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2015年4月11日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…尽く,尽くす(2) たとえ苦しくても「尽くす恋」がしたい!!

前回は「心を尽くす」「尽す心」を取り上げましたが,今回は「恋を尽くす」が万葉集でどう表現されているかを見ていくことにします。
「恋を尽くす」という言葉は,現代では「究極の恋」「最高の恋」などに添ったイメージもありそうですが,その形や程度に明確な基準があるようには私は感じられません。少し冷めた見方をすれば「本人がそう思っただけ,想っているだけ」なのかもしれません。相手は「恋を尽くした」という本人に対して「へえ~,そうなの?」というくらいの認識の違いがある場合もあるでしょう。
さて,さて,この大変主観的な「恋を尽くす」を万葉集ではどう詠んでいるのでしょうか。
最初は,七夕彦星織姫との切ない恋の逢瀬を想像した,詠み人知らずの短歌からです。

年の恋今夜尽して明日よりは常のごとくや我が恋ひ居らむ(10-2037)
としのこひこよひつくして あすよりはつねのごとくや あがこひをらむ
<<1年間の苦しい恋の想いを今夜は尽くす(苦しさを忘れ去る)ことができるけれど,明日からはまた常のごとくに苦しい恋の思いばかりでいる私か>>

万葉時代の恋は「苦しいもの」「切ないもの」というイメージが強かったに違いないと想像して訳してみました。
恋人同士が「逢う」ことの価値は,現代に比べてどれほど大きかったのかを考えてみてください。万葉時代は,さまざまな制約で気軽に逢うことができない時代だったでしょう。恋愛は非常に苦しいものにならざるを得ません。
<恋の苦しさ,辛さを詠んだ和歌を万葉集は集めている>
でも,万葉集では,親のためや政略のために義務的に恋愛することを前提とした和歌は少ないと私は感じます(実際に政略結婚的なものはあったかもしれませんが)。それよりも,恋愛を邪魔するものに対する不満,反発,抵抗,我慢,あきらめなどの心理が表れている和歌が万葉集には多いように思います。
そのためにも,そのような乗り越えなければならないハードルが高く,多く,逢うことのままならない苦しい恋をやり遂げる目標が「恋を尽くす」ことだ,そんな気が私はします。
その最大のゴールが「逢う」ことだとしたら,七夕の物語は恋人同士には同感できるものが,現代よりもはるかに大きかったと私は想像します。
さて,次は「恋を尽くす」相手が恋人ではなく「萩の花」として詠んだ詠み人知らずの短歌です。

秋萩に恋尽さじと思へどもしゑやあたらしまたも逢はめやも(10-2120)
あきはぎにこひつくさじと おもへどもしゑやあたらし またもあはめやも
<<秋萩に対して恋しさいっぱいになるものかと思ったが,悔しいけれど、こんなに可憐で恋しい花は二度と出会えようか>>

この短歌は恋人を萩に喩えていると考えてもよいのかもしれません。
苦しい恋を尽くして疲れ果てたので,今度はそんなに思いつめずに恋をしようとしたが,この美しい女性を見たらそうもいかなくなったといった心境を秋萩に託して詠んだの可能性はあると私は考えます。
今回の最後は「恋を尽くす」に対して,人生評論家がコメンテータとして述べるような内容を詠んだ,柿本人麻呂歌集から転載したという詠み人知らずの短歌です。

大地は取り尽すとも世の中の尽しえぬものは恋にしありけり(11-2442)
おほつちはとりつくすとも よのなかのつくしえぬものは こひにしありけり
<<大地の土を取り尽くせても(取り去っても)、世の中で尽くせない(取り去れない)ものは恋というものなのです>>

