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2018年1月3日水曜日

続難読漢字シリーズ(1)…可惜(あたら),可惜(あたら)し

今回から,新シリーズを開始します。
このシリーズは,2009年6月28日~2010年1月11日の間にアップした「万葉集で難読漢字を紐解く」シリーズで,紹介し切れなかった難読漢字について,万葉集ではどう詠まれているか私の考えをアップしていきます。
初回は,難読漢字「可惜」について,万葉集を見ていきます。これは「あたら」と読みます。一般的な意味は,「可惜」は「惜しむべき」「もったいないことに」といいった感動詞的に使われるものということです。
「可惜し」は形容詞で「立派だ」「素晴らしい」「惜しい」といった意味です。
では,万葉集での用例を紹介します。なお,紹介する歌で「可惜」としている部分は,ひらがなで書かれていることが多いようですが,敢て「可惜」という漢字にしています。

鳥総立て足柄山に船木伐り木に伐り行きつ可惜船木を(3-391)
とぶさたて あしがらやまにふなぎきり きにきりゆきつあたらふなぎを>
<<鳥総を立てて足柄山に生えている船材として伐れる木を,細かい木材として伐って行ってしまった。惜しいなあ船材にできるのに>>

この短歌は沙弥満誓(さみのまんせい)が筑紫で詠んだとされているものです。
勿体ないような才能や容姿をもつ人をその特長をより導き出すように周りは気を付けなければならない(特長を潰してはいけない)という教訓の歌のように私には思えます。

秋の野に露負へる萩を手折らずて可惜盛りを過ぐしてむとか(20-4318)
あきののに つゆおへるはぎをたをらずて あたらさかりをすぐしてむとか
<<秋の野に露に濡れた萩の花を手で折って生けることをせず,そのままにしておいたら,あら惜しいこと,盛りを過ぎてしまったなあ>>

この短歌は,天平勝宝6年,36歳の大伴家持が詠んだとされるものです。
家持にとって,露に濡れた萩が美しいから,ついそのままにしておいたが,盛りを過ぎてしまい部屋に飾れなくて残念という気持ちを詠んだものでしょうか。
ただ,これまで惜しいチャンスをいくつも逃し,昇進がほとんどできずに年齢を重ねてしまった家持の気持ちが詠ませたのかも知れないと私は思いをめぐらしてしまいます。

秋萩に恋尽さじと思へどもしゑや可惜しまたも逢はめやも(10-2120)
あきはぎに こひつくさじとおもへども しゑやあたらしまたもあはめやも
<<秋萩の花を長く深く愛でていたいと思うのだが,あ~,惜しいことにもう散ってしまう。また逢うことはないのだろうか>>

作者不明の短歌で,秋萩の花を題材にした季節の移ろいを詠んだものと考えられます。
しかし,「恋尽さじ」や「逢はめやも」という言葉から,「可惜し」の対象の秋萩の花は,可憐な女性のことを譬喩したものかも知れません。
最後に,万葉時代から200年以上後の平安時代中期には「あたら」の意味として「新しい」の「新」の意味が出てきたのです。万葉時代では「新しい」という意味のヤマト言葉は「あらたし」でした。
平安時代に仮名が使われるようになった際,まちがって「新し」の読みを「あらた」から「あたら」取り違えられたとの説があるようです。そのため,それまで「あたら」と発音する「可惜」が,利用する頻度から比較的陰に隠れてしまったのかもしれません。
(続難読漢字シリーズ(2)につづく)

2015年12月30日水曜日

今もあるシリーズ「音(おと,ね)(6:まとめ)」…旅で聞こえる音は孤独感をさらに増加させる?

