前回まで,万葉集の東歌で使われる「序詞」を見てきましたが,今回からは巻11,巻12で使われている序詞について見ていきます。
まず,東歌でも分類した「地名」を使った序詞のある短歌(一部旋頭歌)を見ていきましょう。
最初は富士山を詠んだ短歌からです。
天の川 「ちょっと待って~な,たびとはん。富士山は今の静岡県か山梨県とちゃうんか? それ東歌やろ?」
天の川君,やっぱり突っ込みを入れてきたね。良い質問だ。
京(みやこ)人が京で詠んだ和歌だから,東国の現地の人が詠んだ和歌のみが入っている巻14に入れなかったと考えると分かりやすいね。ちなみに,巻14には現地の人が詠んだ富士の歌が4首ほど出ているよ。
天の川 「ということは,万葉時代に富士山は奈良の人にとって超有名やったちゅ~ことかいな?」
その通りさ。山部赤人,高橋蟲麻呂といった,当時すごく有名だったと思われる紀行歌人がその雄大さ,美しさを長歌,短歌(反歌)として残しているだよ。
さて,天の川君とのやり取りはこのくらいにして,巻11で富士山を序詞に使った短歌を紹介します。
我妹子に逢ふよしをなみ駿河なる富士の高嶺の燃えつつかあらむ(11-2695)
<わぎもこにあふよしをなみ するがなるふじのたかねのもえつつかあらむ>
<<恋人のあの娘に逢う機会が無い。それでも,僕の心は駿河の国にあるという富士の高嶺ように燃え続けていくのだろう>>
平安時代の延暦19~ 21(800~ 802)年に延暦噴火があったというは記録がありますが,万葉時代の噴火記録は明確にはないようです。
ただ,この作歌の内容が本当であれば,「燃えつつ」という表現から近年の噴火情報を意識したものかも知れません。奈良の京人が知っているほど大きな噴火が続いたのか,それとも昔からの富士山噴火の言い伝えを意識した短歌なのか,作者に聞きたいところですね。
天の川君がまたうるさく言うかも知れませんが,次は奈良から東に少し離れている琵琶湖周辺の地名に移ります。
天の川 「ZZ..」
天の川君はつまらないから寝てしまったようですね。琵琶湖北部周辺の地名を使った序詞を含む短歌2首です。
霰降り遠つ大浦に寄する波よしも寄すとも憎くあらなくに(11-2729)
<あられふり とほつおほうらによするなみ よしもよすともにくくあらなくに>
<<遠くの大浦にまで寄せる波のように,周囲からさらに強く迫られても,あなたのことがいつも大好きなのです>>
あぢかまの塩津をさして漕ぐ船の名は告りてしを逢はざらめやも(11-2747)
<あぢかまのしほつをさしてこぐふねの なはのりてしをあはざらめやも>
<<塩津の港を目指し漕ぐ船のように ,必死になって名を告白したのですから,逢ってくださいますね>>
塩津港と大浦港は琵琶湖の最北端とその次に北にある入り江のもっとも奥まった場所の港です。
私は,母が入所している琵琶湖の西岸の近江舞子にあるグループホームに母を訪ねて毎年2回自家用車で埼玉から行きます。
名神高速道路の関ケ原ICで降りて,一般道(信号が少ない快適な道)を長浜に向かい,長浜から西北にある塩津を通ります。
過去に1度,JR湖西線の永原駅から大浦港に向かい,湖岸を通って高島に抜けたことがあります。本当に風光明媚に静かな道でした。今年の5月に母を訪ねるときは,また大浦港からの湖岸道を走ってみようかと思っています。
万葉時代,この2港は北陸や琵琶湖北部で採れた物産や,日本海側の敦賀港などに到着した全国各地物産を積んだ船から陸路送られてきた荷物を。琵琶湖南端の大津に運ぶ船に乗せる活気ある港だったのでしょう。
この序詞から想像できることは,琵琶湖は大きいため北端までは非常に遠く,琵琶湖北部の気候はきびしく,時として大きな波も発生する地だという印象が京人に定着していたといえるかも知れません。
次回も琵琶湖近辺地名を序詞に使った歌を見ていきます。
(序詞再発見シリーズ(8)に続く)
2017年2月14日火曜日
2015年9月20日日曜日
動きの詞(ことば)シリーズ…降る(6:まとめ) …もうすぐ北海道から初雪の便り?
