今回は,陽炎(かぎろひ)を見ていきます。もちろん,現代用語では陽炎は「かげろう」と読まないと正解にはなりません。
万葉時代には,「かげろう」は「かぎろひ」と発音していましたが,広辞苑などによると「かぎろひ」から「かげろう」になったのは事実のようです。万葉集では「陽炎」は日の出前に東の空にさす光という意味で使われている場合と「陽炎の」として,春や燃えるの枕詞として使われる場合があります。
古今集の時代になると「陽炎」を今の「かげろう」の意味で詠んだ,次の詠み人しらずの短歌が出てきますので,平安時代に入って意味が今の「かげろう」に近づいていったのでしょうか。
陽炎のそれかあらぬか春雨の古人なれば袖ぞ濡れぬる(古今集巻14-731)
<<陽炎のようにゆれているあなたのお気持ちなのかどうか,春雨の時期になってもあなたを待っている私は,あなたにとって過去の相手かもしれませんが,私の袖は濡れているのです>>
さて,万葉集の和歌の紹介に移りますが,陽炎を詠んだ有名な万葉集の短歌は次の柿本人麻呂が詠んだとされる次のものです。この短歌の解説については,2010年12月5日に投稿した「動きの詞(ことば)シリーズ…立つ(5:まとめ) 」に記していますので,省略します。
東の野に陽炎の立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ(1-48)
<ひむがしの のにかぎろひの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ>
<<東の方向の野に日の出前に東の空にさす光が見えて,後ろを見たら月が西方に沈みかけている>>
次の詠み人しらずの短歌は,もしかしら今の「かげろう」の意味に近い用法の短歌かもしれません。
今さらに雪降らめやも陽炎の燃ゆる春へとなりにしものを(10-1835)
<いまさらにゆきふらめやも かぎろひのもゆるはるへと なりにしものを>
<<もう雪は降らないだろう。陽炎が燃える春にきっとなったことだから>>
「陽炎の」を「燃ゆる」の枕詞だとする説があります。でも,ここは「かげろう」が盛んに出ることを「燃ゆる」という言葉で形容したのだという風に訳してみました。
次は,「陽炎の」が枕詞として使われている例(田辺福麻呂歌集にあったという長歌の一部)です。
~ 八百万千年を兼ねて 定めけむ奈良の都は 陽炎の春にしなれば 春日山御笠の野辺に 桜花木の暗隠り 貌鳥は間なくしば鳴く ~(6-1047)
<~ やほよろづちとせをかねて さだめけむならのみやこは かぎろひのはるにしなれば かすがやまみかさののへに さくらばなこのくれがくり かほどりはまなくしばなく ~>
<<~ ずっと未来のことも見据えて定められた奈良の都は,春になると春日山の三笠の野に桜花が木を覆い隠すように咲き,貌鳥は絶間なくしきりに鳴く ~>>
奈良の京(みやこ)を讃嘆している長歌です。「陽炎の」は「春」の枕詞として訳しませんでした。ちなみに「貌鳥」も難読の漢字の一つでしょうか。
最後は,巻は異なりますが,同じく田辺福麻呂歌集にあったという長歌(弟の死別に対して詠んだもの)の一部です。
~ 天雲の別れし行けば 闇夜なす思ひ惑はひ 射ゆ鹿の心を痛み 葦垣の思ひ乱れて 春鳥の哭のみ泣きつつ あぢさはふ夜昼知らず 陽炎の心燃えつつ 嘆く別れを(9-1804)
<~ あまくものわかれしゆけば やみよなすおもひまとはひ いゆししのこころをいたみ あしかきのおもひみだれて はるとりのねのみなきつつ あぢさはふよるひるしらず かぎろひのこころもえつつ なげくわかれを>
<<~ (弟が)別れて行ってしまったので,闇夜に迷ふように心迷いをして,矢で射られた鹿ように心が傷むので,思い乱れて激しく泣きながら夜も昼も心が燒けるように嘆いているこの別れよ>>
やはり,長歌では5文字の句は枕詞として使われる場合が多いので,ここでも枕詞として「陽炎」は訳しませんでした。
これら万葉集の和歌から「陽炎(かぎろひ)」は今の「陽炎(かげろう)」より,もう少し抽象的な概念を表す言葉だったと考えてもよいでしょう。
(続難読漢字シリーズ(6)につづく)
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