5回に渡ってアップしてきた「音(おと・ね)」については,今回が最後となります。
万葉集今もあるシリーズの各テーマについて中で,一番多い回数になったようです。
それだけ,万葉集において,何らかの音(自然が発する音,動植物が発する音,自分や他人が発する音)を詠み込んだ和歌が多いのかもしれません。
特に,人が発する音は新しい機械,道具,楽器などの導入により,多様性が増したのだと思います。
自然や動植物が発する音も万葉時代以前とあまり変わらなかったとしても,それを聞く人間側の感じ方はどうでしょうか。
万葉時代よりずっと前は,ほとんどの人が農業を営んでいたすると,多くの人が日が暮れて眠りにつき,夜が明けて田や畑に行くという生活で感じる自然や動植物のが発する音の感じ方も同じだったでしょう。
しかし,さまざまな守衛(津守,時守,崎守,玉守,島守,道守,野守,山守),京や地方の兵士,旅をする人,役人等で定期的に休みが取れる人,都会に住む人,鑑賞用の庭をもてる人,宴への参加が仕事のような人,人を楽しませる演芸が仕事の人,そして路上生活者などが現れた万葉時代では音を感じ方にも多様性が急速に広まった時代だと私は分析します。
これらの音の感じ方の多様性の広がりから感じられる社会の変化についても,万葉集はきめ細かく1300年以上も経った私たちに教えてくれているのです。
「音」の最終回は,丹比笠麻呂(たじひのかさまろ)が筑紫の国(九州北部)に下る旅に出た時,別れも告げずに来た恋人を恋しく思い詠んだとされる次の長歌1首を紹介しておきたいと思います。

臣の女の櫛笥に乗れる 鏡なす御津の浜辺に さ丹つらふ紐解き放けず 我妹子に恋ひつつ居れば 明け暮れの朝霧隠り 鳴く鶴の音のみし泣かゆ 我が恋ふる千重の一重も 慰もる心もありやと 家のあたり我が立ち見れば 青旗の葛城山に たなびける白雲隠る 天さがる鄙の国辺に 直向ふ淡路を過ぎ 粟島をそがひに見つつ 朝なぎに水手の声呼び 夕なぎに楫の音しつつ 波の上をい行きさぐくみ 岩の間をい行き廻り 稲日都麻浦廻を過ぎて 鳥じものなづさひ行けば 家の島荒磯の上に うち靡き繁に生ひたる なのりそがなどかも妹に 告らず来にけむ(4-509)
おみのめのくしげにのれる かがみなすみつのはまへに さにつらふひもときさけず わぎもこにこひつつをれば あけくれのあさぎりごもり なくたづのねのみしなかゆ あがこふるちへのひとへも なぐさもるこころもありやと いへのあたりわがたちみれば あをはたのかづらきやまに たなびけるしらくもがくる あまさがるひなのくにべに ただむかふあはぢをすぎ あはしまをそがひにみつつ あさなぎにかこのこゑよび ゆふなぎにかぢのおとしつつ なみのうへをいゆきさぐくみ いはのまをいゆきもとほり いなびつまうらみをすぎて とりじものなづさひゆけば いへのしまありそのうへに うちなびきしじにおひたる なのりそがなどかもいもに のらずきにけむ
<<女官の櫛笥に乗る鏡を見(み)つめる御津(みつ)の浜辺にて,下紐をまだ解くことも(共寝)できずの彼女を恋いしく思うと,折しも日々朝霧の中で鳴く鶴のように声を出して泣けてしかたがない。この恋しい気持ちの千分の一でも気が慰められるかと,我が家のある大和の方を背伸びして望むが,葛城山にたなびいている白雲に隠れ見えもしない。田舎の遠い国に向うことになる淡路を過ぎて,粟島もうしろに見えるようになり,朝凪には漕手が声をあげ,夕凪には櫓をきしらせて波を押し分け押し分け進み,岩のあいだをすり抜けて進み,稲日都麻の浦のあたりも通り過ぎた。まるで水鳥のようにもまれながら漂い行くと,(家と聞くと)聞くことさえ懐かしい家島の波荒い磯になのりそが靡いて生えているが,彼女にわけも告げず(のりそすることなく)来てしまった>>

この長歌で「音」に関連している私が思う部分を取りあげます。
鳴く鶴の音‥啼いている鶴の声
音のみし泣かゆ‥声出して泣く
水手の声呼び‥漕ぎ手の掛け声が出て
楫の音‥櫓を押すしたり引いたりする音
波の上をい行きさぐくみ‥舟が波を押しのける音
荒磯の上に うち靡き‥荒い波が寄せる音
結局,この1首でも万葉時代における「音」の感性に関する多様性が理解できるかもしれませんね,
今回で投稿398回です。次から2016年年末年始スペシャルを兼ねた投稿400回記念スペシャルを何回かに分けて投稿します。
投稿400回記念スペシャル(1)に続く。

2015年11月6日金曜日

今もあるシリーズ「海女(あま)」…海水に濡れた海女の姿,男には魅力的?