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉の通り,これから各地で秋が深まっていく季節になりました。
平年では,北海道の山間部ではそろそろ初雪の便りが来るころです。ちなみに,昨年の大雪山の初雪は,平年より9日早い9月16日だったそうです。
さて,「降る」の最後は「雪が降る」を詠んだ万葉集の和歌を見ていくことにします。
最初は,山部赤人のもっとも有名な次の短歌です。
田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける(3-318)
<たごのうらゆうちいでてみれば ましろにぞふじのたかねに ゆきはふりける>
<<田子の浦を通って,海岸に出て見れば,ああ真っ白だ。富士山の高嶺に雪が降ったので>>
高橋虫麻呂も同様の富士山の雪について,短歌を詠んでいます。
富士の嶺に降り置く雪は六月の十五日に消ぬればその夜降りけり(3-320)
<ふじのねにふりおくゆきは みなづきのもちにけぬれば そのよふりけり>
<<富士山に降る雪は六月十五日に消えるのだが,その夜からまた降るのだ>>
2004年有人の富士山測候所が廃止になる前までは。富士山の初雪を同測候所が発表していたとのことです。しかし,富士山は真夏でも雪が降ることがあり,いつが初雪か区別がつきにくいため,今は富士山の初雪は発表されていないようです。
ただし,麓から見た初冠雪は継続して発表がされているようです。
初雪といえば,次の大原今城(おほはらのいまき)が,天平勝宝8(756)年11月23日に大伴池主邸で開かれた宴の席で詠んだとされる短歌があります。
初雪は千重に降りしけ恋ひしくの多かる我れは見つつ偲はむ(20-4475)
<はつゆきはちへにふりしけ こひしくのおほかるわれは みつつしのはむ>
<<初雪は幾重にも降り重なれよ。恋しさが多く積もった私は,それを見てあなたのことを思いめぐらすでしょう>>
この短歌から,初雪というものに対する良いイメージが私には伝わってきます。
実は,どちらが参考にしたか分かりませんが,よく似た詠み人知らずの短歌(柿本人麻呂歌集から)が万葉集に出てきます。
沫雪は千重に降りしけ恋ひしくの日長き我れは見つつ偲はむ (10-2334)
<あわゆきはちへにふりしけ こひしくのけながきわれは みつつしのはむ>
<<沫雪は幾重にも降り重なれよ。恋しさが続いている私は,それを見てあなたのことを思いめぐらすでしょう>>
柿本人麻呂歌集が人麻呂が生きていて時に編纂されたものなら,大原今城のほうが参考にした可能性が高いことになりますね。
最後は,天平16年1月5日に安倍虫麻呂邸で行われた宴席で出席者の誰かが詠んだとされる愉快な短歌です。
我がやどの君松の木に降る雪の行きには行かじ待にし待たむ(8-1041)
<わがやどのきみまつのきに ふるゆきのゆきにはゆかじ まちにしまたむ>
<<私の家の君を待つ(松)の木に降る雪のような二つの状況では,行き(雪)は行かないけれど,待つ(松)ことは待ちましょうね>>
行くべきか待つべきか,恋のゲームでの戦術に迷うとき,雪はすぐ消えてしまうけれど,松の木はずっとあるから,行きより待つが正解と諭した短歌でしょうか。
慌てて行動するより,じっくり状況を見て,ベストなタイミングまで待つほうが物事が良いように向かうことが多いという考えの短歌なら,私は賛同します。
さて,次回から動きの詞シリーズは少しお休みして,2015シルバーウィークスペシャルの投稿をします。
2015シルバーウィークスペシャル(1)に続く。
