5回に渡ってアップしてきた「音(おと・ね)」については,今回が最後となります。
万葉集今もあるシリーズの各テーマについて中で,一番多い回数になったようです。
それだけ,万葉集において,何らかの音(自然が発する音,動植物が発する音,自分や他人が発する音)を詠み込んだ和歌が多いのかもしれません。
特に,人が発する音は新しい機械,道具,楽器などの導入により,多様性が増したのだと思います。
自然や動植物が発する音も万葉時代以前とあまり変わらなかったとしても,それを聞く人間側の感じ方はどうでしょうか。
万葉時代よりずっと前は,ほとんどの人が農業を営んでいたすると,多くの人が日が暮れて眠りにつき,夜が明けて田や畑に行くという生活で感じる自然や動植物のが発する音の感じ方も同じだったでしょう。
しかし,さまざまな守衛(津守,時守,崎守,玉守,島守,道守,野守,山守),京や地方の兵士,旅をする人,役人等で定期的に休みが取れる人,都会に住む人,鑑賞用の庭をもてる人,宴への参加が仕事のような人,人を楽しませる演芸が仕事の人,そして路上生活者などが現れた万葉時代では音を感じ方にも多様性が急速に広まった時代だと私は分析します。
これらの音の感じ方の多様性の広がりから感じられる社会の変化についても,万葉集はきめ細かく1300年以上も経った私たちに教えてくれているのです。
「音」の最終回は,丹比笠麻呂(たじひのかさまろ)が筑紫の国(九州北部)に下る旅に出た時,別れも告げずに来た恋人を恋しく思い詠んだとされる次の長歌1首を紹介しておきたいと思います。
臣の女の櫛笥に乗れる 鏡なす御津の浜辺に さ丹つらふ紐解き放けず 我妹子に恋ひつつ居れば 明け暮れの朝霧隠り 鳴く鶴の音のみし泣かゆ 我が恋ふる千重の一重も 慰もる心もありやと 家のあたり我が立ち見れば 青旗の葛城山に たなびける白雲隠る 天さがる鄙の国辺に 直向ふ淡路を過ぎ 粟島をそがひに見つつ 朝なぎに水手の声呼び 夕なぎに楫の音しつつ 波の上をい行きさぐくみ 岩の間をい行き廻り 稲日都麻浦廻を過ぎて 鳥じものなづさひ行けば 家の島荒磯の上に うち靡き繁に生ひたる なのりそがなどかも妹に 告らず来にけむ(4-509)
<おみのめのくしげにのれる かがみなすみつのはまへに さにつらふひもときさけず わぎもこにこひつつをれば あけくれのあさぎりごもり なくたづのねのみしなかゆ あがこふるちへのひとへも なぐさもるこころもありやと いへのあたりわがたちみれば あをはたのかづらきやまに たなびけるしらくもがくる あまさがるひなのくにべに ただむかふあはぢをすぎ あはしまをそがひにみつつ あさなぎにかこのこゑよび ゆふなぎにかぢのおとしつつ なみのうへをいゆきさぐくみ いはのまをいゆきもとほり いなびつまうらみをすぎて とりじものなづさひゆけば いへのしまありそのうへに うちなびきしじにおひたる なのりそがなどかもいもに のらずきにけむ>
<<女官の櫛笥に乗る鏡を見(み)つめる御津(みつ)の浜辺にて,下紐をまだ解くことも(共寝)できずの彼女を恋いしく思うと,折しも日々朝霧の中で鳴く鶴のように声を出して泣けてしかたがない。この恋しい気持ちの千分の一でも気が慰められるかと,我が家のある大和の方を背伸びして望むが,葛城山にたなびいている白雲に隠れ見えもしない。田舎の遠い国に向うことになる淡路を過ぎて,粟島もうしろに見えるようになり,朝凪には漕手が声をあげ,夕凪には櫓をきしらせて波を押し分け押し分け進み,岩のあいだをすり抜けて進み,稲日都麻の浦のあたりも通り過ぎた。まるで水鳥のようにもまれながら漂い行くと,(家と聞くと)聞くことさえ懐かしい家島の波荒い磯になのりそが靡いて生えているが,彼女にわけも告げず(のりそすることなく)来てしまった>>
この長歌で「音」に関連している私が思う部分を取りあげます。
鳴く鶴の音‥啼いている鶴の声
音のみし泣かゆ‥声出して泣く
水手の声呼び‥漕ぎ手の掛け声が出て
楫の音‥櫓を押すしたり引いたりする音
波の上をい行きさぐくみ‥舟が波を押しのける音
荒磯の上に うち靡き‥荒い波が寄せる音
結局,この1首でも万葉時代における「音」の感性に関する多様性が理解できるかもしれませんね,
今回で投稿398回です。次から2016年年末年始スペシャルを兼ねた投稿400回記念スペシャルを何回かに分けて投稿します。
投稿400回記念スペシャル(1)に続く。
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