2015年4月30日木曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…折る(2) 平城京の将来は奈良麻呂様に託します

「折る」の2回目は,今の季節ではありませんが,「黄葉を折る」を見ていきます。
万葉集で黄葉がたくさん詠まれているのは,このブログでもたびたび取り上げています。
さて,なぜ「紅葉」と書かないのか?と疑問に感じる人もいらっしゃるかと思います。元の万葉仮名が「黄葉」となっていて,これを「もみち」と発音すると後世の万葉学者先生が判断したということです。私は,今のイロハモミジのような真っ赤に色づく木は少なく,ケヤキ(当時は槻:つき)などの黄色系に色づく落葉樹が多かったためかも知れないと考えています。
では,実際に「折る」を詠んだ和歌をみていきましょう。
最初は,高橋虫麻呂歌集からもってきたという筑波山に登って詠んだ長歌の反歌です。

筑波嶺の裾廻の田居に秋田刈る妹がり遣らむ黄葉手折らな(9-1758)
つくはねのすそみのたゐに あきたかるいもがりやらむ もみちたをらな
<<筑波山の麓の田で稲を刈っているあの子に贈るためにモミジを手で折ってみよう>>

今は自宅で植えている自分所有のモミジ以外,勝手に折って採ったりしてはいけません。当時は人口も少なく,そんなことは少しくらいなら許されていたとお考えください。
<筑波山は万葉時代から黄葉の名所として知られていた?>
秋に筑波山に登ったら,黄葉が素晴らしく,そして眼下を見れば,黄色く染まった稲穂の田で,稲を刈っている若い娘がいるのが見える。良い光景描写ですね。奈良の都人はこの和歌を聞いて,是非筑波山に行ってみたいと思ったかもしれません。当時から筑波山は黄葉の名所との評判が高かったのでしょう。
どちらが先かは定かではありませんが,大伴旅人も夏の暑い時期に筑波山に登った様子がこの歌の何首か前に出てきます。
<本題>
さて,万葉集巻8に,天平10(738)年10月17日に当時将来が嘱望されていた橘奈良麻呂(当時18歳位か,右大臣橘諸兄の子)宅で催された宴の席(※)で参加者が「黄葉を手折る」を詠んだ短歌が何首が出てきます。
※この宴席には,大伴家持(当時20歳),大伴池主のほか家持の弟の大伴書持(ふみもち)も出席して短歌を詠んでいます。
次は,その中で,宴の主人橘奈良麻呂が最初に詠んだ2首です。

手折らずて散りなば惜しと我が思ひし秋の黄葉をかざしつるかも(8-1581)
たをらずてちりなばをしと わがおもひしあきのもみちを かざしつるかも
<<折り取ってしまわずに散ってしまうと惜しいと私が思う秋の黄葉をこの手で折って,皆様にお見せしましょう>>

めづらしき人に見せむと黄葉を手折りぞ我が来し雨の降らくに(8-1582)
めづらしきひとにみせむと もみちばをたをりぞわがこし あめのふらくに
<<今日来てくださった素晴らしい皆様にお見せしようと葉を手折ってきましたよ。雨が降るのもいとわずに>>

これは,主人が来訪者に対して,歓迎の意思を表明したものと受け取っても良いでしょう。綺麗な黄葉を手で折って(剪定ばさみなどは当時なかったと思います),花瓶に生けるか,大きなお皿に飾って,出迎えたのかも知れませんね。
雨に濡れてさぞかし綺麗だったのでしょう。来客は順番にお礼の短歌を返します。
その中で,次は秦許遍麻呂(はたのこへまろ)という人物(不詳)が返した短歌です。

露霜にあへる黄葉を手折り来て妹とかざしつ後は散るとも(8-1589)
つゆしもにあへるもみちを たをりきていもはかざしつ のちはちるとも
<<露や霜で傷んでしまう黄葉をやさしい貴殿の手で先に折って,貴殿の奥方にお贈りになったら,後は散っても本望でしょう>>

ここで,妹は誰のことか判断に迷いますが,奈良麻呂の奥方になる予定の(恐らく同席していたうら若い)女性として訳してみました。
前年,大納言,参議に名を連ねていた藤原4兄弟(武智麻呂房前宇合麻呂)が相次いで病死し,ますます父橘諸兄の力が増していた時です。
家持,池主,書持は将来,橘諸兄の後を継いで,平城京の中心人物になるとの見込みを持って,奈良麻呂邸でのこの宴に参加できたことを非常に喜んでいたのかもしれません。
動きの詞(ことば)シリーズ…折る(3:まとめ)に続く。

2015年4月26日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…折る(1) 万葉時代,切り花ではなく,折り花だった?

