2015年6月29日月曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…浮く(1) 万葉時代の船旅は今の豪華なクルージングとはいかず?

2011年11月にこのブログの『対語シリーズ「浮と沈」‥心の浮き沈みが起きたとき,あなたならどうする?』で取り上げた中で,「浮く」を改めて万葉集を詳しく見ていくことにします。
「浮く」の対象が何かや何の上に浮いているのかによって,イメージする情景は結構変わります。
今回は,池,海などに浮く鳥のイメージについて,万葉集に詠まれている和歌を見ていきましょう。
最初は,丹波大女娘子(たにはのおほめのをとめ)という女性が恋人と逢えないツライ気持ちを詠んだされる短歌です。

鴨鳥の遊ぶこの池に木の葉落ちて浮きたる心我が思はなくに(4-711)
かもどりのあそぶこのいけに このはおちてうきたるこころ わがおもはなくに
<<鴨が遊ぶこの池に木の葉は落ちて浮かんでふらふらしているような浮ついた心で恋しいと思ってはいないのに>>

池で鴨が水面を移動したり,羽ばたいたり,飛び立ったり,着水したりすることで,木から落ちて浮いている木の葉はその影響を受け,浮いたり,沈んだり,集まったり,離れたりするのでしょう。
万葉集で,彼女の詠んだ続く2首を見ると,そんな浮き沈みのあるような弱い気持ちで恋しているのではないのに,いろいろ邪魔が入り,相手は遭ってくれないと嘆いています。
さて,次も鴨を題材に詠んだ遣新羅使作の短歌ですが,場所は池ではなく海上です。

鴨じもの浮寝をすれば蜷の腸か黒き髪に露ぞ置きにける(15-3649)
かもじものうきねをすれば みなのわたかぐろきかみに つゆぞおきにける
<<鴨のように波の上に浮寝をしていると,黒い私の髪に露が付いてしまった>>

停泊して,宿に泊まるのではなく,船中で波に揺られながら一夜を明かすと,海の湿気や波しぶきで,黒い髪に(多分塩分を含んだ)水滴が付いて濡れてしまうという情景を詠っていますが,この表現で作者の航海における不安な気持ちが何故か良く伝わってくるように私は感じます。
次は,鴨ではなく,一般の海鳥を題材にした,詠み人知らずの羈旅の短歌です。

鳥じもの海に浮き居て沖つ波騒くを聞けばあまた悲しも(7-1184)
とりじものうみにうきゐて おきつなみさわくをきけば あまたかなしも
<<鳥のように海に浮かんでいて,沖の波が騒がしい(荒れている)ということを聞くと大変悲しい>>

荒れた海を避けて,入江に退避している船で何日も過ごさなければならない状況となり,非常に悲しい気持ちを作者は読んでいるのでしょうか。
次も類似の気持ちを詠んだ詠み人知らずの羈旅の短歌(万葉集では古歌としている)です。

波高しいかに楫取り水鳥の浮寝やすべきなほや漕ぐべき(7-1235)
なみたかしいかにかぢとり みづとりのうきねやすべき なほやこぐべき
<<波が高いな。どうだろう船頭さん,水鳥のように浮寝をしたほうがよいかい,それともやはり漕ぎ続けるかい>>

海が荒れてきたので心配になり,「入江に避難して一晩やり過ごす」か「このまま漕ぎ続けて進む」か,船頭に聞きたいという心の動きを詠んでいると私は思います。
当然,作者である旅人は航海について詳しくはなく,海がどの程度の荒れであるかに詳しいわけでもありません。
でも,船旅に慣れていない旅人は船の揺れを思いの外大きく感じたのかもしれず,プロである船頭に聞いてしまったという情景も想像できそうです。
この旅人の問いに対して,船頭はどう答えたかは残っていません。「この位の波や揺れは大したことはないし,進んで危険はないよ」「プロに任せろ」くらいは言ったかもしれませんね。
動きの詞(ことば)シリーズ…浮く(2)に続く

2015年6月20日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…参ゐる(3:まとめ) {ほとほと参った}という使い方は昔は無かった?

