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2013年6月1日土曜日

心が動いた詞(ことば)シリーズ「あやし」

今回は万葉集に出くる形容詞「あやし」をみていきます。現代用語に対応させると「怪しい」となります。「怪しい話」「怪しい関係」「怪しい雲行」「この会社は怪しい」といったネガティブな言葉として使われることが多いようです。
しかし,万葉集に出てくる「あやし」はネガティブでない意味も含むもっと広い意味だったようです。

あらたまの五年経れど我が恋の跡なき恋のやまなくあやし(11-2385)
あらたまのいつとせふれど あがこひのあとなきこひの やまなくあやし
<<年が新らたになり五年経ってしまったが,私の恋はいつまでも実を結ばない恋かも。それでも恋しい気持ちがいつまでも止むことがないのは不思議だ>>

この短歌は,柿本人麻呂歌集に出ていたものを万葉集に載せたという詠み人知らずの1首です。「あやし」は「不思議な」という意味で使われています。
次は「逢えないことが理解できない」という感情を表した詠み人知らずの短歌です。

時守の打ち鳴す鼓数みみれば時にはなりぬ逢はなくもあやし(11-2641)
ときもりのうちなすつづみ よみみればときにはなりぬ あはなくもあやし
<<時守が打ち鳴らす鼓を数えてみたら,逢う約束の時間になっている。それなのに逢えないのはどうしてなのだろう>>

平城京では,すでに時を知らせる太鼓が公衆の場では鳴らされていたことが,この短歌で読み取れます。時間を計り,正時になると太鼓を鳴らす人を時守と呼んでいたようです。
「○○で何時に待っているよ」と約束したが,その時間になっても相手は現れない。今だったら,携帯電話で「どうしたの?」と確認できますが,万葉時代では待ちぼうけになってしまうしかありません。
私は,まだ携帯電話がほとんど普及していない若いころ,女性から待ちぼうけをくらわされたことが何回もあります。本当にこの短歌の作者の気持ちは他人事とは思えないのですよ。

天の川 「たびとはん。待ちぼうけになるのは,相手がちっともOKしてへんのに,たびとはんだけが会う約束できたと勘違いしてやったんとちゃうか?」

最近「怪しい」サイトばかり見ていて,しばらくちょっかいを出さなかった天の川のやつ,余計なことをしゃべってきたな。相手が来なかったのは,急にどうしても行けない事情があったからに決まっているでしょ。でも,来なかった理由は結局聞けなかったなあ。

天の川 「なんや。そんなら,わいの言うたことはやっぱり図星やったんなんか」

あっ,あっ,「あやし」を詠んだ最後の短歌を,しょっ,しょっ,紹介します。

相思はずあるらむ君をあやしくも嘆きわたるか人の問ふまで(18-4075)
あひおもはずあるらむきみを あやしくもなげきわたるか ひとのとふまで
<<私のお慕いする気持ちなど少しも考えてくださらない貴殿に,人が変に思うほどに私は嘆き続けています。人が「どうしたのですか?」と尋ねるほどに>>

この短歌は,天平21(749)年3月15日,越中大伴池主(おほとものいけぬし)が大伴家持に贈ったものです。池主が家持に対する親愛の情を家持から池主に対するそれよりも極端に強いと大袈裟に表現していると私は感じます。お互いが非常に仲が良いからこんな表現ができるのかもしれません。
これに対して家持は翌日に次のような短歌を返しています。

恋ふといふはえも名付けたり言ふすべのたづきもなきは我が身なりけり(18-4078)
こふといふはえもなづけたり いふすべのたづきもなきは あがみなりけり
<<「恋ふ」とはよくも名付けたものですね。お伝えする方法も手立ても無いのは,小生の方ですよ>>

池主が「相思ふ」という言葉を使ったので,それは男女の仲の「恋ふ」と同じ意味で,そんな言葉を使われたらこちらから返す言葉もないよと返事をしたのだと私は考えます。ただ,家持は池主に対してクレームを言っているのではなく,池主の大袈裟なアプローチに少し困惑しつつもやり取りを楽しんでいると考えた方がよさそうですね。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「かしこし」に続く。

