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2014年4月21日月曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…問ふ(4:まとめ) 本当はどうなの?

<記者会見の報道>
最近は,記者会見の模様がテレビニュースのトップやワイドショーで多くの時間を取って紹介されることが多いようです。たとえば,不透明なお金に関する政治家の会見,研究論文に関する研究者または研究機関の会見,公職にありながら私的発言を釈明する会見,ゴーストライターがいたことが明るみになり実態を釈明する会見などです。
記者会見では,まず会見参加者(記者)へ会見を開いた側が自分の考えを説明し,そして,記者からの質問にこたえるという段取りになると思います。
その質疑応答が長時間に及ぶことがありますが,もちろんそのすべてがニュースやワイドショーで紹介されるわけではありません。しかし,最近はネット上の動画サイトで会見のすべてが見られることも珍しくないようです(私はそれをすべて見る時間はありませんが)。
<悪人に仕立て上げられる会見者>
記者の質問は時として「悪者」を仕立てセンセーショナルな記事を書くべく,仕組まれた誘導的な質問もあるらしく,「記者も回答する方もお互い大変だなあ」とか「何かシナリオ(出来レース)があるのかなあ」とか思っいたりしたくなります。
さて,貧富の差は当然今よりも大きかったけれど,今ほど国民全体が「悪者探し」をしていなかった万葉時代の「問ふ」にいて見てきましたが,それでも「今風質問」や「詰問」に近い用例を万葉集で探し,「問ふ」のまとめとします。
まずはゴシップになるのを嫌った短歌です(柿本人麻呂歌集からの転載)。

誰ぞかれと我れをな問ひそ九月の露に濡れつつ君待つ我れを(10-2240)
たぞかれとわれをなとひそ ながつきのつゆにぬれつつ きみまつわれを
<<「お前はどこの誰?」と私に問い質すのはやめてほしい。九月の夜露に濡れながら,あの人を待つ私に>>

旧暦の9月といえば,夜はかなり冷え込む頃です。そんな夜に密会するわけですから,それを見た庶民は興味津々ですわな。「何とかという偉いはんがな,ごっつうベッピンの女の人をいつも待ってはったで~」といったような噂がたつのは,本人にとってスキャンダルになってしまうのでしょうか。
次は,詠み人知らずの若い女性が詠んだと思われる短歌です。

玉垂の小簾のすけきに入り通ひ来ねたらちねの母が問はさば風と申さむ(11-2364)
たまだれのをすのすけきに いりかよひこねたらちねの ははがとはさば かぜとまをさむ
<<(私の部屋の)すだれのすき間から入ってきてね。気配で母が起きで「誰か来たの?」と訊かれたら,「風が吹いてすだれが揺れたのよ」と答えるわ>>

人が入ってきた気配を風が吹いたことにするのは,さすがに無理がありますよね。
最近の記者会見でも「そんな高い熊手があるのか?」と思いたくなるような政治家の無理な説明もありました(本人はユーモアのつもりで云ったのかもしれませんが)。
ただ,万葉時代の妻問は,女性側の両親とはいつ妻問をするかは合意ができていて,両親は娘には知らぬふりをしていたのではないかと私は思います。なので,こんな短歌を男性に渡すための使いの者から両親が内緒で見ることがあっても「娘はあの方のこと,まんざらでもなさそうね」とシナリオ通りに進んでいることに満足したのでしょうね。
<「出来レース」も有り?>
今の世の中もあるシナリオにより仕組まれた「出来レース」が結構多いような気がします。それとは知らない人たちが,話題の人がすぐバレるような説明をして,窮地に追い込まれ,マスコミがはそれを囃し立て,それを読んだり見たりする人はハラハラドキドキ感で興奮する。何十年も前,プロレスのテレビ放送を見て,最初は悪役に怒りを感じ,興奮し,最期はスッキリとしていた自分と同じように。
結局,仕組まれたかもしれないスキャンダルによって視聴率や購読数を伸ばすことになるメディアが潤うことに。また,良い悪いは別として知名度が極端に上がる人や組織が出現します。
さて,記者会見の記者から「恋人(婚約者)は誰?」自宅で「誰と逢ったのか?」「現金を受け取ったのは誰か?」「知っていたのは誰か?」などの人の名前をしつこく聞き出そうとする質問がでるようです。個人名が分かれば,またいろいろな憶測が可能になり,マスコミざたになりますからね。
次は,どんなに聞かれても名前は明かさない決意を詠んだ詠み人知らずの短歌です。