現代の「海女」は,水中メガネを付けて海に潜り,ウニ,アワビ,イセエビ,サザエなどを採っている女性がイメージされるかと思います。
さらに若い海女は,2013年4月~9月に放送されたNHKの朝ドラ「あまちゃん」で有名になったように,さらに可愛さや魅力的なイメージがありますよね。
やはり,健康で明るいイメージ,人魚のような魅惑的なイメージがポジティブにみられるのでしょうか。
私は,小学校の修学旅行で,三重県伊勢志摩での海女の観光実演を見たのが,初めてでした。
しかし,万葉時代の「海女」は漁り(いさり)やそれに関連する作業をする女性を広く指しますから,必ずしも海に潜ったり,船に乗ったりするだけの女性を指していたわけではなさそうです。
当時の海女がどんなイメージだったのか,さっそく万葉集の和歌をみていくことにしましょう。今回も「海女」は,この1回のみです。
最初は,奈良時代の役人である石川君子(いしかはのきみこ)が北九州に赴任または訪問したときに詠んだ短歌です。

志賀の海女は藻刈り塩焼き暇なみ櫛笥の小櫛取りも見なくに(3-278)
しかのあまはめかりしほやき いとまなみくしげのをぐし とりもみなくに
<<志賀の海女は,海藻を刈ったり,塩を焼いたりして忙しそう。櫛笥の小さな櫛を手にとって髪をすいているところを見ることがない>>

せっせと浜で働いでいる女性姿を見て,髪の毛が乱れていても,身だしなみを気にすることなしに働いている姿を君子はどう感じたのでしょう。
膚が日焼けして黒いが,若々しく健康的な良い印象をもった。その上で髪をきれいに櫛でとくと,きっと魅力的な女性たちになると考え方のかもしれませんね。
次は角麻呂(つののまろ)という伝不詳の歌人が難波の海女を見て詠んだ短歌です。

潮干の御津の海女のくぐつ持ち玉藻刈るらむいざ行きて見む(3-293)
しほひのみつのあまの くぐつもちたまもかるらむ いざゆきてみむ
<<潮がひいた御津の海岸で,海女たちがくぐつ(草で編んだ袋)をもって,綺麗な海藻を刈っているらしいので,見に行こう>>

海藻といっても,海苔のようなものでしょうか。たくさんの海女が海岸にでで楽しそうに話をしたり,大声で笑いながら作業をしているのは,たび人も見ていて楽しいのでしょうね。
また,こういう和歌を京で披露すると,そんなに遠くない(健脚なら1日で着ける)ので,「見に行こう」と思った人はたくさん現れたのではないでしょうか。
最後は,これも九州の筑後守をしていた葛井大成(ふぢゐのおほなり)が海岸で海女の姿をみて詠んだとされる短歌です。

海女娘子玉求むらし沖つ波畏き海に舟出せり見ゆ(6-1003)
あまをとめたまもとむらし おきつなみかしこきうみに ふなでせりみゆ
<<海女の若い娘が真珠を求め,沖の荒い波が立つ海に舟を出して行くのが見える>>

この海女は,まさに現代の海女と同じ漁法でしょうか。野生の真珠貝やアワビの中に潜む真珠は,京に献上すると大変喜ばれるを知っている大成としては,漁の結果がどうだったかは気になるところでしょう。
ただ,偉い長官が見に来たので,地元の長は,沖が荒れていても,無理して舟を出したのかもしれませんね。
そういう状況なら,舟で沖に行った海女は気の毒な気が私にはします。
今もあるシリーズ「音(おと)(1)」に続く。

2015年6月20日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…参ゐる(3:まとめ) {ほとほと参った}という使い方は昔は無かった?