平年では,北海道の山間部ではそろそろ初雪の便りが来るころです。ちなみに,昨年の大雪山の初雪は,平年より9日早い9月16日だったそうです。
さて,「降る」の最後は「雪が降る」を詠んだ万葉集の和歌を見ていくことにします。
最初は,山部赤人のもっとも有名な次の短歌です。
田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける(3-318)
<たごのうらゆうちいでてみれば ましろにぞふじのたかねに ゆきはふりける>
<<田子の浦を通って,海岸に出て見れば,ああ真っ白だ。富士山の高嶺に雪が降ったので>>
高橋虫麻呂も同様の富士山の雪について,短歌を詠んでいます。
富士の嶺に降り置く雪は六月の十五日に消ぬればその夜降りけり(3-320)
<ふじのねにふりおくゆきは みなづきのもちにけぬれば そのよふりけり>
<<富士山に降る雪は六月十五日に消えるのだが,その夜からまた降るのだ>>
2004年有人の富士山測候所が廃止になる前までは。富士山の初雪を同測候所が発表していたとのことです。しかし,富士山は真夏でも雪が降ることがあり,いつが初雪か区別がつきにくいため,今は富士山の初雪は発表されていないようです。
ただし,麓から見た初冠雪は継続して発表がされているようです。
初雪といえば,次の大原今城(おほはらのいまき)が,天平勝宝8(756)年11月23日に大伴池主邸で開かれた宴の席で詠んだとされる短歌があります。
初雪は千重に降りしけ恋ひしくの多かる我れは見つつ偲はむ(20-4475)
<はつゆきはちへにふりしけ こひしくのおほかるわれは みつつしのはむ>
<<初雪は幾重にも降り重なれよ。恋しさが多く積もった私は,それを見てあなたのことを思いめぐらすでしょう>>
この短歌から,初雪というものに対する良いイメージが私には伝わってきます。
実は,どちらが参考にしたか分かりませんが,よく似た詠み人知らずの短歌(柿本人麻呂歌集から)が万葉集に出てきます。
沫雪は千重に降りしけ恋ひしくの日長き我れは見つつ偲はむ (10-2334)
<あわゆきはちへにふりしけ こひしくのけながきわれは みつつしのはむ>
<<沫雪は幾重にも降り重なれよ。恋しさが続いている私は,それを見てあなたのことを思いめぐらすでしょう>>
柿本人麻呂歌集が人麻呂が生きていて時に編纂されたものなら,大原今城のほうが参考にした可能性が高いことになりますね。
最後は,天平16年1月5日に安倍虫麻呂邸で行われた宴席で出席者の誰かが詠んだとされる愉快な短歌です。
我がやどの君松の木に降る雪の行きには行かじ待にし待たむ(8-1041)
<わがやどのきみまつのきに ふるゆきのゆきにはゆかじ まちにしまたむ>
<<私の家の君を待つ(松)の木に降る雪のような二つの状況では,行き(雪)は行かないけれど,待つ(松)ことは待ちましょうね>>
行くべきか待つべきか,恋のゲームでの戦術に迷うとき,雪はすぐ消えてしまうけれど,松の木はずっとあるから,行きより待つが正解と諭した短歌でしょうか。
慌てて行動するより,じっくり状況を見て,ベストなタイミングまで待つほうが物事が良いように向かうことが多いという考えの短歌なら,私は賛同します。
さて,次回から動きの詞シリーズは少しお休みして,2015シルバーウィークスペシャルの投稿をします。
2015シルバーウィークスペシャル(1)に続く。
2015年6月20日土曜日
動きの詞(ことば)シリーズ…参ゐる(3:まとめ) {ほとほと参った}という使い方は昔は無かった?