今回,「参ゐる」の最終回として,過去2回で取り上げてこなかった「参ゐる」を詠んだ万葉集の和歌を見ていきましょう。
まず,最初は高橋虫麻呂が天平4(732)年に藤原宇合(うまかひ)が西海道節度使(続日本記によれば,この時に節度使制度が発布)として筑紫へ赴任するときに詠んだとされる長歌です。
長いですが,一部のみに切るのはもったいない長歌なので,すべて載せます。「参ゐる」は最後の方に出てきます。

白雲の龍田の山の 露霜に色づく時に うち越えて旅行く君は 五百重山い行きさくみ 敵守る筑紫に至り 山のそき野のそき見よと 伴の部を班ち遣はし 山彦の答へむ極み たにぐくのさ渡る極み 国形を見したまひて 冬こもり春さりゆかば 飛ぶ鳥の早く来まさね 龍田道の岡辺の道に 丹つつじのにほはむ時の 桜花咲きなむ時に 山たづの迎へ参ゐ出む 君が来まさば(6-971)
しらくものたつたのやまの つゆしもにいろづくときに うちこえてたびゆくきみは いほへやまいゆきさくみ あたまもるつくしにいたり やまのそきののそきみよと とものへをあかちつかはし やまびこのこたへむきはみ たにぐくのさわたるきはみ くにかたをめしたまひて ふゆこもりはるさりゆかば とぶとりのはやくきまさね たつたぢのをかへのみちに につつじのにほはむときの さくらばなさきなむときに やまたづのむかへまゐでむ きみがきまさば
<<龍田の山が露霜で色づく頃,困難な道を越えて旅行くあなたはいくつも重なる山々を進み,防衛地の筑紫に着き、山の果て,野の果てまで防衛するように兵隊たちを分派し,山彦が聞こえる限り,ひきがえるが跳んで行く限りの場所まで,国の様子を観閲され,春になったら飛ぶ鳥のように早くお戻りくださいませ。龍田街道の岡辺道に真っ赤なつつじが咲き誇り,桜が咲くとき,お迎えに参りとう存じます。その頃,お戻りになられるご予定なので>>

宇合は30歳代後半ですでに参議(公卿)に任ぜられたほどのエリート。節度使(地方が法律を守っているのか監査する役)という大役を受けて,いざ九州への旅に出るとき,宇合に仕えていた虫麻呂が贈ったのでしょう。
虫麻呂は,帰京する予定の来春には,迎えに参りますと長歌を結んでいます。
ただ,宇合を含む彼の兄弟4人は天平9(737)年に,天然痘で死亡し,有望な将来を断たれてしまうのです。その結果,藤原家の勢いはなくなり,橘諸兄が権力を握ることになったと言われています。
主君を失った高橋虫麻呂は,羈旅の歌人となり,高橋虫麻呂歌集を作ったのかもしれません。
「参ゐる」の最後となる次の2首は,正月に詠まれた短歌です。
1首目は,天平勝宝3年1月大伴家持(当時:越中守)が,越中の内蔵縄麻呂の館で催された正月の宴で詠んだとされる短歌です。雪の中を苦労して参上したとあります。

降る雪を腰になづみて参ゐて来し験もあるか年の初めに(19-4230)
ふるゆきをこしになづみて まゐてこししるしもあるか としのはじめに
<<降り積もった雪に腰までうずまりながら参上した甲斐がきっとあるでしょう,年の初めに>>

2首目は,天平勝宝6(754)年1月家持の従兄(年下)である大伴千室が家持(当時:少納言)の家で行われた新年の宴で詠んだものです。天候が急変したときは,すぐに駆けつけ,参上しますという決意表明のような短歌です。

霜の上に霰た走りいやましに我れは参ゐ来む年の緒長く (20-4298)
しものうへにあられたばしり いやましにあれはまゐこむ としのをながく
<<霜の上に霰が飛び散るとき,これまで増して私は家持殿のところに参ります。何年も>>