今回から動詞「折る」について,万葉集でどのように詠まれているか見ていきたいと思います。
万葉時代の「折る」の意味は,今とほとんど変わっていないと思います。
<「折る」の定義>
「折る」は,まっすぐなものを途中で角ができる状態で二つのまっすぐなものにすることです。場合によっては,角の角度が0度(二つのまっすぐなものが並ぶ状態)のこともあります。また,角の部分が切れて二つのまっすぐなものが分離してしまう状態にすることもさします。
角を作るためには,元のまっすぐなものは一般にある程度硬いものでなければなりません。紐のような柔らかいものでは,角ができにくいし,まっすぐな状態でも全体が曲線になってしまうことになり,「折る」ではなく,「曲げる」を使います。ただ,柔らかいものでも,布や紙では「折り畳む」というように,まっすぐな状態を結果として保持できている場合,「折る」という言葉を使います。
<万葉集での用例>
万葉集では「折る」対象は次のものが多く出てきます。

木の枝(えだ),膝(ひざ),花などの茎(くき),身体(からだ),草,指,袖,心,時(←折り重なる)
今回は,その中で「花を折る」について,見ていきましょう。ただし,実際には花自体を折ると花がつぶれてしまいますので,花の茎を折ることをさしていると思います。万葉集の和歌で折られてしまう花(花にとって折られるのは迷惑?)は次のようなものが出てきます。

梅,桜,馬酔木,なでしこ,橘,萩,山吹

これは何を指しているのでしょうか?
万葉時代にもうこれだけの花を観賞用に採取していたということを指しているのではと私は感じます。では,実際に万葉集の和歌を見ていきましょうか。
最初は何と言っても万葉集で一番多く詠まれている「梅の花を折る」を詠んだ,他田廣津娘子(をさだのひろつのをとめ)が詠んだとされる短歌です。

梅の花折りも折らずも見つれども今夜の花になほしかずけり(8-1652)
うめのはなをりもをらずもみつれども こよひのはなになほしかずけり
<<梅の花は折って生けて見ても良いし,折らずにそのまま見ても良いのですが,今宵見る梅の花の素晴らしさには到底及びますまい>>

この娘子は,万葉集では巻8にこの短歌以外にもう1首の短歌が出てくるだけですが,掲載配置からは坂上郎女などの大伴家の女性たちと親交があったのだろうと私には想像できます。
夜の宴(女子会?)で梅の花がどのようなアレンジで演出されたのか分かりませんが,かがり火での照らし方(ライトアップ方法)に何かの工夫がされていたのかもしれませんね。
次は,木に咲く花ではなく,秋の七草の一つの撫子を「折る」を詠んだ旋頭歌です。

射目立てて跡見の岡辺のなでしこの花ふさ手折り我れは持ちて行く奈良人のため(8-1549)
いめたててとみのをかへのなでしこのはな ふさたをりわれはもちてゆくならひとのため
<<跡見の岡辺に咲くなでしこ(撫子)の花をたくさん手折って持って行くことにしましょう。奈良にいるあの人へのお土産として>>

この旋頭歌は2011年7月でのブログでも紹介していますが,平城京に住んでいた紀鹿人(きのしかひと)が,現在の奈良県桜井市にあったと云われる跡見の岡が見える大伴稲公(おほとものいなきみ)の家に招かれた時詠んだもののようです。稲公邸から跡見の岡に見事に咲き誇る撫子の花群の見事さに,花束にできる位いっぱい折り採って京人(みやこびと)のお土産にしたいと思ったのでしょうね。
さて,最後は橘の花を折ることを詠んだ東歌です。

小里なる花橘を引き攀ぢて折らむとすれどうら若みこそ(14-3574)
をさとなるはなたちばなをひきよぢて をらむとすれどうらわかみこそ
<<里にある花橘を引き寄せて折るつもりが,枝があまりにも若々しく折って自分のモノにできない>>

