以前2010年8月から9月にかけて「動きの詞シリーズ」で万葉集の「惜しむ」を取り上げましたが,今回はその形容詞形です。「惜し」は,現代では「惜しい」という言い方をします。ただ,万葉時代の「惜し」の意味は現代の「惜しい」とは少し異なるかもしれません。
次は2012年2月6日の当ブログで紹介した大伴家持の短歌ですが,そこに「惜し」が出てきます。
大宮の内にも外にもめづらしく降れる大雪な踏みそね惜し(19-4285)
<おほみやのうちにもとにも めづらしくふれるおほゆき なふみそねをし>
<<宮中の内にも外にもめずらしく大雪が降った。この白雪をどうか踏み荒らさないで頂きたいものだ。(きれいな雪景色が荒らされるのが)惜しいから>>
私も中学校の頃,京都も年に数回雪が降り,教室から見る校庭がきれいだなと思っていたら,一部生徒が雪だるまを作るために雪の塊を転がしたあとが地面が見えて汚くなるのを惜しいと感じたことがありました。でも,親が子供に雪だるまを作らせるのは結果的に除雪ができるからだという都市伝説を聞いてからは,私は妙に納得しています。
さて,次も2012年9月23日の当ブログで紹介した詠み人知らずの短歌です。
白栲の袖の別れは惜しけども思ひ乱れて許しつるかも(12-3182)
<しろたへのそでのわかれはをしけども おもひみだれてゆるしつるかも>
<<袖が分かれているようにあなたとの別れはつらいけど,私の心が乱れてしまい結局あなたと別れることにしたの>>
ここでの「惜し」は「つらい」とか「残念だ」という感情が近いかもしれません。
最後は「自分の命さえも惜しくない」といった使い方の例として車持娘子(くるまもちのいらつめ)が詠んだとされる短歌(長歌の反歌2首の内の1首)を紹介します。
我が命は惜しくもあらずさ丹つらふ君によりてぞ長く欲りせし(16-3813)
<わがいのちはをしくもあらず さにつらふきみによりてぞ ながくほりせし>
<<私の命は惜しくはありませんが,あなたに寄り添えていられれば長く生きたいと願うのです>>
この歌(長歌+反歌2首)の左注には,娘子が夫との恋に疲れ,傷心のあまり病に伏し,痩せ衰えて臨終が間近になり,使者が夫を呼び,夫が駆け付けたとき,娘子がこの歌を詠んで息を引き取ったという言い伝えがあると書かれているようです。
言い伝えとあるため,この歌や車持娘子は実在しないフィクションの可能性がありますが,こういった歌物語の言い伝えが,当時の妻問いをベースとした夫婦関係を幸せなものにするための教訓の意味合いがあったのかもしれません。
万葉集で「惜し」は,このほか多くの長短歌で詠まれていますが,今回はこのくらいにします。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「愛(うつく)し」に続く。
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