この短歌に接して「へえ~,そうなの?」と淡々と感じるのか,「そう!そう!そうなんだよ!」と賛同するか,「そんなに大袈裟に考えるものでもないよ」と異議をとなえるか,まさに人それぞれでしょう。個人の人生経験や時代背景,親の育て方,教育の受け方などによって,この短歌から受ける印象が大きく異なることは受け入れなければならないと私は思います。
でも,この短歌の作者の考えは万葉時代の比較的多くの人が賛同したかもしれません。私は,そのことに思いを至らすことを大切にしたいのです。
<現代の感覚で観ず,万葉時代に生きた自分にタイムスリップする>
今の自分たちがどう感じるか,同感できるかだけではなく,その当時の人々がどう感じていたかを想像すること。それが,古典を楽しむ上で大切なことではないでしょうか。その価値は,人間として失ってはならないものは何かを思い起こさせてくれる可能性があるからです。
違う時代に生きた人(その人も生身の人間です)について思いをはせることは,今の時代がどういう時代なのかを正しく評価するうえで重要だと私は考えます。
間違っても,今起こっていること(苦しい生活や嫌なこと)だけで頭がいっぱい,という受け身な生き方はしたくないと私は思うのです。その生き方は,他人や世の中が与えるものではなく,自分が不断の努力を「尽くして」確立していくものだろうと考えるのです。
動きの詞(ことば)シリーズ…尽く,尽くす(3:まとめ)に続く。

2015年1月3日土曜日

2015新年スペシャル「ひつじ年に詠まれた和歌(2)」 家持,クニク(恭仁苦)の作?

今回は「未(ひつじ)」年に詠まれた万葉集の和歌の2回目として天平15(743:癸未<みづのとひつじ>)年に詠まれたとされるものを見ていきます。
天平15年は,5月に開墾した土地は永年自分の土地となるという「墾田永年私財法」が発布され,10月には「大仏造立の詔」が聖武天皇により出された年です。
大伴家持は25歳になっており,久邇京内舎人(うどねり:名家の子弟が担当する天皇の警備などを行う付き人)として働いていたとされる年です。
この年に詠まれたと明確に万葉集の題詞や左注で記されているのは,すべて大伴家持が恭仁(久邇,久迩)京で8月(新暦では9月)に詠んだ短歌6首です。なお,恐らくその年に詠まれたと推定できる和歌もありますが,今回は割愛します。では,家持の6首を一挙紹介します。
最初は久邇京を賛美した1首です。これだけが何故か巻6に納められています。

今造る久迩の都は山川のさやけき見ればうべ知らすらし(6-1037)
いまつくるくにのみやこは やまかはのさやけきみれば うべしらすらし
<<造営中の久迩の都は周辺の山川が清らかなのを見ると,ここに造ろうとされた理由が分かります>>

次の3首はおそらく久邇京の周辺の山野で秋萩を見て詠んだと思われる短歌です。なお,3首目ですが,新暦9月秋萩がちょうど盛りの時期なので,家持の問いかけはの答えとして,秋萩を散らしたのは牡鹿しかないということになります。
秋萩を久邇京,牡鹿を聖武天皇の譬えとすると,家持の気持ちの別の側面が見えてくるようです。

秋の野に咲ける秋萩秋風に靡ける上に秋の露置けり(8-1597)
あきののにさけるあきはぎ あきかぜになびけるうへに あきのつゆおけり
<<秋の野に咲いている秋萩の花が秋風に靡き,その花の上が秋の露に光っている>>

さを鹿の朝立つ野辺の秋萩に玉と見るまで置ける白露(8-1598)
さをしかのあさたつのへの あきはぎにたまとみるまで おけるしらつゆ
<<牡鹿が朝立ち寄った野辺の秋萩の花に玉のように美しく付いた白露よ>>

さを鹿の胸別けにかも秋萩の散り過ぎにける盛りかも去ぬる(8-1599)
さをしかのむなわけにかも あきはぎのちりすぎにける さかりかもいぬる
<<牡鹿が胸で押し分けて通ったからだろうか。それとも萩が散ったのは盛りを過ぎているためだろうか>>

次の2首は,鹿の鳴き声を聞いて詠んだものです。

山彦の相響むまで妻恋ひに鹿鳴く山辺に独りのみして(8-1602)
やまびこのあひとよむまで つまごひにかなくやまへに ひとりのみして
<<やまびこが響き合うほど激しく鳴く山辺の鹿。たった一頭で>>

このころの朝明に聞けばあしひきの山呼び響めさを鹿鳴くも(8-1603)
このころのあさけにきけば あしひきのやまよびとよめ さをしかなくも
<<この季節,明け方に聞こえてくるのは山を響かせて牡鹿が激しく鳴く声>>

