雨を対象とした「降る」の最後は,しっかりした雨を詠んだ万葉集の和歌をとりあげます。
まず,「夕立」からです。晴れた日の夏,夕方近くに急に厚い雲が出てきて,暗くなり,豪雨が降るのを私の少年時代は普通に「夕立ち」と呼んでいました。
今は,「今日は大気が不安定になり,ところどころで雷雨が発生するでしょう」とか,「今日は大気が不安定で,各地でゲリラ豪雨が発生しました」といった味気ない天気関連ニュースが繰り返されているようです。
それに比べ,非常にアナログチックな「夕立ち」という言葉は科学的に厳密ではないため,天気予報や天気情報にはあまり使われなくなったのかもしれませんね。私はやはり「夕立ち」という言葉は無くなってほしくないと思います。
万葉集で「夕立」を詠んだ短歌が次の2首あります。
夕立の雨降るごとに春日野の尾花が上の白露思ほゆ(10-2169)
<ゆふだちのあめふるごとに かすがののをばながうへの しらつゆおもほゆ>
<<夕立の雨が降ると春日野の尾花の上の白露を思い起こす>>
夕立の雨うち降れば春日野の尾花が末の白露思ほゆ(16-3819)
<ゆふだちのあめうちふれば かすがののをばながうれの しらつゆおもほゆ>
<<夕立の雨が強く降ると春日野の尾花の先の白露を思い起こす>>
両首ともほとんど同じ内容ですね(ちなみに,上の写真は9月5日に新潟県津南町を訪れた時撮った尾花<ススキ>の原です)。前の方は詠み人知らずの短歌とされ,後の方は小鯛王(をたいのおほきみ)が詠んだとされています。
小鯛王は奈良時代中期(万葉集としては後期)の歌人と考えられるため,前の短歌の記憶不確かで詠んでしまった,それとも前の短歌をパクッて少しだけ変え自分のオリジナルと主張して詠んだのかもしれません。なお,小鯛王はその後置始多久美(おきそめのたくみ,置始工とも書く)という名前に変更したとこの短歌の左注にあるとのことです。
さて,現代は知的財産権(著作権,工業所有権,営業機密保護等)について非常に厳しい時代といえそうです。なぜなら,昔はモノ自体に価値の中心があったようですが,今は情報にも価値の中心が移っています。
2020年東京オリンピックのエンブレムがいったん決まったにも関わらず,類似のデザインがあるとのことで,取り下げられたのは記憶に新しいところです。
これは,デザインという情報が保護されるべきとの考え方からきています。ポスターに印刷したものはだめで,マグカップに焼きつけたものはOKという,モノに依存した考えではありません。
小鯛王が前の短歌のパクリをしたのでしたら,今では大変なことになります。
しかし,万葉時代以前は和歌はほとんど伝誦(でんしょう)されてきたものと考えられるため,記憶違いやオリジナル作者の不詳など当たり前で,和歌の著作権を統括する組織も当然無かったでしょう。
もしかしたら,万葉集は「和歌の作者の認定や盗作者の洗出しなどを明らかにする目的で編集された」なんてことは考えすぎでしょうね。
さて,次はパッと降る「夕立」ではなく「長雨が降る」を詠んだ詠み人知らずの短歌です。
秋萩を散らす長雨の降るころはひとり起き居て恋ふる夜ぞ多き(10-2262)
<あきはぎをちらすながめの ふるころはひとりおきゐて こふるよぞおほき>
<<秋萩を散らす長雨が降るころは,ひとりで寝ずに夫を恋したう夜が多い>>
秋の長雨(まさに今の日本がそうでしょうか?)は,秋萩を散らすくらい冷たいし,降る量も多いので,夫はなかなか来てくず,恋しさが募るという女性の気持ちを詠んだのだろうと私は解釈します。
逆に男性が作者とすると「妻のところへ行けなくて,恋しさが募る」となるのでしょうね。
最後は,しっかり「降る」の象徴ともいえる「村雨が降る」を見ていきます。「村雨」の「村」は集落の意味ではなく,『群がる』から来ていて「叢雨」と書くこともあります。
万葉集では次の詠み人知らずの1首のみですが,「村雨」が秋の情景描写として詠まれています。
庭草に村雨降りてこほろぎの鳴く声聞けば秋づきにけり(10-2160)
<にはくさにむらさめふりて こほろぎのなくこゑきけば あきづきにけり>
<<庭の草に村雨が降ってコオロギが鳴く声を聞くと,秋になったなあと感じる>>
私の自宅からはいつの間にか蝉の声は消え,自宅(マンション)の専用庭にも秋の虫の鳴き声が徐々に大きく聞こえるこの頃となってきました。
雨続きで庭のいわゆる雑草を抜くことができず,伸び放題になってきています。ただ,秋の虫たちにとっては居心地が良いのかもしれませんね。
次回からは「雨」以外が「降る」を見ていきます。
動きの詞(ことば)シリーズ…降る(5)に続く。
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