もちろん,花橘は気に入った綺麗で若い女性の譬えでしょう。するっと逃げられたのかもしれませんね。
ところで,橘は柑橘類であり,寒さに弱いとされています。この東歌の場所に寄りますが,当時すでにかなり東の方まで橘が植えられていたことが分かります。もしかしたら,この短歌は今の伊豆半島南端あたりの里で新しく植えられた橘なら,確かに枝も柔らかい可能性が高いと考えられそうです。本日現在のWikipediaのタチバナの記述によると,現在でも橘の木の北限が静岡県沼津市戸田地区とあるところから,当時でも橘を育てることが可能なギリギリの地の話だったと私は思います。
いずれにしても,万葉集に掲載された1首からいろいろなことが想像でき,興味が尽きませんね。
動きの詞(ことば)シリーズ…折る(2)に続く。

2015年4月18日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…尽く,尽くす(3:まとめ) そう,自分の思いは丁寧に丁寧に言わなきゃ伝わらないのだ

「尽く」,「尽くす」の最終回は,「言葉を尽くす」について,万葉集を見ていきましょう。
まず,以前このブログでも紹介した坂上郎女(さかのうへのいらつめ)の代表的な恋の短歌を紹介します。

恋ひ恋ひて逢へる時だにうるはしき言尽してよ長くと思はば(4-661)
こひこひてあへるときだに うるはしきことつくしてよ ながくとおもはば
<<恋しい恋しいと思ってきて,ようやく逢えた時くらいは私が喜ぶ言葉をありったけ言い尽くしてくださいな。これからも二人の仲を長く続けようと思ってくださるならね>>

この短歌は,ありったけやさしい言葉を尽くして欲しい郎女の気持ちが強く表れています。
「好きだよ」「愛してる」「もう離さないから」「君は僕のすべてだよ」な~んて,「うるはしき」言葉を何度でも恋人の男性から聞きたいのが時代を超えた女性の心理ですよね。
さあ,世の男性諸君! 頑張って(態度だけでなく)繰り返し何度も口に出して恋しい相手に思いを告げなさい! こんなことをこの短歌は教えてくれているのかも。
次は,万葉集の巻16に出てくる竹取翁(たけとりのをきな)に対して,若い娘多たちが贈った短歌の1首です。

あにもあらじおのが身のから人の子の言も尽さじ我れも寄りなむ(16-3799)
あにもあらじおのがみのから ひとのこのこともつくさじ われもよりなむ
<<とはいうものの,私の身は普通の人の子でうまく言葉を尽くして表現できないですが,私もおじいさんが言う和歌の大切さに同感します>>

竹取翁といっても,かぐや姫が登場する竹取物語とは無関係で,80歳を超える老人が,若い娘たちに人の心を動かす和歌の大切さを表現した長歌・反歌2首を贈り,それに感心した娘たちが返歌をしたのです。
当時本当にこんな和歌のやり取りがあったのか,それとも教育的見地から創作されたお話なのか私には分かりません。しかし,万葉集に出てくる和歌の多様性を表すものの一つとして私は評価したいと思います。
さて,今回の最後は馬国人(うまのくにひと)という人物が天平勝宝8年,河内(今の大阪府東大阪市周辺)の自宅での宴にいた大伴家持に送った短歌の1首です。
万葉集で馬国人が詠んだとされる和歌はこの1首のみです。

にほ鳥の息長川は絶えぬとも君に語らむ言尽きめやも(20-4458)
にほどりのおきながかはは たえぬともきみにかたらむ ことつきめやも
<<息長川の流れが絶えることはあっても、あなたにお話ししたい言葉が尽きることはありません>>

息長川は滋賀県の伊吹(息吹)山から琵琶湖に注いでいた川であったようです。現在も,滋賀県米原市に「息長」という地名が残っています。
馬国人は,家持が難波で東国から集められた防人を筑紫へ船で送る役人をしていたときに,親交があったのかもしれません。そして,家持が難波での役目を解かれたとき,この宴をセッティングした可能性があると私は考えます。
さて,万葉集は,4500首余りという和歌,そして題詞,左注を通して,膨大な言葉を「尽くして」後世の私たちに何を示そうとしたのか,私の興味はまったく尽きません。
動きの詞(ことば)シリーズ…折る(1)に続く。

2015年4月11日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…尽く,尽くす(2) たとえ苦しくても「尽くす恋」がしたい!!