これで,「参ゐる」の回は終わりますが,万葉集には,人が失敗して「参ったな~」という意味の和歌は無いようです。
動きの詞(ことば)シリーズ…浮く(1)に続く。 

2015年6月14日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…参ゐる(2) さまざまな別れの和歌に使われる「参ゐる」

今回は,「参ゐる」を詠んだ悲しい万葉集の和歌3連発で行きます。
まず最初は,草壁皇子(くさかべのみこ)の死を悼んで舎人(とねり)たちが詠んだ二十三首の晩歌のうちの一首です。

一日には千たび参ゐりし東の大き御門を入りかてぬかも(2-186)
ひとひにはちたびまゐりし ひむがしのおほきみかどを いりかてぬかも
<<一日に何度も参上した東の大きな御門も,今となっては入ることができないなあ>>

この挽歌を詠んだ舎人は草壁皇子に仕えた人でしょう。訪問客の相手や連絡事項を伝えるため,草壁皇子が仕事をする建物がある東の門を何度もくぐって参上したが,その仕事も皇子が死去した今となっては必要がなくなったのですね。
次は,持統(ぢとう)天皇文武(もんむ)天皇の時代に活躍し,左大臣・大納言まで勤めた石上麻呂(いそのかみのまろ)の息子であった石上乙麻呂(おとまろ)の長歌です。

父君に我れは愛子ぞ 母刀自に我れは愛子ぞ 参ゐ上る八十氏人の 手向けする畏の坂に 幣奉り我れはぞ追へる 遠き土佐道を(6-1022)
ちちぎみにわれはまなごぞ ははとじにわれはまなごぞ まゐのぼるやそうぢひとの たむけするかしこのさかに ぬさまつりわれはぞおへる とほきとさぢを
<<父君にとって私は愛おしい子である。母君にとっても私は愛おしい子である。京へ参上する多くの人々が無事を祈り手向けして越える恐坂に私が幣を奉り、長い土佐道を>>

乙麻呂は藤原宇合の妻で女官であった久米若賣(くめのわかめ)と密通した(今で言う不倫関係になった)という罪で土佐に流された際に詠んだとされるものです。この長歌に出てくる「畏の坂」はどこか分かりませんが,平城京から土佐まで行く主要街道の一つの峠だったのだと私は思います。
さて,最後は下総(今の千葉県)出身の防人雀部廣嶋(きざきべのひろしま)が詠んだとされる防人歌です。

大君の命にされば父母を斎瓮と置きて参ゐ出来にしを(20-4393)
おほきみのみことにされば ちちははをいはひへとおきて まゐできにしを
<<大君のご命令なので父母を斎瓶(神に捧げる壺)とともに家に置いて参り来たのだなあ>>

自分には,頼りにできる父母も,無事を祈ることができる神も家に置いて,天皇を命により防人として参上したことに対する不安がよく表れた秀歌だと私は思います。
これから何を頼りにしていけばいいのか?天皇は自分を守ってくれるのか?九州の地での自分の状況を家の父母に知らせてくれるのか?
また,父母の健康状態を九州まで知らせてくれるのか?など,不安と表に出せない怒りを精いっぱいこの短歌は表していると私は思います。
動きの詞(ことば)シリーズ…参ゐる(3:まとめ)に続く。

2015年6月7日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…参ゐる(1) スクープ:大伴氏の若きプリンス,門前払いの憂き目に!!

