2018年1月12日金曜日

続難読漢字シリーズ(4)… 篝(かがり)

今回は,篝火(かがりび)の篝について,万葉集を見ていきます。今回紹介する3首はすべて大伴家持作の長歌2首(一部もあり)と短歌一首です。
日本では各地でかがり火を焚く祭りが多く行われていますので,かがり火という言葉知っていても,篝火を読める人は全員ではなさそうですね。
ところで,万葉集で「篝」を詠んだ和歌は,これから紹介する3首のみです。
別の言い方をすると,大伴家持以外のこの「篝」という言葉を使った和歌を万葉集では誰も詠んでいないということになります。さて,家持が「篝」という言葉をどう使って和歌を詠んだのかを探ってみたいと思います。
最初は,越中で詠んだ短歌1首からです。

婦負川の早き瀬ごとに篝さし八十伴の男は鵜川立ちけり(17-4023)
<めひがはのはやきせごとに かがりさしやそとものをは うかはたちけり>
<<婦負川の早瀬ごとに篝火をかざし,大勢の男性役人達がう飼いを楽しんでいる>>

この短歌は,2016年1月13日の投稿「今もあるシリーズ「鵜(う)」…「う飼い」は「渓流釣り」より古いスポーツ? 」で一度紹介しています。この時は「鵜飼」がテーマでしたが,今回は篝火がテーマです。
実は昨年,愛知県犬山市の犬山城の近くで行われている木曽川鵜飼を観光船に乗って見学しました。鵜飼舟の先頭に突き出した金属製のカゴに火力が強く長持ちする松の木を燃やしたかがり火を焚きます。その光に寄ってくるアユを鵜がのどまで飲み込んだら,鵜匠が引き寄せ,吐かせるという実演でした。かがり火の火力の強さと鵜匠が素早く薪を投入し火力を維持する行動から,かがり火一つをとってもかなりの訓練が必要と感じました。
この短歌は家持が越中に赴任してそれほど立っていない時期で,初めて見た鵜飼に家持は魅せられたのですが,かがり火の列(当時は舟の上ではなく,河原に立てた)壮観さにも感動したのでしょう。
次は,同じく越中で鷹狩の鷹を逃がしてしまった家臣への怒りを詠んだ長歌の一部です。

~ 鮎走る夏の盛りと 島つ鳥鵜養が伴は 行く川の清き瀬ごとに 篝さしなづさひ上る 露霜の秋に至れば 野も多に鳥すだけりと 大夫の友誘ひて 鷹はしもあまたあれども 矢形尾の我が大黒に ~(17-4011)
<~ あゆはしるなつのさかりと しまつとりうかひがともは ゆくかはのきよきせごとに かがりさしなづさひのぼる つゆしものあきにいたれば のもさはにとりすだけりと ますらをのともいざなひて たかはしもあまたあれども やかたをのあがおほぐろに ~>
<<~ 川にアユが泳ぎ走る夏の盛りには鵜飼をする家臣が流れが清らかな瀬ごとにかがり火を立てて,川の水に入って鵜飼をする。露や霜が降りる秋になれば,野に多く鳥の巣ができるので,屈強な友を呼び出して,自分は鷹は多くもっているが,その中でも屋形尾の緒をもった真っ黒な大黒という名前の鷹 ~>>

この後,世話をさせていた家臣に大黒という一番気に入っていた鷹を逃がしてしまったことに対して延々とや家持は悪態をつくのですが,それはここでは触れません。
結局,「篝」はやはり,前段の鵜飼の話で使用されています。
最後も家持4年目の越中において鵜飼の話で「篝」を詠んだ長歌です。短いのですべて紹介します。

あらたまの年行きかはり  春されば花のみにほふ  あしひきの山下響み  落ち激ち流る 辟田の川の瀬に 鮎子さ走る  島つ鳥鵜養伴なへ  篝さしなづさひ行けば  我妹子が形見がてらと 紅の八しほに染めて  おこせたる衣の裾も 通りて濡れぬ(19-4156)
<あらたまのとしゆきかはり はるさればはなのみにほふ あしひきのやましたとよみ おちたぎちながるさきたの かはのせにあゆこさばしる しまつとりうかひともなへ かがりさしなづさひゆけば わぎもこがかたみがてらと くれなゐのやしほにそめて おこせたるころものすそも とほりてぬれぬ>
<<年が変わり春がやってきたので,花が美しく咲いている山の下に轟音を響かせて落ちて激して流れる辟田の川の瀬に,アユが泳ぎ走っているので,鵜飼の篝火を立てて,水につかって鵜飼をすると,妻が形見のついでにと贈ってくれた紅の色深く染めた著物の襴までも通って水に濡れたよ>>

家持は越中の生活にもすっかり慣れ,毎年季節ごとにやってくる楽しみも分かってきたのでしょう。
その中でも,この長歌から春になってアユが現れる夜に,かがり火を立てて行う鵜飼が家持にとっては楽しみでしょうがなかったのでしょうね。
越中赴任当初は,鵜飼は見ているだけだったのが,この歌を詠んだ頃には,自分が鵜匠となって鵜飼を楽しんだ様子が読み取れます。
結局,篝はこの3首のみ鵜飼との関連でしか,万葉集では使われていないようです。
そのため,かがり火を使った鵜飼という狩猟技法は,越中で考案され,スポーツとしても盛んになり,家持が万葉集で紹介したことで,全国各地で行われるようになったと考えるのは考えすぎでしょうか。
(続難読漢字シリーズ(5)につづく)

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