荒熊のすむといふ山の師歯迫山責めて問ふとも汝が名は告らじ(11-2696)
あらぐまのすむといふやまの しはせやませめてとふとも ながなはのらじ
<<気性が荒い熊が住むという師歯迫山に屈強の人が熊退治にいくのと同じくらい強く詰問されても,あなたの名前は絶対に明かしませんよ>>

万葉時代でも,当然関係を他人に知られたくない人間関係があったのでしょうね。
さて,スキャンダルとして大々的にとりあげたマスコミも,あるとき別のスキャンダルが発生すると,以前のスキャンダルが無かったかのようにまったく扱わなくなります。当事者は,しつこい質問にさらされることがなくなってほっとするのかもしれませんが,事態は何も変わっていないのにまったく注目されなくなるのも寂しい気分になるのかもしれませんね。
次の詠み人知らずの短歌もそんな気持ちなのかもしれませんね。

解き衣の思ひ乱れて恋ふれども何のゆゑぞと問ふ人もなし(12-2969)
とききぬのおもひみだれて こふれどもなにのゆゑぞと とふひともなし
<<心が乱れるほど恋をしてしまったのに「なんでそんなに苦しそうなの?」と聞いてくれる人もいないの>>

スキャンダルになるのは困るけど,恋の苦しさをやさしく聞いてくれたり,相談できる人がいてほしいという気持ちが私には伝わってきます。苦しんでいる人を助けるためにも,相談を受けた人が依頼者の秘密を守ることの重要性が求められます。
私は,万葉集から意識するしないは別として,万葉時代ではすでに個人の情報が重要な意味を持つことに目覚め始めた時代ではないかと感じています。
動きの詞(ことば)シリーズ…置く(1)に続く。

2014年4月13日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…問ふ(3) 「質問する」以外の「問ふ」もある

<桜の季節に野川散策>
先日の4月5日,国分寺市付近に源を発し,小金井市,三鷹市,調布市などを経て世田谷区で多摩川に合流する野川の深大寺より上流を散策しました。都立武蔵野公園の少し上流付近の川の両側に植えられているしだれ桜が見ごろで,日本の花の美しさを感じさせてくれる場所を自分の目でまた見つけられた気がしました。写真は,そのとき撮ったものです。



<「訪問」の「問ふ」は?>
さて,「訪問」という言葉はご存知だと思います。「訪問」の「問」は訪問先の人に質問するという意味は必ずしも含まれていません。訪問して楽しく会話するだけ,訪問して品物を渡すだけ,訪問して訪問先の人に逆に質問されるだけのこともありますからね。
実は,万葉集でも「問ふ」という言葉は出てきますが,質問の意味がないものもあります。次は万葉集に8首を残し,天智系の皇族と推測される市原王が詠んだ短歌です。

言問はぬ木すら妹と兄とありといふをただ独り子にあるが苦しさ(6-1007)
こととはぬきすらいもとせと ありといふをただひとりこに あるがくるしさ
<<人間のように話すことができない木でさえ妹や兄があると言うのに,まったくの独りっ子であるわが身が寂しい>>

市原王には兄弟が居なかったのか,皆死んでしまったのかもしれません。ここでの「言問はぬ」は,単に「話す」という意味になりそうです。
この「言問はぬ木すら~」は万葉集の中で慣用的な使い方のようで,この1首以外に5首ほどに出てきます。
次は,旅先で妻を想って詠んだ詠み人知らずの短歌です。

かく恋ひむものと知りせば我妹子に言問はましを今し悔しも(12-3143)
かくこひむものとしりせば わぎもこにこととはましを いましくやしも
<<このようおまえのことを恋しく思っていたことを知っていれば,「恋しいおまえ」と口に出して言っておかなかったことを後悔しているのだ>>

「好きだよ」「愛している」「君といると最高に幸せ」などを奥さんに口に出して言っていますか?
この短歌は,後で後悔しないよう,世の夫は今からでも妻にこういうことを言うべきだと主張しているのです(私はできていませんが..)。
さて,「言問ふ」の最後は,同じく詠み人知らずの妻との別離を悲しむ短歌です。

