私が住む近隣に雑木林を切り開いた小さな栗林があります。この時期栗の花が咲き始め,割と強烈な匂いが漂います。私にとって栗の花の匂いは決して「かぐわしい」ものではありませんが,この匂いが漂い始めるとそろそろ梅雨が近づいてきたなと感じます。
今回とりあげる「かぐはし」は良い香りがするとか,見目形が良いというポジティブな感想を表す形容詞です。万葉集でも使われているため,「かぐはし」という心情表現は万葉時代から使われていたことになります。
まず,香りが良いことを意味する「かぐはし」を使い,市原王(いちはらのおほきみ)が天平宝字2(758)年2月に当時力を付けてきた官僚の中臣清麻呂(なかとみのきよまろ)宅で開催された宴席で詠んだ短歌から紹介します。
梅の花香をかぐはしみ遠けども心もしのに君をしぞ思ふ(20-4500)
<うめのはなかをかぐはしみ とほけどもこころもしのに きみをしぞおもふ>
<<梅の花の香りの良さから,お互い遠く離れてはおりますが,心はいつも貴殿のことを思っております>>
「梅の花の香りの良さ」は清麻呂が官僚として実績を残し,誰からも一目置かれている状況を意味するのではないかと私は想像します。「遠く離れている」は,距離的なものではなく,勢力地図上の話かと想像します。清麻呂は藤原仲麻呂(ふじはらのなかまろ)に気に入られ,仲麻呂側陣営にいるように見えたのではないかと思います。
ただ,清麻呂が仲麻呂に好かれようと取り入ったのではなく,清麻呂が余人に代えがたい能力を持っていたからだということが,参加者(橘諸兄派)にもわかっていた。そのように私は思います。事実,6年後の勃発した藤原仲麻呂の乱では,清麻呂は仲麻呂側につかなかった(仲麻呂を裏切った)ため,その後も昇進を重ねていったようです。
次は,香りも良く見た目も白くて美しい橘の花を題材にした詠み人知らずの短歌です。
かぐはしき花橘を玉に貫き贈らむ妹はみつれてもあるか(10-1967)
<かぐはしきはなたちばなを たまにぬきおくらむいもは みつれてもあるか>
<<かぐわしい橘の花を薬玉にして,糸に通して贈ろうとしている妻はやつれているのだろうか>>
この短歌いろいろな解釈ができるとおもいますが,私の勝手な解釈は次の通りです。橘の花が咲くのは今5月(旧暦では6月)です。妻問いをずっとお願いをしていた夫が妻の親から「娘の体調不良」を理由に断られ続けていたのです。そこで,健康に良いといういわれのある花橘の薬玉に妻に贈り,そろそろ妻問に良い季節になってきたので妻問を許してほしい。そんな気持ちが作者にあるように感じます。
さて,最後は大伴家持が越中から帰任するとき,京に戻って会った人を「かぐはし」と表現し,よろしく付き合ってほしい伝える練習に作った短歌です。
見まく欲り思ひしなへにかづらかけかぐはし君を相見つるかも(18-4120)
<みまくほりおもひしなへに かづらかげかぐはしきみを あひみつるかも>
<<長い間お顔を拝見したいと思っておりましたが,花鬘がとってもお似合いのあなた様とやっとお会いできました>>
家持がやっと越中から京に帰任できることになり,期待と不安が入り混じった気持ちがしっかり私には伝わってきます。
<戻った時の居場所はここち悪い?>
ところで,私は新人として会社入社後,40歳になるまでずっと本社以外の事業所勤務でした。
たまに本社に行くのは,創立記念日くらいで,席があるわけでもなく,そんな日もわずかな時間しか本社いませんでした。私はそれまで本社以外の事業所で,システム構築プロジェクトで大きな成果をいくつかあげることができ,その実績を認められ本社に新たにできた技術スタッフ部門を任されることになりました。
しかし,入社以来,本社勤務は皆無から人脈がまったくなく,どういう関わり方をすればよいかまったく分からな人ばかりでした。その後,私が考えた全社に適用するソフトウェア技術の向上施策は,なかなか受け入れられず,さまざまな部門やトップからの短期的成果を求める個別案件対応のチャレンジが続き,全社施策の展開という理想と現実の期待値とのギャップの大きさに悩み,挫折感を味わう日々が6年以上続きました。
ただ,そのときの経験は,後に勤務していた会社が10倍以上の規模の企業に吸収合併された後に,外様(とざま)出身である私が対等以上に成果をあげることができた要因のひとつであったことは間違いなさそうです。
越中から戻った家持は,私のそんな経験と同じような思いをしたこともあるのではないかと想像し,共感を覚えることが少なくないのです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「いぶせし」に続く。
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