この2首も牡鹿を聖武天皇に譬えてしまうと,結局後の5首は「内舎人として久邇京に赴任したが,天皇は一向に来ない。いつも山(紫香楽宮)から強烈な通達が来るばかりだ。久邇京の造営は進まず,一部には荒れだところも出てきている。」といった心情が私には見えてきます。
以上6首は,ほぼ同じ時期に家持によって詠まれたとされますが,最初1首だけが別の巻に入れられたのは,その内容から分かる気がします。
2015新年スペシャル「ひつじ年に詠まれた和歌(3:まとめ)」に続く。

2013年10月24日木曜日

心が動いた詞(ことば)シリーズ「寂(さぶ)し」

今回は「寂しい」という意味の「寂(さぶ)し」が万葉集でどう詠まれているか見ていきます。
人が一般的に「寂しい」と感じるのはどんな時でしょうか。やはり「自分は一人ぼっちだと孤独感を感じるとき」ではないでしょうか。
「人と一緒にいるのは疲れる」「他人に干渉されたくない」「静かに一人になりたい」という人が今の都会生活者に多いのかもしれません。でも,そういった他人との接触に煩わしさを感じている人でもいつまでも一人でいたいわけではないと私は思います。
素敵な異性と一緒に居たいとか,気の合う仲間とたまにはじっくりおしゃべりしたいとか,バーのカウンター越しに経験豊かなバーテンダーとさまざな薀蓄を語り合いたいとか,ストレスを感じない形で自分以外のヒトと接触を望むような気持ちは多かれ少なかれ持っている人は多いと思います。
その望む気持ちが満たされない時,「寂しい」というという感情が出てくるのかもしれません。
万葉集でも恋人と一緒の時間を過ごせないので「寂し」と詠んでいる和歌は少なくありません。
たとえば,次の詠み人知らずの相聞歌です。

秋萩を散り過ぎぬべみ手折り持ち見れども寂し君にしあらねば(10-2290)
あきはぎをちりすぎぬべみ たをりもちみれどもさぶし きみにしあらねば
<<秋萩の花が散っていってしまうのが惜しくて,手折り持ち眺めてみたが心寂しい。それはあなたではないから>>

相聞歌の相手の女性は秋萩のように可憐な女性なのかもしれません。秋萩が相手の女性のように可愛くて,手に取ってはみたけれど,花は花でしかない。そんな寂しい気持ちでしょうか。
次は,大伴家持が若いころお熱を上げた年上の女性「紀女郎」が家持宛てに詠んだ意味深長な短歌です。

神さぶといなにはあらずはたやはたかくして後に寂しけむかも(4-762)
かむさぶといなにはあらず はたやはたかくしてのちに さぶしけむかも
<<(あなた様より年老いていますから)もう先に死んじゃう身です。もしかしたら(私と一緒になると)後で寂しく思うことになるかもしれませんよ>>

家持が先を見越して真剣かつ冷静に考えているのか,それとも若気の至りで一時的にお熱を上げているだけか,「私が先に逝って寂しいと感じるかもしれないけど大丈夫?」と試しているように私には思えます。この家持と紀女郎とのやり取りについては,2010年1月4日の記事で少し詳しく書いていますので割愛します。
さて,次は山上憶良筑紫で詠んだ短歌です。

荒雄らが行きにし日より志賀の海人の大浦田沼は寂しくもあるか(16-3863)
あらをらがゆきにしひより しかのあまのおほうらたぬは さぶしくもあるか
<<荒雄たちが出て行った日から志賀の漁師たちが住む大浦田沼は寂しげであるようです>>

この短歌は,筑紫から対馬に荷物を運ぶ際に遭難して帰らぬ人となった荒雄という人物の妻になり代わって詠んだとされています。このあたりについては,2010年6月6日のブログに少し詳しく書いていますので,興味のある方は見てください。
家族はいつも顔を合わしていて,時には煩わしい存在だと思うことがありますが,いなくなってみると寂しさが襲い,そのありがたさを痛切に感じることがあります。家族や友人の関係は大切に保持していくことが,結果として豊かな人生(寂しいと感じることが少ない人生)を送るうえで重要と考えるのは私だけでしょうか。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「惜(を)し」に続く。