今回から,新シリーズを開始します。
このシリーズは,2009年6月28日~2010年1月11日の間にアップした「万葉集で難読漢字を紐解く」シリーズで,紹介し切れなかった難読漢字について,万葉集ではどう詠まれているか私の考えをアップしていきます。
初回は,難読漢字「可惜」について,万葉集を見ていきます。これは「あたら」と読みます。一般的な意味は,「可惜」は「惜しむべき」「もったいないことに」といいった感動詞的に使われるものということです。
「可惜し」は形容詞で「立派だ」「素晴らしい」「惜しい」といった意味です。
では,万葉集での用例を紹介します。なお,紹介する歌で「可惜」としている部分は,ひらがなで書かれていることが多いようですが,敢て「可惜」という漢字にしています。
鳥総立て足柄山に船木伐り木に伐り行きつ可惜船木を(3-391)
<とぶさたて あしがらやまにふなぎきり きにきりゆきつあたらふなぎを>
<<鳥総を立てて足柄山に生えている船材として伐れる木を,細かい木材として伐って行ってしまった。惜しいなあ船材にできるのに>>
この短歌は沙弥満誓(さみのまんせい)が筑紫で詠んだとされているものです。
勿体ないような才能や容姿をもつ人をその特長をより導き出すように周りは気を付けなければならない(特長を潰してはいけない)という教訓の歌のように私には思えます。
秋の野に露負へる萩を手折らずて可惜盛りを過ぐしてむとか(20-4318)
<あきののに つゆおへるはぎをたをらずて あたらさかりをすぐしてむとか>
<<秋の野に露に濡れた萩の花を手で折って生けることをせず,そのままにしておいたら,あら惜しいこと,盛りを過ぎてしまったなあ>>
この短歌は,天平勝宝6年,36歳の大伴家持が詠んだとされるものです。
家持にとって,露に濡れた萩が美しいから,ついそのままにしておいたが,盛りを過ぎてしまい部屋に飾れなくて残念という気持ちを詠んだものでしょうか。
ただ,これまで惜しいチャンスをいくつも逃し,昇進がほとんどできずに年齢を重ねてしまった家持の気持ちが詠ませたのかも知れないと私は思いをめぐらしてしまいます。
秋萩に恋尽さじと思へどもしゑや可惜しまたも逢はめやも(10-2120)
<あきはぎに こひつくさじとおもへども しゑやあたらしまたもあはめやも>
<<秋萩の花を長く深く愛でていたいと思うのだが,あ~,惜しいことにもう散ってしまう。また逢うことはないのだろうか>>
作者不明の短歌で,秋萩の花を題材にした季節の移ろいを詠んだものと考えられます。
しかし,「恋尽さじ」や「逢はめやも」という言葉から,「可惜し」の対象の秋萩の花は,可憐な女性のことを譬喩したものかも知れません。
最後に,万葉時代から200年以上後の平安時代中期には「あたら」の意味として「新しい」の「新」の意味が出てきたのです。万葉時代では「新しい」という意味のヤマト言葉は「あらたし」でした。
平安時代に仮名が使われるようになった際,まちがって「新し」の読みを「あらた」から「あたら」取り違えられたとの説があるようです。そのため,それまで「あたら」と発音する「可惜」が,利用する頻度から比較的陰に隠れてしまったのかもしれません。
(続難読漢字シリーズ(2)につづく)
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