2013年11月10日日曜日

心が動いた詞(ことば)シリーズ「愛(うつく)し」

現代日本語では「うつくしい」は「美しい」と書きますが,万葉集では「うつくしい」は「愛らしい」「かわいい」「いとおしい」という意味で使われることが多く「愛しい」と書く方が意味が通じやすくなります。
次は大伴旅人が亡き妻を偲んで詠った短歌です。

愛しき人のまきてし敷栲の我が手枕をまく人あらめや(3-438)
うつくしきひとのまきてし しきたへのわがたまくらを まくひとあらめや
<<いとおしい人が手枕とした私のかいなを再び枕とする人はいるのか。いやもういない>>

大伴旅人は生涯に渡って,日本の各地の国府の長官などを務めた経歴をもっているといいます。
恐らく,最愛の妻とは京に帰ったときに妻問するのではなく,赴任地へ子供たちとともに同伴させたことも多かったと思われます。
最後の赴任地の九州大宰府には妻と家持ら子供も同行させたのだろうと考えられます。
そして,本当にいとおしかった妻に大宰府の地で先立たれた旅人の気持ちは察するに余りあるものがあります。
次は,つい手を出したくなる男の心理を詠んだ詠み人知らずの短歌です。

愛しと我が思ふ妹を人皆の行くごと見めや手にまかずして(12-2843)
うつくしとあがおもふいもを ひとみなのゆくごとみめや てにまかずして
<<可愛いと僕が思う彼女を,道ですれ違った人は皆振り返って見たりしている。だけど僕は彼女の肩を手で抱かずに,見るだけなんて我慢できないよ>>

公衆の面前で彼女の肩を抱くことは,今では全く抵抗はないと思いますが,私が若いころ(昭和後期)はまだ恥ずかしいという意識が女性にはあったのではないかと思います。
万葉時代そのような行為は,みだらな行為とみなされ,もっと抵抗があったと私は想像します。この短歌の作者はそれほどまで彼女ことを可愛いと言いたいのでしょうか。
最後は,「愛くし」が出てくる防人妻服部呰女(はとりべのあさめ)が詠んだ短歌を紹介します。

我が背なを筑紫へ遣りて愛しみ帯は解かななあやにかも寝も(20-4422)
わがせなをつくしへやりて うつくしみおびはとかなな あやにかもねも>
<<夫を筑紫に送り出して,いない夫の愛おしさのあまり帯を解かず,ああどうして寝らましょうか>>

帯を解いて寝るとは夫が来ることを待って寝ることを意味します。防人制度に肯定的な考えを持つ人間が万葉集を編集していたとすれば,こんな短歌を残すことはしないと私は思います。
防人という制度で多くの家庭が壊されていくことを万葉集の編者が悲しい気持ちで見ているからこそ,この妻が詠んだ短歌を選んで残そうとした。そんな気がしてなりません。
どんなに年をとっても人から愛される(必要とされる,いなくなったら悲しい)人は「愛(うつ)しい」人なのでしょう。
秋の夜長にふとそんなことを今回のブログを書いていて感じました。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「憎(にく)し」に続く。

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