前回は「心を尽くす」「尽す心」を取り上げましたが,今回は「恋を尽くす」が万葉集でどう表現されているかを見ていくことにします。
「恋を尽くす」という言葉は,現代では「究極の恋」「最高の恋」などに添ったイメージもありそうですが,その形や程度に明確な基準があるようには私は感じられません。少し冷めた見方をすれば「本人がそう思っただけ,想っているだけ」なのかもしれません。相手は「恋を尽くした」という本人に対して「へえ~,そうなの?」というくらいの認識の違いがある場合もあるでしょう。
さて,さて,この大変主観的な「恋を尽くす」を万葉集ではどう詠んでいるのでしょうか。
最初は,七夕彦星織姫との切ない恋の逢瀬を想像した,詠み人知らずの短歌からです。

年の恋今夜尽して明日よりは常のごとくや我が恋ひ居らむ(10-2037)
としのこひこよひつくして あすよりはつねのごとくや あがこひをらむ
<<1年間の苦しい恋の想いを今夜は尽くす(苦しさを忘れ去る)ことができるけれど,明日からはまた常のごとくに苦しい恋の思いばかりでいる私か>>

万葉時代の恋は「苦しいもの」「切ないもの」というイメージが強かったに違いないと想像して訳してみました。
恋人同士が「逢う」ことの価値は,現代に比べてどれほど大きかったのかを考えてみてください。万葉時代は,さまざまな制約で気軽に逢うことができない時代だったでしょう。恋愛は非常に苦しいものにならざるを得ません。
<恋の苦しさ,辛さを詠んだ和歌を万葉集は集めている>
でも,万葉集では,親のためや政略のために義務的に恋愛することを前提とした和歌は少ないと私は感じます(実際に政略結婚的なものはあったかもしれませんが)。それよりも,恋愛を邪魔するものに対する不満,反発,抵抗,我慢,あきらめなどの心理が表れている和歌が万葉集には多いように思います。
そのためにも,そのような乗り越えなければならないハードルが高く,多く,逢うことのままならない苦しい恋をやり遂げる目標が「恋を尽くす」ことだ,そんな気が私はします。
その最大のゴールが「逢う」ことだとしたら,七夕の物語は恋人同士には同感できるものが,現代よりもはるかに大きかったと私は想像します。
さて,次は「恋を尽くす」相手が恋人ではなく「萩の花」として詠んだ詠み人知らずの短歌です。

秋萩に恋尽さじと思へどもしゑやあたらしまたも逢はめやも(10-2120)
あきはぎにこひつくさじと おもへどもしゑやあたらし またもあはめやも
<<秋萩に対して恋しさいっぱいになるものかと思ったが,悔しいけれど、こんなに可憐で恋しい花は二度と出会えようか>>

この短歌は恋人を萩に喩えていると考えてもよいのかもしれません。
苦しい恋を尽くして疲れ果てたので,今度はそんなに思いつめずに恋をしようとしたが,この美しい女性を見たらそうもいかなくなったといった心境を秋萩に託して詠んだの可能性はあると私は考えます。
今回の最後は「恋を尽くす」に対して,人生評論家がコメンテータとして述べるような内容を詠んだ,柿本人麻呂歌集から転載したという詠み人知らずの短歌です。

大地は取り尽すとも世の中の尽しえぬものは恋にしありけり(11-2442)
おほつちはとりつくすとも よのなかのつくしえぬものは こひにしありけり
<<大地の土を取り尽くせても(取り去っても)、世の中で尽くせない(取り去れない)ものは恋というものなのです>>

