「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉の通り,これから各地で秋が深まっていく季節になりました。
平年では,北海道の山間部ではそろそろ初雪の便りが来るころです。ちなみに,昨年の大雪山の初雪は,平年より9日早い9月16日だったそうです。
さて,「降る」の最後は「雪が降る」を詠んだ万葉集の和歌を見ていくことにします。
最初は,山部赤人のもっとも有名な次の短歌です。
田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける(3-318)
<たごのうらゆうちいでてみれば ましろにぞふじのたかねに ゆきはふりける>
<<田子の浦を通って,海岸に出て見れば,ああ真っ白だ。富士山の高嶺に雪が降ったので>>
高橋虫麻呂も同様の富士山の雪について,短歌を詠んでいます。
富士の嶺に降り置く雪は六月の十五日に消ぬればその夜降りけり(3-320)
<ふじのねにふりおくゆきは みなづきのもちにけぬれば そのよふりけり>
<<富士山に降る雪は六月十五日に消えるのだが,その夜からまた降るのだ>>
2004年有人の富士山測候所が廃止になる前までは。富士山の初雪を同測候所が発表していたとのことです。しかし,富士山は真夏でも雪が降ることがあり,いつが初雪か区別がつきにくいため,今は富士山の初雪は発表されていないようです。
ただし,麓から見た初冠雪は継続して発表がされているようです。
初雪といえば,次の大原今城(おほはらのいまき)が,天平勝宝8(756)年11月23日に大伴池主邸で開かれた宴の席で詠んだとされる短歌があります。
初雪は千重に降りしけ恋ひしくの多かる我れは見つつ偲はむ(20-4475)
<はつゆきはちへにふりしけ こひしくのおほかるわれは みつつしのはむ>
<<初雪は幾重にも降り重なれよ。恋しさが多く積もった私は,それを見てあなたのことを思いめぐらすでしょう>>
この短歌から,初雪というものに対する良いイメージが私には伝わってきます。
実は,どちらが参考にしたか分かりませんが,よく似た詠み人知らずの短歌(柿本人麻呂歌集から)が万葉集に出てきます。
沫雪は千重に降りしけ恋ひしくの日長き我れは見つつ偲はむ (10-2334)
<あわゆきはちへにふりしけ こひしくのけながきわれは みつつしのはむ>
<<沫雪は幾重にも降り重なれよ。恋しさが続いている私は,それを見てあなたのことを思いめぐらすでしょう>>
柿本人麻呂歌集が人麻呂が生きていて時に編纂されたものなら,大原今城のほうが参考にした可能性が高いことになりますね。
最後は,天平16年1月5日に安倍虫麻呂邸で行われた宴席で出席者の誰かが詠んだとされる愉快な短歌です。
我がやどの君松の木に降る雪の行きには行かじ待にし待たむ(8-1041)
<わがやどのきみまつのきに ふるゆきのゆきにはゆかじ まちにしまたむ>
<<私の家の君を待つ(松)の木に降る雪のような二つの状況では,行き(雪)は行かないけれど,待つ(松)ことは待ちましょうね>>
行くべきか待つべきか,恋のゲームでの戦術に迷うとき,雪はすぐ消えてしまうけれど,松の木はずっとあるから,行きより待つが正解と諭した短歌でしょうか。
慌てて行動するより,じっくり状況を見て,ベストなタイミングまで待つほうが物事が良いように向かうことが多いという考えの短歌なら,私は賛同します。
さて,次回から動きの詞シリーズは少しお休みして,2015シルバーウィークスペシャルの投稿をします。
2015シルバーウィークスペシャル(1)に続く。
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