今回,「参ゐる」の最終回として,過去2回で取り上げてこなかった「参ゐる」を詠んだ万葉集の和歌を見ていきましょう。
まず,最初は高橋虫麻呂が天平4(732)年に藤原宇合(うまかひ)が西海道節度使(続日本記によれば,この時に節度使制度が発布)として筑紫へ赴任するときに詠んだとされる長歌です。
長いですが,一部のみに切るのはもったいない長歌なので,すべて載せます。「参ゐる」は最後の方に出てきます。
白雲の龍田の山の 露霜に色づく時に うち越えて旅行く君は 五百重山い行きさくみ 敵守る筑紫に至り 山のそき野のそき見よと 伴の部を班ち遣はし 山彦の答へむ極み たにぐくのさ渡る極み 国形を見したまひて 冬こもり春さりゆかば 飛ぶ鳥の早く来まさね 龍田道の岡辺の道に 丹つつじのにほはむ時の 桜花咲きなむ時に 山たづの迎へ参ゐ出む 君が来まさば(6-971)
<しらくものたつたのやまの つゆしもにいろづくときに うちこえてたびゆくきみは いほへやまいゆきさくみ あたまもるつくしにいたり やまのそきののそきみよと とものへをあかちつかはし やまびこのこたへむきはみ たにぐくのさわたるきはみ くにかたをめしたまひて ふゆこもりはるさりゆかば とぶとりのはやくきまさね たつたぢのをかへのみちに につつじのにほはむときの さくらばなさきなむときに やまたづのむかへまゐでむ きみがきまさば>
<<龍田の山が露霜で色づく頃,困難な道を越えて旅行くあなたはいくつも重なる山々を進み,防衛地の筑紫に着き、山の果て,野の果てまで防衛するように兵隊たちを分派し,山彦が聞こえる限り,ひきがえるが跳んで行く限りの場所まで,国の様子を観閲され,春になったら飛ぶ鳥のように早くお戻りくださいませ。龍田街道の岡辺道に真っ赤なつつじが咲き誇り,桜が咲くとき,お迎えに参りとう存じます。その頃,お戻りになられるご予定なので>>
宇合は30歳代後半ですでに参議(公卿)に任ぜられたほどのエリート。節度使(地方が法律を守っているのか監査する役)という大役を受けて,いざ九州への旅に出るとき,宇合に仕えていた虫麻呂が贈ったのでしょう。
虫麻呂は,帰京する予定の来春には,迎えに参りますと長歌を結んでいます。
ただ,宇合を含む彼の兄弟4人は天平9(737)年に,天然痘で死亡し,有望な将来を断たれてしまうのです。その結果,藤原家の勢いはなくなり,橘諸兄が権力を握ることになったと言われています。
主君を失った高橋虫麻呂は,羈旅の歌人となり,高橋虫麻呂歌集を作ったのかもしれません。
「参ゐる」の最後となる次の2首は,正月に詠まれた短歌です。
1首目は,天平勝宝3年1月大伴家持(当時:越中守)が,越中の内蔵縄麻呂の館で催された正月の宴で詠んだとされる短歌です。雪の中を苦労して参上したとあります。
降る雪を腰になづみて参ゐて来し験もあるか年の初めに(19-4230)
<ふるゆきをこしになづみて まゐてこししるしもあるか としのはじめに>
<<降り積もった雪に腰までうずまりながら参上した甲斐がきっとあるでしょう,年の初めに>>
2首目は,天平勝宝6(754)年1月家持の従兄(年下)である大伴千室が家持(当時:少納言)の家で行われた新年の宴で詠んだものです。天候が急変したときは,すぐに駆けつけ,参上しますという決意表明のような短歌です。
霜の上に霰た走りいやましに我れは参ゐ来む年の緒長く (20-4298)
<しものうへにあられたばしり いやましにあれはまゐこむ としのをながく>
<<霜の上に霰が飛び散るとき,これまで増して私は家持殿のところに参ります。何年も>>
これで,「参ゐる」の回は終わりますが,万葉集には,人が失敗して「参ったな~」という意味の和歌は無いようです。
動きの詞(ことば)シリーズ…浮く(1)に続く。
