先日の4月5日,国分寺市付近に源を発し,小金井市,三鷹市,調布市などを経て世田谷区で多摩川に合流する野川の深大寺より上流を散策しました。都立武蔵野公園の少し上流付近の川の両側に植えられているしだれ桜が見ごろで,日本の花の美しさを感じさせてくれる場所を自分の目でまた見つけられた気がしました。写真は,そのとき撮ったものです。
<「訪問」の「問ふ」は?>
さて,「訪問」という言葉はご存知だと思います。「訪問」の「問」は訪問先の人に質問するという意味は必ずしも含まれていません。訪問して楽しく会話するだけ,訪問して品物を渡すだけ,訪問して訪問先の人に逆に質問されるだけのこともありますからね。
実は,万葉集でも「問ふ」という言葉は出てきますが,質問の意味がないものもあります。次は万葉集に8首を残し,天智系の皇族と推測される市原王が詠んだ短歌です。
言問はぬ木すら妹と兄とありといふをただ独り子にあるが苦しさ(6-1007)
<こととはぬきすらいもとせと ありといふをただひとりこに あるがくるしさ>
<<人間のように話すことができない木でさえ妹や兄があると言うのに,まったくの独りっ子であるわが身が寂しい>>
市原王には兄弟が居なかったのか,皆死んでしまったのかもしれません。ここでの「言問はぬ」は,単に「話す」という意味になりそうです。
この「言問はぬ木すら~」は万葉集の中で慣用的な使い方のようで,この1首以外に5首ほどに出てきます。
次は,旅先で妻を想って詠んだ詠み人知らずの短歌です。
かく恋ひむものと知りせば我妹子に言問はましを今し悔しも(12-3143)
<かくこひむものとしりせば わぎもこにこととはましを いましくやしも>
<<このようおまえのことを恋しく思っていたことを知っていれば,「恋しいおまえ」と口に出して言っておかなかったことを後悔しているのだ>>
「好きだよ」「愛している」「君といると最高に幸せ」などを奥さんに口に出して言っていますか?
この短歌は,後で後悔しないよう,世の夫は今からでも妻にこういうことを言うべきだと主張しているのです(私はできていませんが..)。
さて,「言問ふ」の最後は,同じく詠み人知らずの妻との別離を悲しむ短歌です。
たたなづく青垣山の隔なりなばしばしば君を言問はじかも(12-3187)
<たたなづくあをかきやまの へなりなばしばしばきみを こととはじかも>
<<幾重にも重なり,緑の木々が茂った垣のようにそびえる山々を隔てた場所に離れることになり,今までのように頻繁におまえの家を訪ねるこちができなくなるなあ>>
この短歌の「言問ふ」は今回の冒頭で述べた「訪問する」という意味に近いと私は解釈します。
このように「言問ふ」を万葉集で見てくると,「問ふ」という言葉は入っていても,尋ねる,質問するという意味での用例は少ないように感じます。
「言問ふ」が尋ねるという意味で和歌に出てくるのは,もしかしたら平安時代あたりからかもしれませんね。有名な伊勢物語の「東下り」の個所で出てくる次の短歌は尋ねるの意味といえそうです。
名にし負はばいざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと(伊勢9段)
<なにしおはばいざこととはむみやこどり わがおもふひとはありやなしやと>
<<都という名を持っているなら、さあ尋ねよう、都鳥。私の恋しく思っているあの人は無事なのかと>>
動きの詞(ことば)シリーズ…問ふ(4:まとめ)に続く。
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