日本古来のいわゆる神道(神道は後からつけられた名前)に対する人々の信仰心に大きな影響を与えたのは間違いないと私は考えます。宗教の流入を図った万葉時代の為政者は,神道を否定するのではなく,そこに示される神と外来宗教との融合を考慮しつつ行ったように感じます。
たとえば,各地にある八幡(やわた,はちまん)神社に祭られている八幡神は,仁徳天皇の前の天皇とされる応神天皇が神として祀られているといいます。八幡神は万葉時代,武家の守護神として,武家の熱い信仰を受けたが,伝来した仏教で説かれる守護神として日本では外来した仏教との関係が非常に強くなっていたようです。
奈良時代の後半には,八幡神は八幡大菩薩とも呼ばれるようになり,当時の日本仏教で,仏の次の境地である菩薩の一員(それも大幹部級)となってしまったのです。その結果か,各地の八幡神社には,神宮寺と呼ばれる寺院も配置されるようになったのです(神社の中にお寺が存在!)。
当時の日本の為政者が広めようとした仏教には,守護神(諸天)の存在が説かれていたため,日本の神々も仏教の守護神として排斥せず,仏教と仲良く導入(神仏習合)することができたのだろうと私は思います。
それでは,万葉集で仏教にまつわる和歌を紹介しますが,仏教の思想を万葉集の和歌に広く取り入れて詠んだの歌人の一人は山上憶良です。
次は,憶良が自分の子供「古日」が病気で死んだことに対する悲しみを詠んだ長歌の反歌です。
布施置きて我れは祈ひ祷むあざむかず直に率行きて天道知らしめ(5-906)
<ふせおきてわれはこひのむ あざむかずただにゐゆきて あまぢしらしめ>
<<布施を捧げ祈ります。惑わず,まっすぐに行ける天への道を教えてやって下さい>>
布施は仏教用語で,人に施すことを表す言葉です。
天道は死んで仏に成るための道を表し,布施はいくらでもするから,その道から外れ迷界に落ちないようにと,父である憶良は願ったのでしょう。
次は,奈良県明日香村に万葉時代大寺院としてあったという川原寺の仏堂の裏に置かれてあった琴に書かれていたという短歌2首を紹介します。
生き死にの二つの海を厭はしみ潮干の山を偲ひつるかも(16-3849)
<いきしにのふたつのうみを いとはしみしほひのやまを しのひつるかも>
<<生と死の二つの海(今の苦しい生活)が嫌で,潮干の山(あの世)のことが偲ばれる>>
世間の繁き仮廬に住み住みて至らむ国のたづき知らずも(16-3850)
<よのなかのしげきかりほに すみすみていたらむくにの たづきしらずも>
<<世の中の煩わしい仮の住家に長く住んでいると,いずれ行く国(あの世)がどんなものかもわからない>>
この2首は世の中は穢(けが)れていて,生死(しょうじ)の苦しみに満ちている。「生き死の」は生きた時から死ぬまでの一生という意味で,仏教の別の経典で人間は一生のうちに生老病死という四つの苦しみを受ける運命にあると説いていることをベースに詠んだと私は思います。
万葉時代は仏教のさまざまな経典の教えが一度に大量に入ってきて,どの経典から理解するかが,当時の人たちにとってとても大きな課題だったのだろうと私は想像します。
仏教の経典の中には,世の中が穢れていても,その中で生きていく中で仏に成れると説くものもあります。すなわち,死んで仏に成る(成仏する)のは方便(真実ではなく仮の教え)であると説く経典もあるのです。
私は,決して死んでからなるものではなく,生きている間に仏に成るための修行をして,仏に近づくという考え方に賛同しています。死後に仏に成るということが正しいなら,苦しみから解放されるのは死ぬしかないという理論になってしまいかねないかと思うからです。
当ブログ8年目突入スペシャル(2)に続く。
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