<私の三大楽しいこと>
私にとって三大「楽しい」ことは,①仕事をすること,②万葉集をリバースエンジニアリングすること,③さまざまな会に参加することでしょうか。
①の私の仕事はソフトウェアの保守開発(既存の修正)ですが,単純な開発に比べ技術的に確立されておらず,個人のスキルや能力に依存するところが多い分野です。そのため,一つ一つ(対応の品質,コスト,納期,顧客満足度などに対し)最適なプロセスを都度適用しながらの作業となります。結局,一つ一つの仕事に(規模,緊急度,重要度,困難度,他への影響度など)多様性があり,生来飽きっぽい私にとっては,やっていて面白みを感じます。
②の万葉集は面白くなければこのブログを続けられていませんので,説明の必要はないでしょう。
③のさまざまな会は,単なる飲み会,懇親会,目的が決まった会議,同好会,学会,歓送迎会などです。これは,老若男女を問わずさまざまな考えを持った人と話を聞いたり,議論をすることが好きだからです。
これらを総合すると私が楽しいと感ずるのは,多様なものやヒトに接っしているときと言っても良いかもしれませんね。
<今回の本題>
さて,万葉集では「楽し」を詠んだ和歌が15首ほど出てきます。
まずは誰もが楽しいと感ずる遊びについて詠んだ遊行女婦(うかれめ)土師(はにし)作の短歌から紹介します。
垂姫の浦を漕ぎつつ今日の日は楽しく遊べ言ひ継ぎにせむ(18-4047)
<たるひめのうらをこぎつつ けふのひはたのしくあそべ いひつぎにせむ>
<<垂姫の浦を漕ぎ巡りながら今日は楽しくお遊びください。後々までこの楽しく過ごされた時間を言い伝えましょう>>
この遊びが行われたのは大伴家持が越中にいたころ,現在の富山県氷見市の海岸にあったという「垂姫の浦」を家持らが遊覧船で漕ぎ巡るという遊びをしたときです。現在でも遊覧船にはガイドが乗っていることもあるように,当時名所をガイドしたり,船で提供する酒や肴を講釈したり,名所への移動中に参加者にゲームを楽しませたりする女性乗務員(ガイド)を「遊行女婦」と呼んだのかもしれません。この作者の土師という遊行女婦は,当時おそらく最も優秀なガイドの一人であり,即興で和歌を詠み,参加者を楽しませたのでしょう。
この短歌は,越中国府の長官である家持をはじめ,国府のトップクラスが楽しまれたことを,後日この船で遊覧する人すべてに語り継ぎましょうということです。私たちも旅行に行くと,この船には超有名人の誰々が乗ったとガイドが伝えると「お~。そうなんだ」と得した気分になります。
紹介された家持たちも自分たちが乗ったことで,船の価値が大きく上がることを知らされるとすごく良い気分になります。土師恐るべしですね。
次は,珍しい季節の変化を見て「楽し」を詠んだ柿本人麻呂の短歌です。
矢釣山木立も見えず降りまがふ雪に騒ける朝楽しも(3-262)
<やつりやまこだちもみえず ふりまがふゆきにさわける あしたたのしも>
<<矢釣山の木立も見えないほど降り乱れる雪の朝はその騒がしさも楽しいことです>>
この短歌は,新田部皇子(にひたべのみこ)を讃えた長歌の反歌です。飛鳥にあったといわれる矢釣山の立ちも見えないほど激しく雪が降っている朝は,その騒がしさ(恐らく木などに積もった雪が落ちる音による)もまた楽しいと詠んでいます。
最後は,有名な大伴旅人の賛酒歌の中から「楽し」を詠んだ3首連続の短歌を紹介します(内1首は2011年8月13日の投稿で紹介しています)。
世間の遊びの道に楽しきは酔ひ泣きするにあるべくあるらし(3-347)
<よのなかのあそびのみちに たのしきはゑひなきするに あるべくあるらし>
<<世の中の遊び道で一番楽しいことは,酔って泣くことにあるようだ>>
この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にも我れはなりなむ(3-348)
<このよにしたのしくあらば こむよにはむしにとりにも われはなりなむ>
<<現世が楽しいならば,来世には虫だろうと鳥だろうと私はなってしまっても構わないよ>>
生ける者遂にも死ぬるものにあればこの世なる間は楽しくをあらな(3-349)
<いけるものつひにもしぬる ものにあればこのよなるまは たのしくをあらな>
<<生きているものは最後は死ぬのだから,生きている間は楽しまないとね>>
特に解説をしません。皆さんはどう感じられますか?
今さえ楽しければ後はどうでも良いという身勝手な考えと感じますか?
それとも,今遊びも仕事も趣味も交友もしっかり楽しむことが理想だという考えと感じますか?
私はもちろんアグレッシブに,プレッシャーに負けず後者でありたいと考えます(実際楽しめているかかどうかはあまり気にしません)。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「寂(さぶ)し」に続く。
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