このブログの投稿回数はとうとう300回になりました。
始めて4年9ヶ月での達成です。この間,書く内容(文章)が全体としてほとんど同じになったものはなかったと思います。それだけ,万葉集はいろいろな切り口で見ることかできる貴重な日本の文化的財産であるという感慨をますます強く私は持っています。
さて,投稿300回記念スペシャルとして万葉集で四国を詠んだ和歌を4回シリーズで特集します。
その1回目は讃岐(今の香川県)がテーマです。讃岐といえば,愛称を「うどん県」と呼ぶくらい好きだいわれる「讃岐うどん」,金毘羅船船でおなじみの金刀比羅宮,源平合戦の戦場で知られる「屋島」「壇ノ浦」,瀬戸内海では2番目に大きな島でオリーブ林や寒霞渓で有名な「小豆島」などが今では観光スポットとなっています。
万葉集の柿本人麻呂が詠んだ長歌の中に「讃岐」という言葉がすでに出てきています。
玉藻よし讃岐の国は 国からか見れども飽かぬ 神からかここだ貴き 天地日月とともに 足り行かむ神の御面と 継ぎ来る那珂の港ゆ 船浮けて我が漕ぎ来れば 時つ風雲居に吹くに 沖見ればとゐ波立ち 辺見れば白波騒く 鯨魚取り海を畏み 行く船の梶引き折りて ~(2-220)
<たまもよしさぬきのくには くにからかみれどもあかぬ かむからかここだたふとき あめつちひつきとともに たりゆかむかみのみおもと つぎきたるなかのみなとゆ ふねうけてわがこぎくれば ときつかぜくもゐにふくに おきみればとゐなみたち へみればしらなみさわく いさなとりうみをかしこみ ゆくふねのかぢひきをりて ~>
<<讃岐の国は国柄かいくら見ても飽かない。また神柄かたいへん尊く見える。天地日月とともに満ち足りていく神のお顔(島々)と,絶え間なく人々が渡る那珂の港から,舟を浮けて漕いで來ると,潮時の風が空に吹き上げ,遙かな沖を見ると波が立つている。海岸を見ると白く碎ける波が騷いでいる。それで、海上を行くのが恐ろしく,舟の梶を折るくらい強く漕いで ~>>
<讃岐は海上交通の要所>
讃岐の国は風光明媚で,神話でも神々が出てくる国であり,船による交通の便も良く,港(ここに出てくる那珂の港は今の丸亀市あたりあったらしい)も栄え,豊かな国であったことが伺い知れます。
ただ,島々の間の海峡は潮の流れが速く,渦潮が出て,波も高く,船の航行は非常に危険だったように見えます。それでも海路が栄えたのは,たとえ危険を冒しても海路の方が陸路より早く,そして安く物資を移動できたという経済的な理由だった私は思います。
そのため,荒れた海路でも船を難破させずに目的地まで船を航行させる優秀な船乗りの収入は,危険手当も含め恐らく相当高かったと想像できます。そして,その船乗りたちが多く暮らす港町はさまざな物資を消費する商業も盛んになり,ますます繁栄したのではないでしょうか。
次は,万葉集の和歌の中には「讃岐」という言葉は出てきませんが,舒明天皇が讃岐の国に行幸したとき,同行した軍王(いくさのおほきみ)が讃岐の山を詠んだと題詞にある長歌です。
霞立つ長き春日の 暮れにけるわづきも知らず むらきもの心を痛み ぬえこ鳥うら泣け居れば 玉たすき懸けのよろしく 遠つ神我が大君の 行幸の山越す風の ひとり居る我が衣手に 朝夕に返らひぬれば 大夫と思へる我れも 草枕旅にしあれば 思ひ遣るたづきを知らに 網のの 海人娘子らが 焼く塩の思ひぞ焼くる 我が下心(1-5)
<かすみたつながきはるひの くれにけるわづきもしらず むらきものこころをいたみ ぬえこどりうらなけをれば たまたすきかけのよろしく とほつかみわがおほきみの いでましのやまこすかぜの ひとりをるわがころもでに あさよひにかへらひぬれば ますらをとおもへるわれも くさまくらたびにしあれば おもひやるたづきをしらに あみのうらのあまをとめらが やくしほのおもひぞやくる わがしたごころ>
<<霞の立つ長い春の一日が暮れてしまった。わけもなく心が痛むので,トラツグミ(ぬえ)のように忍び泣きをしていると,具合がよいことに我が大君がお出ましになった山を越えて故郷の方から吹て来る風が独りでいる私の衣の袖に朝な夕なあたって,ひるがえる(帰りたいと吹き返す)。立派な男子と自負している私だが,旅先なので思いを晴らす方法もなく,網の浦の海人乙女らが焼く塩のように,ただ家恋しさに焦がれている心境なのだ>>
この長歌の反歌として次の短歌が添えられています。
山越しの風を時じみ寝る夜おちず家なる妹を懸けて偲ひつ(1-6)
<やまごしのかぜをときじみ ぬるよおちずいへなるいもを かけてしのひつ>
<<山を越して来る風が時を分かず私の袖が吹き返す。そんなとき寝る夜は,いつも私は家に残した妻をその風に託して偲んだのだ>>
この2首からは,軍王にとって,讃岐の国は田舎で,寂しい土地だと感じられます。
海運で港町は栄えていても讃岐の国は平野は遮るものがない草原で,遠くの山から吹く風は冷たく強く(この行幸は冬だったようだと左注にあり),軍王にとってはつらいものだったのでしょう。天皇が泊まるところは謀反者が来たらすぐわかるように広い平地の真ん中で警備するのも大変だったのかもしれません。
香川県の平地(可住地面積)の割合は53.4%で全国10位です。山地が多い四国の他県を引き離して四国では断トツの1位です(ちなみに全国でもっとも可住地面積が狭い都道府県は高知県の16.3%)。なお,香川県は大阪布,沖縄県より狭い,全国で一番面積が小さい県なのです。
投稿300回記念スペシャル(2)‥四国特集(伊予)に続く。
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