2013年5月25日土曜日

心が動いた詞(ことば)シリーズ「いぶせし」

今回の「いぶせし」は,今までの「うるはし」「かぐはし」に比べてネガティブな心情を表す形容詞です。漢字では「鬱悒し」と書き,「気分がはれず,うっとうしい」という意味です。よく似た言葉に「いぶかし」がありますが,「気がかりな,疑わしい」という意味で,「いぶせし」の活用形ではありません。
「いぶせし」は現代ではあまり使われていませんが,万葉集では10首ほど出てきます。また,枕草子源氏物語でも使われているようです。
万葉集で「いぶせし」が詠まれいる和歌10首のうち,5首は大伴家持作とされています。その他の5首はすべて詠み人知らずの和歌です。その5首を万葉集に載せようと選んだのが家持であれば,家持は「いぶせし」という言葉を和歌に使うことを好んでいたのかもしれませんね。
それでは,まず家持の「いぶせし」を使った短歌から紹介します。

ひさかたの雨の降る日をただ独り山辺に居ればいぶせかりけり(8-769)
ひさかたのあめのふるひを ただひとりやまへにをれば いぶせかりけり
<<空から雨の降る日にただひとり山辺にいると気持ちが落ち込んでしまいます>>

この短歌は,家持が久邇京に単身赴任していた時(天平12年~同16年),紀女郎(きのいらつめ)に贈ったとされています。年上の紀女郎に,心の寂しさに対する癒しを求めた1首ですが,これに対する女郎の返歌は残っていません。雨が降ると新京の造営も中止になり,家にこもることも多くなり,心が「いぶせし」の状態になったのでしょうか。
次は,やはり家持の短歌で,なぜか家に居ることが多いとき,気分転換に外出した際に詠んだ1首です。

隠りのみ居ればいぶせみ慰むと出で立ち聞けば来鳴くひぐらし(8-1479)
こもりのみをればいぶせみ なぐさむといでたちきけば きなくひぐらし
<<家に引きこもってばかりだと気分が晴れないので,気持ちを切り替えるため外に出てみて耳を澄ましてみると,ちょうど今やってきて鳴き始めた蜩がいた>>

が鳴き始めるのは,夏の終わりです(この時期の暦では秋の半ばです)。
家持は,夏バテをしていたのでしょうか,それとも人生が嫌になってしまっていたのでしょうか。夕暮れ,久々に外出してみるとちょうど蜩がやってきて鳴き始めたを聞き,心が少し落ち着いたのかもしれません。
さて,次は恋する相手を思う気持ちの切なさを「いぶせし」と詠ませている詠み人知らずの短歌1首です。

水鳥の鴨の棲む池の下樋なみいぶせき君を今日見つるかも(11-2720)
みづとりのかものすむいけの したびなみいぶせききみを けふみつるかも
<<鴨の棲む池に水抜き栓が無いように,あなた様への気持ちが溜まったままで気分が晴れないなあと想っていたとき,あなた様に今日お逢いできたのです>>

万葉時代の貴族たちの恋は今の恋愛と大きく異なり,逢うこと自体が簡単にはできない状況のもとで進めざるを得ないものだったのだろうと私は想像します。逢うことがままならないから恋しい人への想いはつのるばかりになり,それが「いぶせし」という苦しい気持ちにつながっているのかもしれません。
最後に紹介する詠み人知らず女性が詠んだ1首は,恋しい人に逢えずにいるそんな「いぶせし」な気持ちを必死に振り払おうとしている姿を私に想像させてくれます。

うたて異に心いぶせし事計りよくせ我が背子逢へる時だに(12-2949)
うたてけにこころいぶせし ことはかりよくせわがせこ あへるときだに
<<甚だしく心がすっきりしません。楽しい計画でもしっかり立てましょう。あなたと逢えるその時のことだけでも>>

心が動いた詞(ことば)シリーズ「あやし」に続く。