たたなづく青垣山の隔なりなばしばしば君を言問はじかも(12-3187)
たたなづくあをかきやまの へなりなばしばしばきみを こととはじかも
<<幾重にも重なり,緑の木々が茂った垣のようにそびえる山々を隔てた場所に離れることになり,今までのように頻繁におまえの家を訪ねるこちができなくなるなあ>>

この短歌の「言問ふ」は今回の冒頭で述べた「訪問する」という意味に近いと私は解釈します。
このように「言問ふ」を万葉集で見てくると,「問ふ」という言葉は入っていても,尋ねる,質問するという意味での用例は少ないように感じます。
「言問ふ」が尋ねるという意味で和歌に出てくるのは,もしかしたら平安時代あたりからかもしれませんね。有名な伊勢物語の「東下り」の個所で出てくる次の短歌は尋ねるの意味といえそうです。

名にし負はばいざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと(伊勢9段)
なにしおはばいざこととはむみやこどり わがおもふひとはありやなしやと
<<都という名を持っているなら、さあ尋ねよう、都鳥。私の恋しく思っているあの人は無事なのかと>>

動きの詞(ことば)シリーズ…問ふ(4:まとめ)に続く。

2014年4月6日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…問ふ(2) いっぱいお聞きしたいので待っています

万葉集で「問ふ」の表現や意味を見ていますが,「待ち問ふ」という慣用的な表現が何首かに出てきます。今回はそれが詠み込まれている万葉集の和歌を見ていきます。
最初は,神社老麻呂(かみこそのおゆまろ)という人物が今の生駒山の西側にあったらしい草香山で詠んだという短歌です。

難波潟潮干のなごりよく見てむ家なる妹が待ち問はむため(6-976)
なにはがたしほひのなごり よくみてむいへなるいもが まちとはむため
<<難波潟で潮がひいた後の様子をしっかり見ておきましょう。家にいる妻が土産話を聞きたくて待っているから>>

この場合の「待ち問ふ」は家で夫が旅から帰るのを待っている妻が,家に戻ると「旅路はどうだった?」といろいろ聞きたくて待っている状態を表していると私は思います。生駒山の麓の西側の高台から西方の難波の干潟は一面に広がり,西日に照らされ,鏡のように見えたのかもしれません。
平城京にいたのではそんな光景は見られません。そんな珍しく,美しい光景を家からあまり遠くに行けない妻の質問に答えられるようにしっかり見ておこうというやさしい夫の気持ちが伝わっています。現在では,信貴生駒スカイラインの各展望台から見える大阪の素晴らしい夕景や夜景をしっかり見て,その美しさを妻に伝えようとしているようなものでしょうか。
次は,和歌山の若の浦付近にあったという玉津島に旅をした旅人に贈った詠み人知らずの短歌です。

玉津島よく見ていませあをによし奈良なる人の待ち問はばいかに(7-1215)
たまつしまよくみていませ あをによしならなるひとの まちとはばいかに
<<玉津島をよく見てきてくださいませ。奈良の都にいる人があなたの帰りを待って(玉津島はどんなところだったと)質問したらどうします?>>

この旅人も平城京に住む人なのでしょう。平城京にいる「待ち問ふ」人のために,しっかり見ておきましょうというのは,最初の短歌と同じです。京に住む人たちは,珍しい情報に飢えているようです。旅から帰ってきた人には,いっぱい質問して知らない情報を得ようとしている人が多かったのでしょう。
これらの2首を見た平城京の人は,実際に「待ち問ふ」ことができるような旅から帰った人はいないけれど,難波潟も玉津島も素晴らしく景色の良い場所だろうと想像します。そして,当然の成り行きとして,そこへ行きたくなるはずです。
万葉時代の交通の便の悪さは今と比べ物にならないとはいえ,両方とも頑張れば,1日で歩ける距離です。年配の人が2~3泊の小旅行の行き先としては手頃ではないでしょうか。万葉集の和歌には旅行ガイドブック的なものが多いと以前にも書きましたが,「待ち問ふ」を意識した観光地の誘い方もあるのだなと私は感じました。
さて,最後は大伴家持が弟の書持(ふみもち)の訃報を越中で聞いて詠んだ悲しみの長歌の一部です。