今回,「参ゐる」の最終回として,過去2回で取り上げてこなかった「参ゐる」を詠んだ万葉集の和歌を見ていきましょう。
まず,最初は高橋虫麻呂が天平4(732)年に藤原宇合(うまかひ)が西海道節度使(続日本記によれば,この時に節度使制度が発布)として筑紫へ赴任するときに詠んだとされる長歌です。
長いですが,一部のみに切るのはもったいない長歌なので,すべて載せます。「参ゐる」は最後の方に出てきます。

白雲の龍田の山の 露霜に色づく時に うち越えて旅行く君は 五百重山い行きさくみ 敵守る筑紫に至り 山のそき野のそき見よと 伴の部を班ち遣はし 山彦の答へむ極み たにぐくのさ渡る極み 国形を見したまひて 冬こもり春さりゆかば 飛ぶ鳥の早く来まさね 龍田道の岡辺の道に 丹つつじのにほはむ時の 桜花咲きなむ時に 山たづの迎へ参ゐ出む 君が来まさば(6-971)
しらくものたつたのやまの つゆしもにいろづくときに うちこえてたびゆくきみは いほへやまいゆきさくみ あたまもるつくしにいたり やまのそきののそきみよと とものへをあかちつかはし やまびこのこたへむきはみ たにぐくのさわたるきはみ くにかたをめしたまひて ふゆこもりはるさりゆかば とぶとりのはやくきまさね たつたぢのをかへのみちに につつじのにほはむときの さくらばなさきなむときに やまたづのむかへまゐでむ きみがきまさば
<<龍田の山が露霜で色づく頃,困難な道を越えて旅行くあなたはいくつも重なる山々を進み,防衛地の筑紫に着き、山の果て,野の果てまで防衛するように兵隊たちを分派し,山彦が聞こえる限り,ひきがえるが跳んで行く限りの場所まで,国の様子を観閲され,春になったら飛ぶ鳥のように早くお戻りくださいませ。龍田街道の岡辺道に真っ赤なつつじが咲き誇り,桜が咲くとき,お迎えに参りとう存じます。その頃,お戻りになられるご予定なので>>

宇合は30歳代後半ですでに参議(公卿)に任ぜられたほどのエリート。節度使(地方が法律を守っているのか監査する役)という大役を受けて,いざ九州への旅に出るとき,宇合に仕えていた虫麻呂が贈ったのでしょう。
虫麻呂は,帰京する予定の来春には,迎えに参りますと長歌を結んでいます。
ただ,宇合を含む彼の兄弟4人は天平9(737)年に,天然痘で死亡し,有望な将来を断たれてしまうのです。その結果,藤原家の勢いはなくなり,橘諸兄が権力を握ることになったと言われています。
主君を失った高橋虫麻呂は,羈旅の歌人となり,高橋虫麻呂歌集を作ったのかもしれません。
「参ゐる」の最後となる次の2首は,正月に詠まれた短歌です。
1首目は,天平勝宝3年1月大伴家持(当時:越中守)が,越中の内蔵縄麻呂の館で催された正月の宴で詠んだとされる短歌です。雪の中を苦労して参上したとあります。

降る雪を腰になづみて参ゐて来し験もあるか年の初めに(19-4230)
ふるゆきをこしになづみて まゐてこししるしもあるか としのはじめに
<<降り積もった雪に腰までうずまりながら参上した甲斐がきっとあるでしょう,年の初めに>>

2首目は,天平勝宝6(754)年1月家持の従兄(年下)である大伴千室が家持(当時:少納言)の家で行われた新年の宴で詠んだものです。天候が急変したときは,すぐに駆けつけ,参上しますという決意表明のような短歌です。

霜の上に霰た走りいやましに我れは参ゐ来む年の緒長く (20-4298)
しものうへにあられたばしり いやましにあれはまゐこむ としのをながく
<<霜の上に霰が飛び散るとき,これまで増して私は家持殿のところに参ります。何年も>>