この短歌に接して「へえ~,そうなの?」と淡々と感じるのか,「そう!そう!そうなんだよ!」と賛同するか,「そんなに大袈裟に考えるものでもないよ」と異議をとなえるか,まさに人それぞれでしょう。個人の人生経験や時代背景,親の育て方,教育の受け方などによって,この短歌から受ける印象が大きく異なることは受け入れなければならないと私は思います。
でも,この短歌の作者の考えは万葉時代の比較的多くの人が賛同したかもしれません。私は,そのことに思いを至らすことを大切にしたいのです。
<現代の感覚で観ず,万葉時代に生きた自分にタイムスリップする>
今の自分たちがどう感じるか,同感できるかだけではなく,その当時の人々がどう感じていたかを想像すること。それが,古典を楽しむ上で大切なことではないでしょうか。その価値は,人間として失ってはならないものは何かを思い起こさせてくれる可能性があるからです。
違う時代に生きた人(その人も生身の人間です)について思いをはせることは,今の時代がどういう時代なのかを正しく評価するうえで重要だと私は考えます。
間違っても,今起こっていること(苦しい生活や嫌なこと)だけで頭がいっぱい,という受け身な生き方はしたくないと私は思うのです。その生き方は,他人や世の中が与えるものではなく,自分が不断の努力を「尽くして」確立していくものだろうと考えるのです。
動きの詞(ことば)シリーズ…尽く,尽くす(3:まとめ)に続く。

2015年4月4日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…尽く,尽くす(1) 心からお尽くし致します。ハイ!

今回から3回でアップする「尽く」「尽す」は,現代語で「尽きる」(現代語カ行上一段活用,古語カ行上二段活用),「尽くす」(現代語サ行五段活用,古語サ行四段活用)の両方の意味を代表しています。そのため,この3回で紹介する万葉集の和歌には,どちらかの意味で使われているものが出てきます。
今回は万葉集に「心尽す」「尽くす心」という表現を使った和歌が複数出てきますので,いくつかを紹介します。
始めは,おそらく若いころの大伴家持が交遊のあった(今で言うと付き合っていた)女性に贈った2首を紹介します。

思ふらむ人にあらなくにねもころに心尽して恋ふる我れかも(4-682)
おもふらむひとにあらなくに ねもころにこころつくして こふるあれかも
<<僕のことを思って下さる人でもないのに真心を尽くして恋しく思う僕なんだよ(片思いの僕なのです)>>

うはへなき妹にもあるかもかくばかり人の心を尽さく思へば(4-692)
うはへなきいもにもあるかも かくばかりひとのこころを つくさくおもへば
<<薄情なあなただなあ。これほどあれこれ僕に恋心を尽させるんだから>>

両方とも,家持にまだ女性へのアプローチに未熟さが残っている感じが私にはします。相手が自分のことに興味を示していないと決めつけています。自分はこんなに思っているのに相手の女性が応じてくれないという被害者意識を相手に訴えてどうするのでしょうか。
特に,相手の女性のどこが気に入っているか,好きなのかが具体的な表現がどこにもありません。
これでは相手に「若い女性なら結局誰でも良いんでしょ」という気持ちにさせてしまい,返事を出しにくくさせてしまいますね。
以上,私が若いころ女性に全く相手にされなかった経験からのコメントでした。
結局,口だけの「心尽くす」では,効果が無いようで,万葉集にはこの家持の相聞歌への返歌と思われる和歌はなさそうです。
次は詠み人知らずの女性が口先だけでない「尽くす心」を詠んだ短歌です。

大船の思ひ頼める君ゆゑに尽す心は惜しけくもなし(13-3251)
おほぶねのおもひたのめる きみゆゑにつくすこころは をしけくもなし
<<大きな船にでも乗ったように頼りきっていたあなたですもの,あなたとの恋に尽くしたわたしの心は少しも惜しいとは思いません>>

この短歌は,この前にある長歌の反歌です。長歌とこの短歌を見ると,相手の男性とどうしても別れなければならない何かしらの事情が出たのでしょう。
<別れた相手を責めない心の強さ>
この女性は,前の長歌でどれほど相手の男性を恋していたのか,恋しいけれど逢えない時の切なさで,胸が痛く,心が痛くなることばかりだった。これから別れても同じ状況が続くが,今度直接逢える時が来たら,そんな切ない気持ちはパッと晴れるに違いないと詠んでいます。
そして,この反歌で,相手が自分の心に安らぎ与えてくれる存在だったことが,恋しく思った,好きだった理由であることを述べて,これまでの恋人同士であった時期が本当に良かったとしめています。相手の男性をまったく責めていないし,かといって別れを全く受け入れられないとわがままな姿も微塵もないと私は感じます。
長い人生では大切な人との悲しい別離を受け入れなければならない時がさまざまあります。この二人は仏教が解く永遠の生命という考え方から,どこかで再会していることを願いたいですね。
動きの詞(ことば)シリーズ…尽く,尽くす(2)に続く