~ 恋しけく日長きものを 見まく欲り思ふ間に 玉梓の使の来れば 嬉しみと我が待ち問ふに およづれのたはこととかも はしきよし汝弟の命 なにしかも時しはあらむを ~(17-3957)
<~ こひしけくけながきものを みまくほりおもふあひだに たまづさのつかひのければ うれしみとあがまちとふに およづれのたはこととかも はしきよしなおとのみこと なにしかもときしはあらむを ~>
<<~ 恋しく思う日々は長くなり,会いたいと思ううちに京から使が来たので,嬉しい気持ちで待ち様子を問うと,譫言であってほしい,いとしいわが弟は,何ということか,別の時でもよいものを ~>>

家持が京から到着した使者に京の様子や弟の様子を聞こうと待っていて,部屋に来た使者の言葉から弟の訃報を聞かされた家持はいかばかりだったのか,この長歌はその気持ちを十分表していると私は感じます。
こうしてみると「待ち問ふ」は遠くの状況や様子を知りたい,聞きたいと待っている気持ちを表した一つの言葉だと私は思うのですが,なぜか古い日本語も掲載している辞書には「待ち問ふ」という見出しはあまり載っていないようなのです。私にとって,少し不思議で残念な感もあります。
動きの詞(ことば)シリーズ…問ふ(3)に続く。

2011年7月11日月曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…行く(1) 恋路を行くのは苦難が多い?

<梅雨明けの我が家周辺>
関東地方は昨年より1週間以上早く,梅雨があけてしまいました。近所の街路樹に100本ほど植えてある百日紅(サルスベリ)の花は,まだほんの数本しか咲いていません。
また,近くの観光ぶどう園では,急いで袋かけを行っているようです。
写真は今年咲き始めた百日紅の花,一部(奥)のぶどうに袋かけが終わったぶどう畑の様子です。



 
           

さて,また動きの詞シリーズに戻り,今回から数回にわたり「行く」を取りあげます。
「行く」を国語辞典で調べると多くの意味が出てきます。万葉集にも次のようないろいろなニュアンスの違いの用例が何か所にも出てきます。

朝行く(あさゆく)…朝に出かける。朝歩く。
天行く(あまゆく)…(月や太陽が)天上を行く。
打ち行く(うちゆく)…ちょっと行く。馬に乗って行く。
離り行く(かりゆく)…離れ行く。
来経行く(きへゆく)…年月が過ぎゆく。
里行く(さとゆく)…里を行く。里を歩く。
去り行く(さりゆく)…(季節などが)移り巡り行く。
携はり行く(たづさはりゆく)…連れ立って行く。
旅行く(たびゆく)…旅に出て行く。旅行する。たびたつ。
尋め行く(とめゆく)…尋ねて行く。
鳴き行く(なきゆく)…(鳥,獣などが)鳴きながら飛んでいく(彷徨う)。
泥み行く(なづみゆく)…行き悩みながら行く。
更け行く(ふけゆく)…夜が深くなって行く。
二行く(ふたゆく)…二心がある。心が両方に通う。二度繰り返す。
道行く(みちゆく)…道を行く。旅をする。
山行く(やまゆく)…山に登る。山の中を行く。

前に付く言葉によって「行く」の意味が微妙に異なっていることが分かるでしょうか。万葉時代から「行く」はいくつもの意味合いで使われてきた言葉と言えそうです。
「行く」がさまざまな意味合いを万葉時代から持っていた理由として,私はいろいろな言葉と連なって使われてきたからかもしれないのでは?と考えています。当時から「行く」という言葉は単に人がどこかに行くことのみを指しているのではなく,広い概念を持つ抽象的な言葉だったのだろうとも私は感じます。
具体的期用例を万葉集に出てくる短歌で見てみましょう。

うつせみの世やも二行く何すとか妹に逢はずて我がひとり寝む(4-733)
うつせみの よやもふたゆく なにすとか いもにあはずて わがひとりねむ
<<世の中を二度繰り返すことができるなどありはしない。どうして貴女と逢わないで私独りで寝ることができるだろうか>>

この短歌は大伴家持坂上大嬢に対して送った恋の歌です。「二行く」とは「二度繰り返す」という意味で使われています。結構激しく恋情を表した恋の歌だと私は思います。

まそ鏡持てれど我れは験なし君が徒歩より泥み行く見れば(13-3316)
まそかがみ もてれどわれはしるしなしき みがかちよりなづみゆくみれば
<<澄み切った鏡を私が持っていても甲斐がありません。あなた様がお歩きになられるときの行き先をお悩みになる姿を見ますと>>