これで,「参ゐる」の回は終わりますが,万葉集には,人が失敗して「参ったな~」という意味の和歌は無いようです。
動きの詞(ことば)シリーズ…浮く(1)に続く。 

2014年1月1日水曜日

年末年始スペシャル「馬を詠んだ和歌(1)」

2014年新春のお慶びを申し上げます。本年も『万葉集をリバースエンジニアリングする』のブログアップをよろしくお願いします。
おかげさまで,昨年の閲覧数は2012年に比べて約1.8倍に増えました。とりわけ,2011年7月に投稿しました『天の川特集(2)‥憶良・家持は「七夕」通? 』と昨年元旦に投稿しました『年末年始スペシャル「万葉集:新春の和歌(1)」』には非常に多くの閲覧をしていただきました。
見たけれど期待外れの内容だっと感じられた方も多かったかもしれませんが,万葉集に関し,多くの方が関心のあるキーワードを含んだ内容に少しはできているのではないかと感じています。
これからも意欲的に取り組む気持ちを保持できているのも閲覧数が励みになっていることも事実です。
さて,今年は午年(うまとし)ですね。万葉集の中で正月の和歌ではありませんが,馬や駒を詠んだ和歌について何回かに分けて投稿します。
まず,お正月ですので,縁起の良い「龍の馬」を詠んだ大伴旅人の短歌から紹介します。

龍の馬も今も得てしかあをによし奈良の都に行きて来むため(5-806)
たつのまもいまもえてしか あをによしならのみやこに ゆきてこむため
<<龍の馬を今こそほしいものです。奈良の京に行って帰ってくるために>>

当時,陸路で一番速かった移動手段は馬に乗って移動することだったのだろうと私は思います。しかし,旅人はそのスピードでは満足できず,龍のように空を駆けるようなスピードの馬が欲しかったのでしょう。そうすれば,九州の大宰府にいても,仕事の少し空いた時間に平城京にいる会いたい人と会って,すぐまた戻ってこれる。
そんな夢ような馬(龍の馬)があれば良いのになあという願望がストレートにこの短歌には表れていると私は感じます。
今でも,新幹線の更なるスピードアップ,リニア新幹線の開業に向けたインフラ整備,飛行場へのアクセスの利便性向上など,短時間で目的の場所に移動できることへの欲求は無くなりません。
次は馬に乗って旅をしている途中の出来事を詠んだ詠み人知らずの短歌です。

住吉の名児の浜辺に馬立てて玉拾ひしく常忘らえず(7-1153)
すみのえのなごのはまへに うまたててたまひりひしく つねわすらえず
<<住吉の名児の浜辺で馬をとめて玉を拾ったことがいつまでも忘れることができない>>

住吉名児の浜辺は,大阪市の南部の海岸線だったのかもしれません。「すみのえ」と仮名を当てますが,万葉仮名は「住吉」です。
当時そこは風光明媚で,冬は温暖で,夏は海風で涼しく,新鮮な魚も食べられ,住みやすそうな場所だったのでしょう。海が無い盆地の平城京の人たちにとって,名児の浜辺は今で言う湘南海岸や葉山のような海浜高級別荘地のイメージだったのだろうと私は想像します。
馬に乗った(仕事の)旅の途中でその美しい海岸を通ったとき,馬から降りて,海岸で家に残してきた家族や実家近くの恋人のために綺麗な貝がらを拾ったことが嬉しくて忘れられない記憶となったのでしょう。
当時馬を手に入れる価格は,今で言えば高級車並みだったとすると,この旅人は中産階級以上ということになり,住吉はあこがれの地だったのかもしれませんね。
さて,馬が高級車とするとガソリンに当たる餌が必要になります。当時のそういった様子を伺うことができる旋頭歌(柿本人麻呂歌集より万葉集に転載)を次に紹介します。

この岡に草刈るわらはなしか刈りそねありつつも君が来まさば御馬草にせむ(7-1291)
このをかにくさかるわらはなしかかりそね ありつつもきみがきまさむみまくさにせむ
<<この岡で草を刈っている童よ,そんなに刈らないでおくれ。このままにしておけば彼が来たときのお馬にあげる草にできるから>>

今年は天の川君も馬を見習って馬力をかけてほしいものですね。

天の川 「たびとはん。頑張ってほしかったらなあ,正月の酒にもうちょっと上等なんにして~な。今からでも遅~ないで。」

今年も相変わらず憎まれ口だけは達者で期待はできない天の川君に邪魔をされないよう,本ブログは上品にいきたいものですが,さてどうでしょう。
年末年始スペシャル「馬を詠んだ和歌(2)」に続く。