まず,最初は高橋虫麻呂が天平4(732)年に藤原宇合(うまかひ)が西海道節度使(続日本記によれば,この時に節度使制度が発布)として筑紫へ赴任するときに詠んだとされる長歌です。
長いですが,一部のみに切るのはもったいない長歌なので,すべて載せます。「参ゐる」は最後の方に出てきます。
白雲の龍田の山の 露霜に色づく時に うち越えて旅行く君は 五百重山い行きさくみ 敵守る筑紫に至り 山のそき野のそき見よと 伴の部を班ち遣はし 山彦の答へむ極み たにぐくのさ渡る極み 国形を見したまひて 冬こもり春さりゆかば 飛ぶ鳥の早く来まさね 龍田道の岡辺の道に 丹つつじのにほはむ時の 桜花咲きなむ時に 山たづの迎へ参ゐ出む 君が来まさば(6-971)
<しらくものたつたのやまの つゆしもにいろづくときに うちこえてたびゆくきみは いほへやまいゆきさくみ あたまもるつくしにいたり やまのそきののそきみよと とものへをあかちつかはし やまびこのこたへむきはみ たにぐくのさわたるきはみ くにかたをめしたまひて ふゆこもりはるさりゆかば とぶとりのはやくきまさね たつたぢのをかへのみちに につつじのにほはむときの さくらばなさきなむときに やまたづのむかへまゐでむ きみがきまさば>
<<龍田の山が露霜で色づく頃,困難な道を越えて旅行くあなたはいくつも重なる山々を進み,防衛地の筑紫に着き、山の果て,野の果てまで防衛するように兵隊たちを分派し,山彦が聞こえる限り,ひきがえるが跳んで行く限りの場所まで,国の様子を観閲され,春になったら飛ぶ鳥のように早くお戻りくださいませ。龍田街道の岡辺道に真っ赤なつつじが咲き誇り,桜が咲くとき,お迎えに参りとう存じます。その頃,お戻りになられるご予定なので>>
宇合は30歳代後半ですでに参議(公卿)に任ぜられたほどのエリート。節度使(地方が法律を守っているのか監査する役)という大役を受けて,いざ九州への旅に出るとき,宇合に仕えていた虫麻呂が贈ったのでしょう。
虫麻呂は,帰京する予定の来春には,迎えに参りますと長歌を結んでいます。
ただ,宇合を含む彼の兄弟4人は天平9(737)年に,天然痘で死亡し,有望な将来を断たれてしまうのです。その結果,藤原家の勢いはなくなり,橘諸兄が権力を握ることになったと言われています。
主君を失った高橋虫麻呂は,羈旅の歌人となり,高橋虫麻呂歌集を作ったのかもしれません。
「参ゐる」の最後となる次の2首は,正月に詠まれた短歌です。
1首目は,天平勝宝3年1月大伴家持(当時:越中守)が,越中の内蔵縄麻呂の館で催された正月の宴で詠んだとされる短歌です。雪の中を苦労して参上したとあります。
降る雪を腰になづみて参ゐて来し験もあるか年の初めに(19-4230)
<ふるゆきをこしになづみて まゐてこししるしもあるか としのはじめに>
<<降り積もった雪に腰までうずまりながら参上した甲斐がきっとあるでしょう,年の初めに>>
2首目は,天平勝宝6(754)年1月家持の従兄(年下)である大伴千室が家持(当時:少納言)の家で行われた新年の宴で詠んだものです。天候が急変したときは,すぐに駆けつけ,参上しますという決意表明のような短歌です。
霜の上に霰た走りいやましに我れは参ゐ来む年の緒長く (20-4298)
<しものうへにあられたばしり いやましにあれはまゐこむ としのをながく>
<<霜の上に霰が飛び散るとき,これまで増して私は家持殿のところに参ります。何年も>>
これで,「参ゐる」の回は終わりますが,万葉集には,人が失敗して「参ったな~」という意味の和歌は無いようです。
動きの詞(ことば)シリーズ…浮く(1)に続く。
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