この短歌は詠み人知らずの女歌です。私の解釈ですが,「まそ鏡」は自分の純粋な相手への恋愛感情を表し,「泥み行く」は相手(男)が自分への愛情が定まっているのかどうか分からない状態を指します。
その「泥み行く」状態があまりにひどいため,自分だけが相手の男に対する純粋な愛情を持っていても仕方がないと相手の男に伝え,本気になるよう促そうとしている女性の気持ちを表現している歌だと私は解釈します。
本当は恋路を二人で一緒に手をつないで行きたいのに,なかなかそうならない。それが,昔も今も変わらない恋愛の悩ましいところなのでしょうか。

行く(2)に続く。

2011年6月18日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…住む(2)

人が住む場所を家と呼びます。
万葉集では人(自分,妻,夫,恋人,家族,故郷の人等)が住む家について読んだものが出てきます。
人が住んでいる家には,当然ですが,人が暮らして居て,近所の人や用事のある人の出入りがあり,朝夕には釜戸や囲炉裏に火が入り,さまざまな会話や子供の泣き声などが聞こえるのです。
それはあまりにも日常的で変化の無い状況の繰り返しではあるのですが,その生活から離れてしまった人達にとっては懐かしく,また戻りたいと願いたくなるものなのかもしれません。

さす竹の大宮人の家と住む佐保の山をば思ふやも君(6-955)
さすたけのおほみやひとの いへとすむさほのやまをば おもふやもきみ
<<大宮人が住んでいる佐保の山のことを想い起こしませんか、貴殿は?>>

この短歌は,大宰府の次官(長官は大伴旅人)であった石川足人(いしかわのたりひと)が,おそらく長官の旅人に対して尋ねている短歌ではないかと私は想像します。
佐保の山平城京大極殿があった場所から東に2~3Kmほど離れた丘陵地帯で,多くの大宮人(役人)が住んでいた場所だったのでしょうか。
今でいえばベッドタウンのような場所だったのかもしれません。
佐保の山では,新しい奈良の京の官吏として勤める多くの人達やその家族が近所づきあいをしながら,元気よく豊かに暮らしていた姿が目に浮かぶようです。
しかし,遠く離れた九州の近所づきあいもままならない地方赴任者にとっては,都で暮らしていたときを思い出して,望郷の念に駆られる気持ちは避けがたいものがあるのでしょう。
そういう気持ちを抑えて我慢するのではなく,都で暮らしていたときの話をみんなでしましょうというのがこの短歌の言いたいことだと私は思います。
ただ,地方赴任も5年も続くと赴任地に愛着が出てくることもありますよね。「住めば都」とはよく言ったものです。次の短歌は大伴家持が赴任期間が終わり,別れの宴で詠ったもののようです。

しなざかる越に五年住み住みて立ち別れまく惜しき宵かも(19-4250)
しなざかるこしにいつとせすみすみて たちわかれまくをしきよひかも
<<越中に五年住み続けて、ここで越中の皆さんとお別れとなってしまうのが残念な今宵です>>

大伴家持にとって越中は第二の故郷といえるほど長く暮らし,地元の人達との交流も円滑にでき,平和で心豊かな暮らしを続けられたに違いありません。
しかし,家持に対し,少納言に昇進させる帰京命令によって越中に住む暮らしが終りを告げたのです。家持33歳の秋の始まりでした。
さて,恋人や夫が異郷の地に住んで,厳しい暮らしを気遣う場合は,万葉集ではどんな和歌が詠まれているのでしょうか。

他国は住み悪しとぞ言ふ速けく早帰りませ恋ひ死なぬとに(15-3748)
ひとくにはすみあしとぞいふ すむやけくはやかへりませ こひしなぬとに
<<異国は何かと住みにくいと人は申します。急いで早く帰って来てくださいませ。私が恋い死ぬ前に>>

この短歌は,狭野弟上娘子(さののちがみおとめ)が越前に流罪になった夫である中臣宅守(なかとみのやかもり)に送ったものです。
「早く,早く帰ってきて!!」という心の叫びが私には伝わってきます。
富山湾に比べると越前海岸は切り立った断崖ばかりで,越中の豊さに対して非常に厳しい場所です。
京にいる娘子にとって,越前に流され,おそらくあばら屋に住み,食料も乏しいた状態と想像される宅守のことが心配で心配で仕方がないのです。
この悲劇の夫婦は万葉集の中で後世読む人の多くを感動させる純粋な恋の歌を残したのです。
住む(3;まとめ)に続く。