気象庁によりますと関東甲信越地方がいつもより早めに梅雨明けをしたとみられるそうです。明日は七夕です。短冊に願いを書いて笹に結び付けた幼いころを思い出します。
このブログも七夕を扱った投稿がいくつかあり,それらの閲覧数はおかげさまで例年以上にうなぎのぼりです。
さて,今回は「ともし」について万葉集を見ていきたいと思います。「ともし」は漢字で「乏し」または「羨し」と書きます。一見,「物足らない」とか「劣っている」という印象を持つ漢字ですが,万葉集に出てくる意味は少し違います。何回か前に経済学の話を書きましたが,まさに稀少性を絵にかいたような言葉で,「珍しくて心が引かれる」という意味です。
実際に万葉集で詠まれているものをみていきましょう。
夕月夜影立ち寄り合ひ天の川漕ぐ舟人を見るが羨しさ(15-3658)
<ゆふづくよかげたちよりあひ あまのがはこぐふなびとを みるがともしさ>
<<夕月が出ている夜に身を寄せ合って天の川を漕いで渡る舟人を見るのが珍しく羨ましい>>
夕日も見える美しい天の川をふたりだけで舟に乗って,肩を寄せ合って舟を漕ぐのは,本当にロマンチックなんだろうなと作者は感じて詠ったのかもしれませんね。この短歌は天平8(736)年の七夕に,遣新羅使のひとりが詠んだものとされています。
次も七夕詠んだ,柿本人麻呂歌集に出ていたという詠み人知らずの短歌です。
恋ひしくは日長きものを今だにもともしむべしや逢ふべき夜だに(10-2017)
<こひしくはけながきものを いまだにもともしむべしや あふべきよだに>
<<恋い慕いながら長い日々を過ごしてきたのです。今だけでも貴重な時間を過ごさせてほしいのです。逢うはずのこの夜だけでも>>
「ともし」を貴重な時間の修飾語と訳してみました。
妻問婚はなかなか大変です。気軽に「今晩は」といって妻宅に入れてもらえるものではありません。何度も手紙や使いの者を出してもなかなか許されないことも多かったようです。その間,夫は妻問いが許される日を待ち続けます。それが,年に1回しか逢えない牽牛と織姫の物語とオーバラップしてしまうのは容易に想像できます。そして,ようやく妻問いが許されたら,労いの言葉や癒しの言葉をかけてほしいと願う気持ちはわかる気が私にはします。
次は,妻問を待つ女性側の立場て詠んだ短歌です。
己夫にともしき子らは泊てむ津の荒礒巻きて寝む君待ちかてに(10-2004)
<おのづまにともしきこらは はてむつのありそまきてねむ きみまちかてに>
<<自分夫となかなか逢えない私は舟泊りして港の荒磯をめぐりながら寝ます。あなたを待ちきれずに>>
「ともし」をなかなか逢えない形容として訳しました。
夫は牽牛,自分は織姫になぞらえています。夫がなかなか逢いに来ないので,私は天の川の港にある舟に乗って,舟を港の周りをくるくるさせながら待ちきれず寝てしまいますよという意味と私は解釈しました。
明日の七夕なのでデートをするカップルが待ち合わせるのは,東京スカイツリーでしょうか? 東京ディズニーリゾートでしょうか? ホークスタウン(福岡)でしょうか? ユニバーサルスタジオジャパン(大阪)でしょうか? 東京ドームシティーアトラクションズでしょうか? 八景島シーパラダイス(横浜)でしょうか?
みなさま,Goodな七夕をお過ごしください。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「ゆゆし」に続く。
0 件のコメント:
コメントを投稿