この前の月曜日から水曜日まで,コンピュータソフトウェアに関する学会のシンポジウムに参加するため,岐阜市に行ってきました。岐阜市は35度以上の猛暑が続いていましたが,会場や宿泊先のホテルで冷房が効いていて快適に過ごせました。
そのシンポジウムは毎年場所を代えて開催されているのですが,私は本当に久しぶりの参加でした。学会の幹事の方や大学の先生方と久しぶり再会できた人も多く,懇親会では初めて名刺を交換した人だけでなく,そういった方々とも楽しくソフトウェア工学の研究動向についてお話ができました。
また,岐阜市に行ったついでに親しい参加者数人と車で郡上八幡を訪れました。
郡上おどりはまだ始まっていませんでしたが,天気に恵まれ,静かな郡上八幡の城下町,清流だけど水量豊かな吉田川,八幡城から眺めた街並みや青々とした山並みは本当に素晴らしいと感じました。
郡上八幡は,食品サンプル(レストランの入り口横に飾ってある料理のイミテーション)の創始者とも称される岩崎瀧三の出身地で,食品サンプルを作る産業が盛んだそうです。郡上八幡で作られた食品サンプルの全国シェアは60%もあるらしく,時間の関係でちら見しかできませんでしたが,街には食品サンプルを売る店やサンプル作成の体験ができる工房もありす。
昼食で食べた郡上八幡城下町エリアのお店の「うな重」は最高でした。ここのウナギはミネラル分豊かな郡上八幡の湧水で何日も過ごしてからさばかれているのかもしれませんね。
天の川 「たびとはん。わいに黙って,自分だけウナギを食べたんか! えろ~,ゆゆしいこっちゃ!」
天の川君,ちょうど今回のテーマの「ゆゆし」を使ってくれてありがとう。素晴らしい連携プレイだね。
天の川 「褒めてごまかしてもアカンで。わいにもウナギ,ウナギや,ちゅうねん!」
<本題>
無視して本題に移りましょう。「ゆゆし」は,天の川君が「うとましい」「いやだ」という意味で言ったように,現在でも「ゆゆしい」として使われています。
しかし,広辞苑には「神聖また不浄なものを触れてはならないものとして強く畏怖する気持ちを表すのが原義」とあります。
万葉集では,当然ですがその原義に近い意味で使われている和歌がでてきます。
かけまくもあやに畏し 言はまくもゆゆしきかも 我が大君皇子の命 万代に見したまはまし 大日本久邇の都は うち靡く春さりぬれば 山辺には花咲きををり 川瀬には鮎子さ走り いや日異に栄ゆる時に およづれのたはこととかも 白栲に舎人よそひて 和束山御輿立たして ひさかたの天知らしぬれ 臥いまろびひづち泣けども 為むすべもなし(3-475)
<かけまくもあやにかしこし いはまくもゆゆしきかも わがおほきみみこのみこと よろづよにめしたまはまし おほやまとくにのみやこは うちなびくはるさりぬれば やまへにははなさきををり かはせにはあゆこさばしり いやひけにさかゆるときに およづれのたはこととかも しろたへにとねりよそひて わづかやまみこしたたして ひさかたのあめしらしぬれ こいまろびひづちなけども せむすべもなし>
<<言葉をかけるのもたいへん畏れ多く、言ってみるのもはばかれることだが,私が仕へる天子(聖武天皇)の皇子(安積親王)が永遠にお治めなさるべき恭仁の都は,春が來ると山の辺には枝もたわわに花が咲き,川の瀬にはアユの子が走るように泳いでいる。日に日に段々と隆盛していく中、悪い噂の呪いの言葉とも思はれるような評判が聞こえてきた。それは御身に使える舍人達が白い栲の着物に着替えて、和束山をば輿に乗って出発され,天を治めにお登りなされた(お亡くなりになった)ので、舍人達は倒れころげて,絶え間ない涙に濡れて泣いている。何とも仕方がないことだ>>
この長歌は,大伴家持が恭仁(くに)京の造営に携わっていた天平16年,聖武(しやうむ)天皇の第二皇子である安積親王(あさかしんわう)が若くして亡くなったことを悼んで詠んだものです。
ここに出てくる「ゆゆしきかも」は「神聖であるからお名前も言ってはいけないほど」といった意味でしょうか。
さて,次は少し違う意味の「ゆゆし」を詠んだ詠み人知らずの女性の短歌です。
朝去にて夕は来ます君ゆゑにゆゆしくも我は嘆きつるかも(12-2893)
<あしたいにてゆふへはきます きみゆゑにゆゆしくもわは なげきつるかも>
<<朝にお帰りになって,夕方またお見えになるあなた様だから,いらっしゃらない昼は,うとましいほど私は嘆いてしまうことでしょう>>
「あなたとずっといたいのよ」というこの短歌を見た男性は,早めに女性宅に来るようになったでしょうか。
さて,次は高級官僚である中臣東人(なかとみのあづまひと)が阿倍女郎(あべのいらつめ)に贈った相聞歌です。
ひとり寝て絶えにし紐をゆゆしみと為むすべ知らに音のみしぞ泣く(4-515)
<ひとりねてたえにしひもを ゆゆしみとせむすべしらに ねのみしぞなく>
<<ひとりで寢ていたら,あなたが結んでくれた紐が切れた。それは不吉な兆しというけれど,どうすけばよいのか分からず泣くばかりなのです>>
これに対して,阿倍女郎は次のように返歌しています。
我が持てる三相に搓れる糸もちて付けてましもの今ぞ悔しき(4-516)
<わがもてるみつあひによれる いともちてつけてましもの いまぞくやしき>
<<私が持っている三本に縒った丈夫な糸で紐を縫いつけてあげればよかった。今では悔いています>>
さて,東人が「ゆゆし」といった不吉な前兆を女郎はどう解釈したのでしょうか。
東人さんは,もう二人は別れなければならないので泣いているのか? それとも,何としても別れたくないので泣いているのか? 女郎にとってはそこを見極めなければならいでしょう。
そこで,女郎は返歌では悔いていることを別れとは無関係の紐をつなぐ糸に絞って詠い,相手の反応を見ようとしたのではないかと私は思います。
これに対する東人の返歌は万葉集に残っていないようです。二人はこの相聞をもって別れてしまったのでしょうか。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「なつかし」に続く。
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