先週から立ち上げた,ブログ「万葉集に関するクイズです」は2回目のクイズ投稿と1回目の問題の解答の掲載を6月3日に済ませています。楽しく問題を解いてみてください。

http://quiz-mannyou.blogspot.jp/

さて,こちらのブログは,今回から動詞「参ゐる」について万葉集を見ていくことにします。「参ゐる」の初回は,大伴家持作の短歌3連発を見て行きたいと思います。
最初は,紀女郎(きのいらつめ)に贈った短歌からです。

板葺の黒木の屋根は山近し明日の日取りて持ちて参ゐ来む(4-779)
いたぶきのくろきのやねは やまちかしあすのひとりて もちてまゐこむ
<<あなたの家は黒木の板葺屋根ですよね。わが家の近くに良い黒木の山がありますので明日にでも取って持参しましょう>>

年上の紀女郎にぞっこんだった若い家持は,なかなか逢ってくれない女郎にこんな強引な短歌を贈っています。逢うためだったら,屋根を新しく葺きかえるための木材だって持って参上しますという勢いです。女郎側はたまったものではありませんね。
2番目は,家持が別の女性に逢いに行ったら門前払いをされたので,残念な思いを相手の女性に贈った短歌です。

かくしてやなほや罷らむ近からぬ道の間をなづみ参ゐ来て(4-700)
かくしてやなほやまからむ ちかからぬみちのあひだを なづみまゐきて
<<このように門前からやはり帰るのでしょうか。遠い道のりを難儀してやっと来たのに>>

この短歌,万葉集の秀歌を集めた本には絶対選ばれない類のものだと私は思います。いくら大納言大伴旅人の息子で大伴氏のプリンス,そして多くの女性と交際していた家持であってもです。
<家持は自分の恥ずかしい経験も万葉集に載せた>
家持は思い付きで,事前の連絡もなく逢いに行ったのかもしれません。もし,そうなら,この女性の親は意地でも気軽に逢わせるのを断ったのかもしれませんし,運悪く相手の女性が体調が良くない時だったのかもしれません。断られて当然の状況で,「遠くからわざわざ来たのに,家に入れてくれないのか?」とクレームめいた短歌を贈って何になるのでしょうか。
当時の家持の未熟さがモロに分かるような恥ずかしい短歌ではないでしょうか。
ただ,こんな短歌が入っているから万葉集は駄作も含めた「単に和歌を寄せ集めたものだ」とか,「家持が自己顕示のために集めたもの」とか,「万葉集の選者は大伴家持ではない」とか,と決めつける考え方には私は反対です。
また,そんな家持等の駄作は見ないで,歴史的に有名な万葉学者先生や歌人が選んだ優れた和歌を中心に見て万葉集を鑑賞すれば,万葉集の素晴らしさが分かるはずという考え方にも私は同感できません。
<家持自身の葛藤を平安時代の文人たちは評価した?>
文学的駄作として取り上げられることが少ないが,人間の心の中のありのままを素直に表した和歌の集まりであるからこそ,その後平安時代に花開いた日記文学(更級日記,土佐日記,紫式部日記,和泉式部日記など)や歌物語(伊勢物語,大和物語など。源氏物語も歌物語だと私は思う)に少なからず影響を与えたと見ています。
仮に万葉集が秀歌のみ厳選した歌集であったなら,1首1首が鑑賞の対象になり,長い期間ではなく,どうしてもある瞬間瞬間の思いや葛藤の個々の表現にとどまります。
それでは枕草子のような随筆文学に影響を与えることはあっても,日記文学や歌物語に影響することは少なかったと私は想像します。
さて,最後は家持が越中守として越中にいた時に,京から赴任した人物に対して贈ったと思われる短歌です。

朝参の君が姿を見ず久に鄙にし住めば我れ恋ひにけり(18-4121)
あさまゐのきみがすがたを みずひさにひなにしすめば あれこひにけり
<<朝出勤される貴殿の姿を久しく見ませんでした。ずっと越中の田舎にいたものですから,そのお姿を懐かしく思います>>

30歳を超え,越中守の重責を担う家持です。前の2首とは全然違う仕事の立場上,宴席でのあいさつ的な短歌のようです。
この短歌の冒頭の「朝参の」の部分は万葉仮名では「朝参乃」となっています。これを「てうさんの」と音読みにするのか「あさまゐの」と訓読みにするのか難しいところです。
私には後者の方がしっくりいきますので,読みを訓読みにしてみました。
動きの詞(ことば)シリーズ…参ゐる(2)に続く。